海外富裕層は「ラグジュアリー」が好きはホント?熊野が示す文化観光の可能性
2030年までに訪日外国人旅行者数6000万人、訪日外国人旅行消費額15兆円という目標を掲げる日本。消費額の向上を狙うなかで、富裕層インバウンドが注目を集めている。
これまで「世界の“リッチ”をニッポンの地域へ」というテーマで富裕層インバウンドを特集してきたなかで取材対象者から聞こえてきたのは、ブームのようになっている富裕層インバウンド推進の現状に警鐘を鳴らす意見だった。
富裕層インバウンド観光として真っ先に思い浮かぶイメージは、1泊数十万円の星付きホテル、数百万円の旅行ツアーといったものだろう。しかし、それらは本当に海外富裕層がその地域に求めていることなのか。そして、地域の進むべき未来と合致しているのだろうか。
観光カリスマの山田桂一郎氏は「ターゲットにする富裕層とは誰なのか」「そもそもなぜ観光に取り組むのか」を問い直すべきだと語った。
今、地域が目指すべき富裕層インバウンド。その好例として山田氏が挙げたのが熊野古道の入口となる和歌山県田辺市であった。
熊野の観光コンテンツはいわゆるラグジュアリーとは異なる。主な観光コンテンツは、熊野本宮大社に向かう山道と民宿。それにも関わらず、オーストラリアや欧米から多くの富裕層観光客が訪れている。
海外富裕層はなぜ熊野に集うのか。田辺市のこれまでの取り組みを追いながら、日本の地域が目指すべき富裕層観光の形について考える。
海外富裕層が集う、約38kmの山道
今から20年前。2004年7月7日、ユネスコの世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録された。対象になったのは「熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」「高野山」「吉野・大峯」と呼ばれる3つの霊場とそれらを結ぶ参詣道のひとつである熊野古道だ。
熊野古道のいくつかのルートのうちでも、古くから多くの旅人が訪れるのが田辺から熊野本宮を結ぶ中辺路(なかへち)だ。熊野の聖域の入口とされる滝尻王子から熊野本宮大社までは約38kmの山道を1泊2日で歩くことになる。
現在、多くの海外富裕層がこの行程を歩くが、当たり前だがハイヤーもなければ、高級ホテルもない。一体なぜ海外富裕層はこの山道に魅力を感じるのか。
中辺路の終着点である熊野本宮大社の宮司・九鬼家隆氏は「外国人は自然の素晴らしさを感じる感性が高い」と話す。
「熊野信仰の根幹にあるのは自然です。自然があるからこそ、人々が足を運び、信仰が生まれました。熊野古道を歩くことで、太陽の日差しを感じ、雨を感じ、熊野の自然の素晴らしさを感じられる。海外の方は自然を楽しみ、ゆったりと時間を使う感性がとても高いように思います。それはむしろ日本人が忘れかけていることではないでしょうか」(九鬼氏)
熊野本宮大社は全国の熊野神社の総本宮にあたる格式高い神社だ。それにも関わらず、日本人観光客だけでなく外国人観光客にも広く開かれており、英語を話せる職員がいたり、さまざまな案内が多言語対応していたりと、外国人の参拝客へのインバウンド対応にも積極的だ。
また、滝尻王子から熊野本宮大社までの中間地点で旅人を迎える民宿でも、看板や施設内の案内など、さまざまなインバウンド対応がされている。現在は約50の民宿が中辺路に軒を連ねる。いずれも大型ホテルなどではない、個人経営の民宿だ。
「ちかつゆ」は中辺路で木下久さんが30年前から経営する民宿。すぐ側には川が流れ、豊かな熊野の自然を感じられる。ちかつゆもまた、ここ数年で外国人観光客の宿泊数が増えているという。
「いらっしゃるのは海外の富裕層の方が多いですね。Netflixの副社長さんが来た、なんていう話も聞いています。日本人は富裕層をゴージャスなホテルに泊まらせるべきだと思いがちです。でも、そういうホテルは自分の国でも、どこにでもありますよね。私たちは飾らないいつもの佇まいで彼らを迎えるべきだと思うんです。富裕層は余裕のある人たちだからこそ、その土地の文化を体験する、精神性を楽しむことができるのではないでしょうか」(民宿ちかつゆ・木下久氏)
熊野で旅行事業を展開するDMO・田辺市熊野ツーリズムビューローのデータでは、同社を経由した海外からの旅行者は2023年で20,918人。同年の国内からの旅行者が6,089人であることから、海外からの旅行者の比率の高さがわかる。
また国別延べ宿泊者数では「オーストラリア」「日本」「アメリカ合衆国」「イギリス」「カナダ」と、欧米からの旅行者が多い。そしてその多くが団体客ではなく個人客なのも熊野の観光事業の特徴だ。
神聖な地として、世界に向けて熊野の魅力を発信
自然を愛する欧米豪の富裕層個人客が熊野本宮大社を目指して山歩きをする。今の熊野の観光スタイルはどのようにできあがったのか。
熊野が世界遺産登録された翌年の2005年、田辺市、龍神村、中辺路町、大塔村、本宮町が合併して、新たな田辺市が生まれた。初代市長に就任した真砂充敏氏が新たな産業基盤として打ち出したのが農林水産業と観光業だった。
「人口減少している地域の現状を考えれば、観光業が重要なのは自明です。観光業による雇用の創出にもつながれば、農業体験や漁業体験のように他の産業の振興につなげることもできます。
また、合併当初から交流人口というキーワードを用いて来ましたが、田辺市に住民票はなくても共に田辺のまちづくりをしていく存在として最近では関係人口の創出も重視しています。その点でも、観光業が果たせる役割は大きいと考えています」(真砂氏)
新たな田辺市として観光推進をするにあたり、通常であればそれぞれの市町村の観光協会も1つに集約されるところ。しかし、それぞれの地域の観光協会の特色を尊重するという方針で、5つの観光協会はそのまま存続することに。
そこで各観光協会に横串を刺して、田辺市の広域での観光プロモーションをする担い手として生まれたのが、田辺市熊野ツーリズムビューローだった。
「入り口となる田辺駅から、中辺路、そして熊野本宮大社までの熊野古道の主要部分が、市町村合併により田辺市になりました。しかも、熊野古道が世界遺産になったタイミングです。田辺市熊野ツーリズムビューローは『世界に開かれた持続可能な観光地づくり』を掲げてスタートしました」(真砂市長)
そして、田辺市熊野ツーリズムビューローの会長に就任したのが多田稔子氏。今回の取材では市長をはじめ、さまざまな関係者から熊野観光のキーマンとして名前が挙がった人物だ。
多田氏を中心にこの時定めた観光戦略の5つのスタンスが今の田辺市熊野ツーリズムビューロー及び熊野観光の礎となった。
そのスタンスとは「『ブーム』より『ルーツ』」「『インパクト』を求めず『ローインパクト』で」「『乱開発より『保全・保存』」「『マス』より『個人』」「世界に開かれた上質な観光地に」の5つ。
「世界遺産登録直後は連日観光バスがひっきりなしに到着していました。多い日には100台のバスが熊野本宮大社の辺りに来ていたそうですから、いわゆるオーバーツーリズムのような状況ですよね。バスで各所を巡っていくようなツアーなので、滞在時間も短くて、地域にとっては経済効果も少ない。
そこで、地域に与えるネガティブなインパクトは最小限に、細く長く、自分たちの歴史文化を大切にした観光にしたいと考えたのです。そしてマスではなく熊野のことを知り、歩きたいと考えている個人にターゲットを絞りました」(多田氏)
当初、海外インバウンド市場をターゲットにしたのは、世界遺産登録されたことと当時の小泉内閣がインバウンド推進を開始したことをきっかけにしながらも、「ノリと勢いだった」と当時を振り返る。
海外向けプロモーションなどどうしていいか、右も左もわからない状況。しかし、「わかったふり」をせず、「わからない」を前提にしたことが奏功する。
田辺市熊野ツーリズムビューローが最初に行ったのは、海外から見た熊野の魅力を「わかる」人物を招聘することだった。熊野を愛し、海外の観光事情を知るカナダ出身のブラッド・トウル氏が2006年にプロモーション事業部長に就任した。
「ブラッドは熊野の大ファンですからね。彼にとっては自分の感じている魅力をどう伝えるか、ということになるわけです。そして、彼が最初に熊野の魅力として挙げたキーワードが『sacred(神聖)』でした。さらに熊野のような辺境の地を求め旅をするのはどういった人たちか考えたときに、旅慣れた欧米豪の人たちだろうと想像したわけですよ。旅の上級者で、世界中どこへでも個人で行ってしまうような人たち。ここを熊野観光のターゲットに据えることにしました」(多田氏)
「巡礼」「トレイル」というキーワードで熊野の本来的な魅力に合う嗜好を持つ層をターゲットに設定。しかし、最初から大々的にプロモーションを行うことはしなかった。
「ブラッドが言ったのは『いきなり大規模なプロモーションが先行してはいけない』ということでした。まだ外国人がまったく来ないエリアでしたから、まず受け入れ体制を整備していくことからだ、と。当時は外国人を受け入れても良いという民宿もありませんでしたから。
設立から3年ほどは、プロモーションは最低限にして、受け入れ体制の整備に注力をしました」(多田氏)
表記やデザインがバラバラだった案内文や看板の表現は、ブラッド氏を中心に統一。外国人観光客の受け入れに不安を感じている観光事業者に対しては60回にわたるワークショップを開催した。
英会話が課題となれば、話せないことを前提にした指差しのコミュニケーションツールを用意して、民宿内のちょっとした外国語の案内なども細かくサポートしていった。
宿泊事業者のほか、交通事業者、そして熊野本宮大社など約30の事業者や団体がワークショップに参加した。前出の民宿ちかつゆも同ワークショップに参加した事業者のうちの1つだ。
「田辺市熊野ツーリズムビューローから声をかけられて、まず要望や不安に感じていることを聞かれました。それに従ってブラッドが『こうしたらどうですか』と丁寧に教えてくれたんです。ブラッドは「英語を話せなくても当たり前。恥ずかしいことではないから、相手とコミュニケーションをとれるツールを使って、それで徐々に慣れていきましょう」と言ってくれました。それで外国人観光客を受け入れる緊張が少しずつ和らぎました」(木下氏)
また、外国人観光客を本格的に受け入れるためには、旅程のプランニングや予約の受付けも必要だ。しかし、旅行代理店に相談を持ちかけても「外国人の個人客を相手にするのは効率が悪い」と、断られるばかり。
そこで、田辺市熊野ツーリズムビューローは法人格を取得して旅行業を開始。「熊野トラベル」と銘打ち、熊野観光に関わる旅程のプランニングや予約・決済を一手に引き受けるようになる。いわゆる、地域の事業者が地域の観光を提供する、着地型観光だ。
田辺市熊野ツーリズムビューローは独自で予約システムを開発し、現在「熊野トラベル」の予約サイトは外国人観光客の受け入れの入口として、機能している。
「旅行業をはじめるには旅行業務取扱管理者の資格と供託金が必要です。資格の方は、たまたま本宮町に着地型観光で旅行事業をはじめようとしている方がいて、資格をもっていたので社員としてスカウトしたんです。供託金の1000万円も、なんとかお金を集めることができました。
2010年秋に熊野トラベルがスタートしたのですが、2011年3月には東日本大震災が起きて、予約はすべてキャンセル。その年の9月には紀伊半島大水害が起きて、最初は本当に大変だったんです。でも、紀伊半島大水害の被災地に最初に観光客を送客できたのは熊野トラベルだったんですよね。そこは着地型観光である意義が示せたところだと思っています」(多田氏)
設立当初は災害の影響を受け順風満帆とはいかなかったものの、熊野トラベルの業績はコロナ禍の2019年まで右肩上がり。2023年はコロナ禍以前の水準を遥かに超えた業績を達成している。
受け入れ体制が整った後も集客に関しては、「巡礼」というキーワードでスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラ市観光局と「DUAL PILGRIM(共通巡礼者)」の企画を実施しているほかは、ツーリズムEXPOジャパンなどの海外旅行エージェントが訪れるイベントでの商談など。大々的なプロモーションは行っていないという。
それでも海外メディアから取り上げられたり、World Travel & Tourism Council (WTTC)でファイナリストに選出されたことなどもあり、熊野に訪れる海外観光客は次第に増えていった。
八方美人に全方位的に誘客するのではなく、熊野の魅力を「巡礼」「トレイル」などのキーワードに限定して発信したことで、逆に全世界の同じ嗜好を持つ層に届いたのかもしれない。また、本来の熊野の魅力を軸にしているからこそ、ありのままの熊野の姿で集客をできているのだろう。
多田氏は熊野の観光事業の成功要因として「リスペクト」を挙げる。
「来ていただく観光客をリスペクトするのは当たり前ですが、観光客にも熊野をリスペクトしてもらえる状況を作らないとだめだと思うんですね。物見遊山の人ではなくて、本当に熊野を知りたいと思っていたり、良いと思ってくれている人をどう呼び込むかだと思っています」(多田氏)
文化観光こそが高単価を実現する日本の地域の価値
取材中、熊野古道の入口となる滝尻王子でも目的地の熊野本宮大社でも、多くの外国人観光客を目にした。民宿ちかつゆが開業した30年前、中辺路には8軒ほどの民宿しかなかったが、現在はゲストハウス含め約50軒にのぼり、IターンやUターンで田辺にやってきた事業者も少なくないという。
また山歩きをする観光客のために熊野古道の入口から目的地まで荷物を搬送するという、この土地ならではの独自サービスも発展を遂げ、今では複数の事業者が存在する。
観光戦略の5つのスタンスにあるように「『ブーム』より『ルーツ』」「『インパクト』を求めず『ローインパクト』で」「『乱開発より『保全・保存』」など、熊野の本来の良さを損なわないように持続可能な形で推進してきた熊野の観光事業。それは熊野なりのペースでゆるやかに経済効果をもたらしている。
田辺市は近畿地方の市町村の中で最も広い約1,026k㎡の面積を有する。人口減少の最中にあって、文化、歴史、自然、人々の暮らしを持続していくには観光による振興を欠かすことはできない。
「熊野には世界に誇れる魅力的な観光資源があります。地域の資源を食い潰してお金を儲けるようなことはするべきではありませんが、経済的に地域に還元される仕組みは、地域の持続性を考えたときには絶対に必要なものです」(真砂氏)
現在、田辺市では「熊野Reborn Project」「たなコトアカデミー」「ことこらぼ」など多様な田辺のまちづくりに関わる関係人口創出を目的としたプロジェクトが進行している。「たなべ未来創造塾」ではローカルイノベーターを育成し、その参加者の起業率は70%。そこからは観光事業の起業も多数生まれている。
観光で生まれた他地域との交流人口が深化して関係人口となり、そこから生まれたアクションがまた観光を盛り上げていく。
持続可能な観光、そしてまちづくり──。熊野本宮大社の九鬼氏は「変わらないために、変えなくてはいけないことがある」と話す。
熊野本宮大社では積極的なインバウンド対応のほか、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏が熊野に由来することを活用したPR、『ジョジョの奇妙な冒険』の作者・荒木飛呂彦氏が熱心な参拝者であったことをきっかけとするコラボレーションなど、実にさまざまな取り組みを行っている。
「神社も参拝者がお越しにならないと、存続が難しくなってしまいます。でも、自分たちの歴史を紐解いて、時代に合わせて少しだけ形を変えれば、多くの人に神社に目を向けてもらえるようになる。
神社は元々人が集まる場所であり、知恵を出し合う場所であり、災害時の避難所でああり、地域コミュニティの拠点でした。何かのきっかけで神社に皆さんが目を向けてくだされば、それは本来の神社の役割を取り戻すことにつながっていくのではないかと思います」(九鬼氏)
話題を海外富裕層観光に戻すと、海外富裕層インバウンドが話題になっている背景には、多くの地域でオーバーツーリズムが課題になっているなか、観光客数ではなく消費額を上げていく取り組みが求められていることがある。
「巡礼」「トレイル」を基本とする熊野観光は海外富裕層からの支持を得ているものの、それぞれの消費額は決して高くはない。民宿ちかつゆでは、コロナ禍以前は1泊2食付で1万円程度だった価格を1万3600円〜と設定し直した。
訪れた海外富裕層のお財布事情を鑑みれば、現状でも割安であるだろう熊野観光。田辺市熊野ツーリズムビューローでは外国人観光客の消費額を上げていくことをどう考えているのか?
「日本で訪れるべき価値があるのは文化観光だと思うんです。まず、自分たちの文化に価値があるということをみんなで認識して、値決めをしていければいいなと思います。ついつい豪華なホテルで高額な宿泊費をいただくという発想になってしまいがちですが、それは熊野の良さではありません。それでは世界の他の観光地との競争に負けてしまうでしょう。
日本の民宿に泊まるということも文化体験であると置き換えれば、きちんとした価格で提供できるはずだと思うんです。海外のお客様が求めているのは、まさにそういうありのままの日本体験ではないでしょうか」(多田氏)
田辺市が取り組んでいる観光戦略は地域の他にない資源を活用したオンリーワン戦略だ。だからこそ、ニッチであっても欧米豪を中心に世界中から来るべき価値のある場所だと認められ、それゆえに価格競争力も存在する。
また、地域の本質的な価値がターゲットにマッチしていることが既にわかっているだけに、さまざまな価格帯の観光商品を用意していくにあたっても、さまざまな打ち手が考えられるだろう。
これからますます日本の地域を持続させていくために、観光業の重要性が増していく。田辺市の取り組みは今後の地域のまちづくりと観光を考える上で、大きなヒントを与えてくれるように感じる。
(執筆:野垣英二 撮影:三田周)