「短命県ツアー」を生んだ旅行会社、着地型観光で“東北”を世界へ。

地域が主体となり、地域ならではの観光プランや体験プログラムを提供する「着地型観光」。その言葉が一般化する以前の2010年代前半より、青森県・弘前市で「雪かき体験ツアー」や「ねぷた作り体験ツアー」など、地域のユニークな暮らしぶり体験の商品化を試みる企業がある。その名も「たびすけ」だ。
創業者の西谷雷佐氏は現在、青森のみならず東北全域での着地型観光のプランを販売。国内外に向け、東北の「まだ知られざる魅力」を発信し続けている。
西谷氏はなぜ着地型観光に着目し、青森、そして東北ならではの体験を販売し続けるのだろうか。また、地域に根ざす観光を推進するうえで、重要な心構えとは? 現在の活動に至るまでのルーツと起業の経緯、そして今後の活動について、話を伺った。

西谷雷佐(にしや らいすけ)
1972年、青森県弘前市生まれ。米ミネソタ州立大学マンケート校を卒業後、地元に戻り観光会社などに勤める。2012年着地型観光に特化した「たびすけ」を創業。「短命県体験ツアー⻘森県がお前をKILL」等、地域の暮らしぶりに注目したツアーを多数実施。2016年、東北の仲間たちと「一般社団法人東北インアウトバウンド連合」を創立し理事長に就任。2018年「インアウトバウンド仙台・松島」を創業(2024年4月社名をインアウトバウンド東北に変更)。ツアー商品の造成及びガイドとして訪日旅客のアテンドを行う。
アメリカでの「旅」の経験が進路を決めた。
ぼくが地元・青森県弘前市の素晴らしさに気づいたのは、アメリカ・ミネソタ州に留学していたときのことです。ぼくは高校卒業後、ミネソタ州立大学秋田校(現・国際教養大学)に、2期生として入学。3年次からコミュニケーション学と心理学を専攻するために渡米しました。
留学中、「せっかくなら夏休みも満喫しよう」と、ハワイ・アラスカを除くアメリカ48州とカナダやメキシコをバックパッカーとして周遊していたんです。特にアメリカの国立公園を巡るのは本当に楽しくて、感動的な経験を味わいました。

壮大な景色を眺めるたびに思い出したこと。それは「パッとしない」と思っていた、弘前の風景でした。食卓に何気なく置かれたりんごの美味しさや、厳しい冬を超えて春に咲く桜の美しさ。「地元民としては当たり前の風景を、いつか弘前の外へ発信できれば」という気持ちは、当時から芽生え始めていました。
その一方、母親が体調を崩したことから、卒業後は家族を支えるためにも地元で就職することを考えていました。とはいえ旅行は続けたい……趣味と仕事の両立を考えた末、ぼくは弘前駅前にある旅行会社のドアを片っ端から叩き始めます。
ノーアポで現れたTシャツ短パン姿の若者に興味を持ち、採用してくれたのは「フラワー観光」という地元資本の小さな旅行会社。入社後、ぼくは行政への営業を担当します。
当時から地元では、青森県や弘前市といった自治体が主体となり、りんご生産者の育成を目的とした海外への視察が定期的に行なわれていました。視察のプランニングを長きにわたり手掛けていたのは、大手の旅行会社。しかし、ぼくの場合は現地通訳やアテンドを、ぼく自身で担うことができました。つまり通訳を現地で依頼するのが一般的な他社よりも、人件費を数十万浮かせることができたのです。
ちなみに当時の青森県内全ての旅行会社で、英語が話せるのはたぶんぼくしかいなかったと思います。よって、大手旅行会社が担当していた「りんご視察などの海外視察旅行案件」の多くを、ぼくが担当するようになりました。

旅行業のイロハを学びながら、仕事で世界各地にじゃんじゃん行きまくった20代。2週間のイタリアから帰国し、2日後の朝に中国へ向かうこともありました。当たり前ですが、30歳を間近にして過労で倒れます。
40〜50代まで今と同じペースで仕事を続ける未来が見えない。ぼくは6年間勤めたフラワー観光を辞め、旅行関係の専門学校へ講師として転職。それでもキャリアについて葛藤する日々は続きました。
その最中の2009年度、ぼくは愛媛の松山で開催されている、日本商工会議所青年部全国大会にてビジネスプランコンテストの全国決勝大会を見る機会に恵まれました。ビジコンの世界には全く興味がなかった。でも決勝のプレゼンを目の当たりにし「こうやってやりたいことを形にするのか」と衝撃を受けました。
「まずは自分がやりたいことを整理しよう。そしてビジコンに出よう」。そう決意し、2010年度大会に出場。全国1位を獲得します。その時の発表こそ、まさにぼくが「たびすけ」で提供する事業の原型となるアイディアでした。
「知る人ぞ知る穴場」に潜む観光地としての魅力
ぼくがビジコンで掲げたテーマは「命に寄り添う街 弘前」です。もともとぼくは体調の悪い祖母のために、介護資格を取得していたんです。車椅子で観光地を巡ることの大変さも、介護をする身として痛感していたので、体の不自由な外国人観光客でも安心して弘前を旅行できるような「インバウンド向けバリアフリー観光」を実現できないか、と考えていました。
当時はまだ「インバウンド」という言葉も流行する前で、青森に外国人がいることすら珍しい時期。でも本心から「やりたい」と感じたことを形にしたら、内容が評価され優勝した。自分の気持ちが「やりたい」から「やらなきゃ」に変わる瞬間でした。ビジコン後に専門学校へ辞表を提出。2012年4月、「たびすけ合同会社西谷」を創業します。
当初はビジコンのアイディア通り、バリアフリーの観光プランを提供していました。ただ、現実では思った通りに進みません。そもそも体が不自由な人は、「迷惑がかかるだろうから」と旅行に消極的。なかなか顧客獲得までに結びつかないことに気づいたのです。
そこでバリアフリー旅行の販売は継続しつつ、新たに着手したのが「着地型観光」の商品開発です。
20代で観光業に足を踏み入れた時から常々感じていたのは、どの旅行会社の「弘前観光」も、内容が同じだということ。当時の首都圏旅行会社が作る弘前旅行の行程表には「弘前公園」と「津軽藩ねぷた村」しかないんです。地元民のぼくなら、弘前の魅力をもっとたくさん紹介できる。そんな想いを胸に、よりニッチな体験ができる商品を企画し、国内に向けて販売するようになります。
最初に商品化したのは、津軽地方に代々伝わる「鬼伝説」をテーマに、人々を助けてくれる鬼を祀った神社を巡る「鬼神社巡り」のツアー。そして地域の限られた人だけが利用するような水源を巡り、湧き水を汲むツアーでした。

SNSも普及していない時代、新聞広告で宣伝をしたところ、なんと参加者の9割が地元民。まさに予想外の結果でした。弘前の人々は地元愛が強く「地域を再発見したい」というモチベーションで応募してくれたんです。
ツアー中、ぼくよりもその土地に詳しい参加者に、その場で解説してもらうこともあって(笑)。県外から人を誘致するためには、「分かりやすさ」、つまり現在の観光業界で注目されているインタープリテーションが必要なのだとこの頃に気づきました。
弘前のイメージとして根強いのは「桜・ねぷた・りんご」です。だからこそ県外向けのパッケージを作るなら、そのイメージに沿った商品開発が必要。そのうえで首都圏の旅行会社が用意できない、「地元出身者の自分だからこそ思いつく生活密着型のプラン」を考えることが武器になると判断しました。
「冬のリンゴ畑で枝を切って焚き火をし、焼きりんごを作る」「一般の人がなかなか参加できないねぷた作りを体験する」。経験をもとにしたアイディアが徐々に実を結んでいきました。
段階的にツアー実施エリアを弘前市以外にも拡充し、2016年には、青森が日本一の短命県である理由を探る「短命県体験ツアー 〜青森県がお前をKILL〜」というヒット商品も生まれます。

自分自身も楽しみながら商品企画を練り、実行する日々。ただ、再びふと立ち止まって考える時期が訪れます。「楽しいけど、青森だけじゃブレイクスルーはできない」と。
ちょうどその頃、復興支援の一環として、国事業を軸に宮城県が調整を行い、仙台・松島エリアに、9つの市区町村を中心としたDMO(観光地域づくり法人)を立ち上げ、インバウンドの活性化を図る、という話が挙がりました。ぼくは人のご縁があって、DMOのチームマネージャーを担うことに。 2018年、そのDMO法人の名前を「インアウトバウンド仙台・松島」と掲げ、仙台・松島エリアの訪日旅行客に向けたツアー商品の開発や、ツアーガイドの育成などに注力します。

仙台・松島エリアの観光に関わってみて強く感じたこと。それは「やっぱり世界の観光事業のなかで闘うなら、“東北”として勝負すべき」ということでした。
というのも、従来は海外のエージェントと会話しても「いや、京都と大阪、東京のような主要都市の観光しか需要がないから」と断られていました。しかしコロナ禍を過ぎてから、「主要都市を離れて3日間ほど地方に滞在できるプランが欲しい」「もっと知られていない場所での観光をしてみたい」という相談を受けることが増えてきたんです。
“Hidden gem(知る人ぞ知る穴場)”や“off the beaten track(人里離れた土地)”が注目される昨今、都心からアクセスしやすく、日本の暮らしぶりが垣間見える地域にこそチャンスがあります。東北六県はいずれもニッチな観光名所の宝庫でありながら、新幹線や飛行機で意外と簡単にアクセスができる。観光地としての伸びしろを感じました。
そこで、事業のスケールを東北全域へと拡大することを決意します。昨年2024年4月に「インアウトバウンド東北」に社名を変更しました。

双方向の矢印が、知られざる「地域の魅力」を引き出す
今後、目標とするのは高付加価値かつ“オールジャパン”な商品を展開することです。
これから先、「旅」の目的が徐々にシフトしていき「何を食べたか」「どこに泊まったか」ではなく「どこで何をしたか」「誰に会ったか」「経験を経てどんな成長ができたか」が求められるようになる、と捉えています。東北の魅力は、美しい自然が広がっていること。国立公園やロングトレイルを訪れる「アドベンチャートラベル」に活路を見出しました。


一方で、国内の航空路線を活用すれば、広島から仙台、大阪から秋田のような移動もスムーズにできる、ということが、外国人旅行客のなかでもまだあまり知られていません。いまだに「広島から東北に行くには、一度東京に戻らなきゃいけないでしょ?」と言われることは多々あるんです。
そこで昨年2024年11月から、広島と仙台、福岡と仙台など、国内便で移動できる地域での体験を横断的にプランへ組み込んだ商品の販売を開始しています。

さて、このように世界のニーズに応えられるような商品を販売する身として気づいたことがあります。それは日本の観光地域には「伸びしろしかない」ということです。関わり方ひとつで、地域の未来が大きく変わります。
たとえば、世界的なインフルエンサーが「松島最高!」なんて呟いた瞬間、明後日からは世界中の観光客が松島に押し寄せます。その時に「宿がない」「スタッフは英語が話せない」となるのは機会損失。また「とにかく人が集まって、賑わってくれれば良いや」という気持ちで観光を推進し、準備を怠ってしまうと、結果的に地域に損害を生んでしまいます。
そうならないために大事なのは、自治体と民間、両者の間で双方向的な理解や交流を活性化させることだと思います。
我々が行政に求めるのは「旅行会社をはじめ、観光に携わる事業者のもとをどんどん訪問してほしい」ということ。事業者が何を求めていて、どんなことを解決すれば、観光の経済効果を最大化できるのか。その現場の感覚がないままに次年度の予算が組まれてしまうと、地域は萎んでいく一方です。
極論ですが「観光課を訪れても誰もいない」くらい、行政職員が地域に足を運び、声を受け取ってほしい。そうすれば、ぼくたちもより良い商品を生み出し、アップデートすることで地域に還元できます。行政と民間の二人三脚で、双方向に良い効果を与える関係でありたいです。
それから、ぼくたち旅行会社は「来て」と国外に発信する以上、地域の人たちを国外へ「出す」覚悟を持つことも重要です。弊社が共同運営する「安達太良・吾妻 自然センター」では、今、台湾で“Leave No Trace”(痕跡を残さない野外活動)を推進する大学やコミュニティ等と提携し、お互いの地域の山を登り合う「歩く東北&歩く台湾」プロジェクトを進めています。
インバウンドを受け入れるだけではなく、地域の人が世界を旅するアウトバウンドもサポートする取り組みが成功事例として残れば、今後は全国で同様の取り組みを展開できるようになる。一方通行だけではなく、双方向の交流を重ねることが、より地域経済の活性化にもつながると期待しています。
地域の中と外。民間と行政。双方向の矢印が、まだ知られざる「日本の魅力」を引き出し、経済を回していくと信じています。これからもより多くの人に、地域ならではの、まさに「人生を変えるような体験」を提供していきたいです。
(取材・文:高木望)