海外富裕層ツアーのリアル。富裕層は日本のどこに魅力を感じる?
コロナの水際対策の緩和や記録的な円安を背景に、日本のインバウンド市場が盛り上がっている。日本政府観光局(JNTO)発表の2024年3月の訪日外国人客数(推計値)は308万人(2019年同月比11.6%増)と、単月で過去最高を更新した。
インバウンド消費に関する指標も、2023年の訪日外国人旅行消費額が5兆3,065億円(2019年比10.2%増)、訪日外国人(一般客)1人当たり旅行支出は21万3千円(2019年比34.2%増)と、いずれもコロナ前の水準に達している。
そして今、多くの地域が力を入れるのが富裕層観光客の誘致だ。量から質への転換を図り、観光立国基本計画でも挙げられる「持続可能な観光」「消費額拡大」「地方誘客促進」を目指す。
日本政府観光局(JNTO)が2017年に行った調査では、米・英・仏・独・豪の5市場において100万円以上消費する富裕旅行者は全体の1%、富裕旅行者の消費額は全体の13.1%を占めた。また、同調査からは本物の体験を重視する富裕旅行者の傾向やクチコミから富裕旅行専門会社やトラベルデザイナーに相談をする情報収集経路などが明らかにされている。
海外富裕層の誘客は地域に大きな利を生む出す可能性がある一方で、「不当に高い値付けをするだけでは、観光地としての日本の価値を下げる」と警鐘を鳴らすのは、海外富裕層向け旅行デザイン会社DENEBの永原聡子氏だ。
事実、「海外富裕層向け」を謳いながらも対象となる海外富裕層のニーズを汲み取れていないケースが少なくない。2泊3日400万円の奥日光ツアーが応募ゼロに終わったというニュースも記憶に新しい。
富裕層の旅行者たちは、日本での観光に何を求めているのだろうか。地方の事業者はこの好機をどのように生かし、富裕層向けインバウンドに取り組むべきだろうか。
永原聡子氏に、日本における富裕層向けインバウンドの現況とポテンシャル、そして実際の富裕層観光の現場について聞いた。
永原 聡子
Deneb株式会社 代表取締役/アトリエラパズ株式会社 代表取締役
慶応義塾大学法務博士、米国コーネル大学ホテル経営学修士号、ナンヤン工科大学経営学修士号。外資系金融機関を経て、高級ホテルの企画・開発、サステナブル・ツーリズムのコンサルティング会社ラパズグループ日本法人アトリエラパズ設立後、海外富裕層向け旅行デザイン会社DENEB創業。自然・文化遺産に新たな角度から光を当て、唯一無二のストーリーのある旅を提供。観光庁委員や環境省の国立公園活用など、政府系審議会の委員を多数務める。
予算5000万円の旅をプランニングするトラベルデザイナー
──DENEBが提供されている、「富裕層向け観光」とはどういったものですか。
旅行のパッケージプランではなく、いわゆるコンシェルジュサービスに近いものです。お客様のニーズを把握した上で、最適な旅のプランをカスタマイズして提案します。皆さん旅のスタイルは異なりますが、滞在期間は2週間ほどが多いですね。宿泊やハイヤー、ガイドに、特別な体験を加えて5000万円ほどのプランが平均的です。
当社では、お客様の相談に乗り、旅をプランニングする「トラベルデザイナー」が、最終的にガイドとして旅のサポートも行います。その他には宿泊先やレストラン、体験などの手配を行うメンバーもいます。ベンダーとなる事業者の選定には慎重なリサーチを重ね、ご依頼の際には日本のしきたりや関係性を重んじながら信頼関係を築くことを大切にしています。
──実際の旅の道中も、トラベルデザイナーが付き添うのですね。
そうですね。トラベルデザイナーが自らガイドすることで、お客様と直接触れ合う方がニーズもわかりますし、こちらのプランの意図も伝えることができます。
というのも、私たちは日本の魅力をきちんと理解していただくことを大切にしています。日本人の精神性といった形に見えない部分や、口下手な職人さんが大切にしている考えや想いにこそ、価値があることが多い。それをきちんと体験に落とし込んで適正な価格で販売することが、日本の大切な文化を継承していくことにもつながっていくと思うんです。
──どんな方がトラベルデザイナーになるのでしょうか。
まず、コンシェルジュ的な能力が重要です。お客様が「どこの国の何歳ぐらいの方で、どんな仕事をされていて、旅の目的は何なのか」を聞いた瞬間に、「こういうものが好きなんだろうな」とサッと想像できる。異文化のコンテキストを理解できることが大前提です。
その上で、「何日間どこに滞在するのか」を構成して効率よく旅を作る。お客様の特徴のほか、ベンダーさんのことも理解しておかなければいけません。「この職人さんは話が長いから、このお客様には合わないな」といった判断をする必要があるのです。
ときにはお客様を説得する話術も必要になります。なぜこの体験がすてきで、行ってみていただきたいのかきちんと伝える。たとえば、欧米では「活気のある高級レストラン」がある一方、日本の和食は高級になるほど静かな空間になります。お客様の常識を理解したうえで、「日本はこうですよ」と説明しなければいけません。
異文化のコンテキストを理解できることが前提になることから、トラベルデザイナーになる者は自然と、海外生活が長かった日本人か、日本に長く住んでいる外国人の二択になってきます。とはいえ、ホテルマンと同様に、海外でいいものを見て吸収することで育てることもできるはず。もしも、トラベルデザイナーを志すならば、短い期間でも海外に積極的に行くことは大事ですね。
魅力的な「人」との出会いを演出する
──これまで、どのような旅をプランニングしたのですか。
イギリスからの家族連れのお客様を、沖縄にご案内しました。お子様が海洋生物を大好きで、ちょうどお誕生日だったので、閉館後の美ら海水族館を貸切にして誕生日パーティーを開きました。
美ら海水族館は研究施設でもあるんです。なので、専門家の先生にバックヤードツアーを行っていただいて。さらに、ウミガメに名前を付けて海に放したり、サンゴを植えたりといった知的な学びになる体験をつくりました。
沖縄での滞在は1週間という長い期間だったので食事も工夫が必要です。ヴィラを貸し切ってシェフを招いたり、お弁当を用意して船の上で食べたりと、飽きないように計画しました。もちろん、地元の名物も食べたいので、ソーキそばのお店にご案内することも。
どれも地元の方と連携しながら、一緒にイベントづくりや観光コンテンツ造成をしていくのに近い感覚です。地域の方も、「こういったことで喜んでもらえるんだ」と気づくきっかけになるようで。ビジネスの可能性や地方の魅力を再認識していただけると、私たちもうれしいですね。
──地方だからこその魅力がありますよね。一方で難しさもありそうですが……。
私は成熟していない日本の地方を魅力的に感じますし、そういった場所の価値を発見することがミッションだと思っています。地方に行けば行くほど面白い人や体験がある。
たとえば先日は、京都から福井県・小浜市に向かう「鯖街道」というルートをご案内しながら、小浜の町屋に泊まっていただくという旅をプランニングしました。地元のお坊さんと山登りをして、護摩焚きを体験。桜が満開のころだったので、桜の木の下でピクニックもしていただきました。
ただ、地方には足りないものもあるので、旅先での工夫が必要ですし、トラブルもつきものです。
その町屋は、普段は素泊まりが基本なのですが、そのときだけは京都からシェフを呼んで朝食も出してもらうよう手配しました。
また、そのお客様もたまたまお誕生日だったのですが、地元のケーキ屋さんに「カットケーキしかない」と言われて。「ホールケーキでお願いします」となんとか頼み込んで手に入れたというエピソードもあります。地元の方のご協力いただきしながら、常にお客様の期待に添えるよう奔走していますね。
──富裕層の方は、日本の観光のどこに魅力を感じるのでしょうか。
決して、特殊な場所を貸し切って、高級フレンチを提供して――と、全てを一流にしていくことが求められているわけではありません。その土地でしか味わえない体験や出会いにこそ価値があります。
その中でも、富裕層の方たちの心を動かすのは圧倒的に「人」ですね。人気の体験は禅やお茶など日本らしいものですが、観光客向けにパッケージされたものでは満足されません。どんな人に案内してもらって、どんな会話をしたかが大切で、その会話がお客様の心を動かします。
たとえば、アメリカのご夫妻をお寺にご案内した時、僧侶にお話をしていただいたのですが、帰りの道中になって「どうしてもチップを渡したい」と、わざわざ直接チップを手渡しに戻ったことがありました。僧侶のお話を、ご自身の頭の中で思い返しているうちに、ハッとさせられたんだと思うんですね。
その僧侶は、お客様が気に入っていた香りのお香をお土産にご用意してお寺で待ち受けており、チップを渡しに向かったお客様はそんな僧侶の配慮にまたしても心打たれたのです。
こういった「人」との出会いはお客様にとって何事にも代えがたい体験になります。
なので、私たちもお客様が興味を持ったものについて、できるだけ合う人をご案内できるように、旅先でもアレンジしています。
──人との価値ある出会いをいくつ演出できるかが重要ですね。
なかでも、コミュニケーション能力が高く、空気が読める方はありがたいですね。たとえばお寿司屋さんでも、お客様が苦手な食材がある場合などに「自分が握ったものを食べないのはあり得ない」といった柔軟性に欠ける考えだと難しいんです。
「来てもらってありがたい」という思いがあったら自然と生まれる対応だとは思います。しかし、観光が商品化されて安売りされてしまった苦い体験から、外国人のお客様に対して構えてしまう場合もあるかもしれません。
私たちの役目は、地域の方にそんな嫌な思いをさせないこと。だからこそ、旅に同行しながらお客様の性格を見て、地域の方に迷惑をかけないように慎重にプランを調整します。気分によって予定を変えられるお客様なら、キャンセルが許されない体験は外すこともあります。
観光を手段として「地域の魅力」を残していくには
──地域が富裕層向けインバウンド事業に取り組むにあたって、どんな課題がありますか。
地域の方々が長く大切にしていることこそ、地域の本物の魅力なんですよね。
たとえば、地元の方が当たり前に代々続けてきた「お祭り」にも価値がある。しかし、そのお祭りのチケットを高額で販売して観光客を呼ぶというやり方には注意が必要です。
地域の方々が自発的に行っていることだからこそ美しく、価値があることもあります。地域の伝統をいきなりお金を生み出すマシンにしてしまうと、本来の魅力を失うことになってしまいかねません。
かといって放置して地域経済が循環しなくなれば、文化資源はどんどんと衰退してしまう。そこのさじ加減が難しいと感じます。
なので、その地域の観光事業に携わるすべての人が、その価値観というか、暗黙のルールを共有するべきではないかと。そこに配慮しないと、長く続く事業は作れないでしょう。
──地域で大事にしたいことに、まずは目を向けるべきですね。
そうですね。今、富裕層向けインバウンドは流行りになっていますよね。「富裕層観光は儲かるらしいからやろう」といった、短絡的な発想になってしまうと、絶対に長続きしません。地域が観光で稼ぐことはあくまでも手段であり、目的化してはいけないと思います。
観光というツールを使うことが、その地域のまちづくりに適しているから取り組む、という状況が理想で、必ずしも全ての地域に当てはまるはずがないんですよね。
他を真似するのではなく、各地域の独自のものさしが重要になってくる。そうでないと、あらゆる地域で「うちの魅力は温泉と自然です」と、金太郎あめのように同じサービスを提供することになってしまうでしょう。
──そういった視点を持ちながら、旅館や飲食店などの民間事業者が、海外の富裕層を呼び込みたいと思ったらどんなことをやるべきでしょうか。
宿泊施設なら、世界で知られているアライアンスに加盟するという選択肢があります。たとえば、食事がおいしくて高級なブティック型ホテルとなるとフランスのルレ・エ・シャトーが有名です。
あらゆるアライアンスがあるので、自分たちの特徴に適した団体に加盟することで、海外の人の目に触れることができます。また、世界中で行われている商談会に参加することも重要ですね。
このときにも、金太郎あめにならないように注意しなければいけません。「これができるのがうちです」という強みがないと埋もれてしまうからです。
──これから富裕層インバウンドが日本で長く盛り上がっていくためには何が必要でしょうか。
富裕層の方はみなさん価値を見抜く目があるんですね。価値のないものにはシビアなので、不当に高い値付けはいずれバレます。今のブーム化した富裕層向けインバウンドは、その点が少し心配です。値段に見合う価値を提供できていなければ、満足度が下がって、リピートや拡散されなくなるでしょう。観光地としての日本の価値を下げることにつながりかねません。
繰り返しになりますが、それを避けるためにも地域で残したいものや、伝えたいことは何なのか、その価値観に共感できる人たちが観光コンテンツ造成に一緒に取り組むことが大切ではないでしょうか。
決して、私たちのようなカスタマイズされた手間のかかる旅だけがいいわけではありません。適材適所のビジネスモデルを、きちんと精査してつくっていくことが求められると思います。
(編集:野垣映二 執筆:岡田果子 撮影:鈴木渉)