人口1400人の奇跡の村、なぜ西粟倉村は“田舎の最先端”を目指し続けるのか
岡山県の北東部、中国山脈の谷あいにある人口約1400人の西粟倉村。この小さな山里の村が“奇跡の村”として行政・企業の関係者から注目を集めている。
村の面積の93%が山林であるこの地の人口の約15%は移住者が占める。そして、これまでに50社を超えるスタートアップが誕生しているという。
多くの地域で過疎化が問題視されているなかで、この2つの数字だけを見ても西粟倉村が異質であることが伝わるだろう。
「私は大学の農学部で森林生態学分野の研究をしていました。都会で就職するイメージができなくて、地方で森や林業に関わる仕事を探していたときに見つけたのが西粟倉村でした。
学生のときに西粟倉村の企業でインターンとして1~2週間滞在させてもらって、就活のタイミングで、西粟倉村役場で地方創生事業に携わる求人を、知人がSNSで紹介しているのを見つけました。今は西粟倉村の地方創生推進室で働いています」(西粟倉村 地方創生推進室 川上えりか氏)
「村で森林を管理する新しい組織の公募があったんです。私はそれまでは東京のIT企業で働いていて、特に森林に興味があったわけではなかったのですが、知人に誘われて西粟倉村にやってきました。
2017年にその知人の中井と2人で会社を起こして、今は村の森林を管理する株式会社百森の代表取締役をしています」(株式会社百森 代表取締役 田畑直氏)
山が好き、知人に誘われて━━、移住や起業の理由はさまざまだ。西粟倉村はそんなさまざまな個人の想いを受け止めながら、森林を中心とした独自の経済圏を作りあげている。まずは関係者の話からこれまでの西粟倉村の歩みを振り返っていく。
西粟倉村の存続をかけて立ち上がった「百年の森構想」
最初の発端になったのは、今から15年前。西粟倉村が2008年に掲げた「百年の森林構想」だ。
当時、西粟倉村では市町村合併の話が持ち上がっていた。合併によるメリットとデメリットを検討した結果、村が出した結論は西粟倉村の存続。そこから村をどのように持続可能な形で運営していくのか、改めて協議することになった。
「村民にアンケートをしたところ、約6割の住民が合併に反対でした。行政としても公共施設や下水道などのインフラ整備をし終えたばかりのタイミングだったこともあり、合併にメリットを感じなかったんです。
ただ一方で、当時岡山県下に78市町村あったなかで、地方公共団体の財政力を示す指数が最も低かったんです。そんな村が単独で生き残っていけるのか。当時総務省の地域マネージャー事業でコンサルタント事業者として入っていたアミタさんと一緒に議論していくことになりました」(西粟倉村 地方創生特任参事 上山隆浩氏)
当時、何もないように思えた西粟倉村。何か地域に資源はないのか。その議論の中で、村の93%を占める森林が、木材価格が下がったり、後継者不足で手入れが行き届かず、その価値が失われつつあることが話にあがった。「これを何とかしたい」という方向で議論は進んだ。
「村の森林の84%が戦後に植えられたスギ・ヒノキの人工林だったんです。スギ・ヒノキはだいたい45年から50年で木材として売れるようになるのですが、当時ちょうど売り時になっていたんです。これこそが地域にある一番大きな資本なのではないかと。
さらにスギ・ヒノキがこのままだと間伐手遅れ林になってしまうという状況に加えて、土砂災害などの対策のために山の手入れをする必要もありました」(上山氏)
そして、西粟倉村の人工林の木材価値を最大化することを目的に「百年の森林構想」が立ち上がった。
林業のバリューチェーンを6次産業化で変革
それまで村民の多くが森林に興味を示さなかったのには理由がある。西粟倉村の森林管理を担当する株式会社百森の田畑氏は、日本の林業の現状を「根本から成立していない」と話す。
「例えばスギの場合、人工林として60年間育てるのに1ヘクタール当たり200万円以上の費用がかかります。一方で、それを木材として売って得られる収益は全国平均で100万円程度。一から育てて販売したとして、差し引き100万円の赤字ですよね。つまり、今国内の林業の多くは根本から成立していないわけです」(田畑氏)
ただ人工林を木材として市場に出しても持続可能なビジネスモデルにはなり得ない。そこで西粟倉村では「百年の森林構想」の一環として、林業の6次産業化に踏み切る。
「西粟倉村産だから買いたいという顧客を開発しなければ、市場で価格競争に巻き込まれてしまいます。そこで西粟倉村では林業を“新産業“ならぬ“心産業”として位置付けて、百年の森林構想の上質な田舎をつくるというビジョンとともに、村の想いをのせた事業に育てようとしたんです」(上山氏)
林業の6次産業化の起点になったのが、西粟倉森の学校(現・エーゼログループ)だ。西粟倉村森の学校が担ったのは西粟倉の森林から切り出した原木の製材・加工、流通。これにより西粟倉村で伐採された木を買い取り、木材として付加価値を生み出す仕組みができた。
当初、この西粟倉村森の学校の代表を務めていたのが、現在もエーゼログループの代表として西粟倉村の地域創生に幅広く携わる牧大介氏だ。牧氏は「百年の森林構想」以前より、西粟倉村からコンサルティングを受託していたアミタ株式会社のシンクタンク部門の事業部長として、西粟倉村の地域創生に参画。「百年の森林構想」の言語化にも携わっていた。
「西粟倉村の木材の付加価値を高めて経済・雇用を生み出していくにあたっては、加工施設の存在が必要でした。当時は小規模な製材場は地域にあったものの、乾燥を含めた仕上げ工程の設備は不十分。西粟倉森の学校が、丸太の加工から流通までを行うことで、バリューチェーンを変革しようという目論見でした」(牧氏)
西粟倉森の学校は、地域の木材を無垢の床板などの内装材、木のおもちゃや家具などさまざまな商品にして販売。
次第に西粟倉村の林業は徐々に注目を集め、ヒノキのプロダクトで海外からも高い評価を得た「ようび」の家具職人・大島正幸氏のように、県外から林業のステークホルダーとなる事業者がやってくるようになった。
西粟倉森の学校の経営上の特徴はあくまで民間が主導の組織としたこと。当初はアミタの子会社の株式会社トビムシからの出資のほか、西粟倉村からは100万円の出資のみ。
助成金申請の「与信」のため村から少額の出資は行ったが、公金の割合は低く抑え、民間企業として迅速かつ柔軟に経営を行えることを重視した。設備投資の過程では、村民76名も出資。2023年3月に牧氏が代表を務めるエーゼログループに西粟倉村森の学校が参画するまで、文字通り「村民の会社」として運営された。
「最初の立ち上がりでは、村の人たちの理解を得たり、ファイナンスのための信用を得るために行政としてのサポートも必要です。
ただやはり行政は顧客の開発をするのが苦手なんです。顧客のニーズに合わせて商品を開発したり、マーケティングをしていくことが難しい。そこはやっぱり民間に任せていくべきというのが、結論です」(上山氏)
ローカルベンチャーの聖地、誕生
林業の6次産業化の成功例として知る人ぞ知る存在になった西粟倉村には、自然と林業関係者が集まるようになっていった。
ここで、西粟倉村は次のステップに進んでいくことにした。以前から課題だった雇用の問題を、林業に限らず幅広い事業を起こすことで改善しようと考えたのだ。
2015年、西粟倉村で起業する人材を発掘・育成する支援プログラム「西粟倉ローカルベンチャースクール」が開始。企画運営は牧氏が立ち上げたエーゼロ株式会社が担当した。
初年度は合計18件の応募があり、狩猟や帽子店の事業が採択された。以降、5年にわたりローカルベンチャースクールは開催され、人口約1400人の村で50社以上の会社が次々と立ち上がっていく現象は話題を呼んだ。
「当時はこの村で起業家を育成するなんて、みんな無理だと思っていました。でも私はみんなが無理だと思っていることをあきらめずにやるのが一番の戦略だと思っているんです。当時は田舎で起業なんてことを言っている地域はありませんでしたから。だからこそ人が集まったんです」(牧氏)
ローカルベンチャースクールの主催は西粟倉村。村役場もさまざまなファイナンス面でローカルベンチャースクールをバックアップした。
「当時、地域おこし協力隊制度ができたところで、政府による地方創生推進交付金事業もはじまっていました。起業を志す人材の自らの人件費と活動費用は地域おこし協力隊としての費用で捻出して、エーゼロが主体となったスタートアップを支援する仕組みは地方創生推進交付金事業で作る。
百年の森構想から一貫して、事業は民間がやるという前提はぶれていないんです。あくまで行政の役割は事業が民間で自走するまでのサポートと位置付けています」(上山さん)
木材価値の最大化から森林価値の最大化へ
西粟倉村がパイオニアとなりローカルベンチャーの概念は世に広まっていった。そしてその聖地となった西粟倉村にはさまざまな人材が集まり、福祉、教育、コンサル、クリエイティブなど多種多様な事業が生まれた。
そして「従来「百年の森林構想1.0」では西粟倉村の目指す方向性をカバーしきれなくなり、新たなビジョンが必要とされるようになったという。
そこで生まれたのが「生きるを楽しむ」というウェルビーイングを掲げるキャッチコピーと、「百年の森林構想」の後継として生まれた「百年の森林構想2.0」だ。
「『百年の森林構想』を掲げてまず林業関係者が増えていき、ローカルベンチャースクールの取り組みもあって次第に林業以外の人々も派生して増えていきました。『百年の森林構想』ではカバーできない領域になってしまったんです。
従前の『百年の森林構想』が取り組んでいたのは木材価値の最大化。6次産業化によって木材を高く売る仕組みをつくったわけなんですが、実は西粟倉村の山の木のすべてが木材として価値を生むかといえば、そうではありません。でも森林の価値というのはもっと多様だと思うんです」(上山氏)
木材としてだけでなく、森林の多様な価値に目を向けようという「百年の森構想2.0」。これにあたり西粟倉村では約6,300ある森林の地番をすべて調査することにした。
森林の現状を事細かに把握した地図を作成することで、西粟倉村の森林のマスタープランを描き、それに沿って管理ができるようにしたのだ。
そして、その森林管理を任されているのが、前出の株式会社百森だ。700人以上の山主が所有する約2600ヘクタールの土地を西粟倉村が借り受け、その管理を百森に委託する。
百森はこれまでも、いつどこのエリアの木を間引きする、そのためにいつまでに重機を入れる道をつくるなど、森林の管理計画を立てて、必要な林業事業者に依頼をしていくという業務を請け負ってきた。
今後新たな役割として、森林を利用したさまざまな事業が立ち上がった際には、百森がその窓口かつ守り人となり、西粟倉村の森林を維持しながら、事業がやりやすい環境をつくるサポートをすることになる。
「僕らは森林の管理をしている会社。西粟倉村の森林の価値が上がっていけば、自分たちの存在価値もまた上がっていきます。森林の価値向上のために何ができるかは、僕らも今考えているところです。
最近では、森林をフィールドにしたマウンテンバイクやサバイバルゲームなどを企画するなど、いろいろと試行錯誤しています。
森の価値を高めるために僕らがするべきことは、さまざまな方に山の案内をすることだと思っています。多くの人が山に入ってくれれば、必然的に山への見方が変わる。そうすると相対的に世の中における山の価値も高まってくると思うんです」(田畑氏)
次に掲げるテーマは「生物多様性」
今、西粟倉村では「百年の森林構想2.0」の旗印のもと、さまざまな事業が検討されている。すでに動き始めているのが西粟倉村、とりわけ森林に人を招き、森林の新たな価値を提供する取り組みだ。
エーゼロでは、企業向けの研修プログラムや個人ツアーを事業化。来年には1億円を超える事業へ成長する見込みだという。また、現在研修プログラムやツアーなどで訪れた人々の受け皿になる新しいホテルも建設される予定だ。
そして西粟倉村では林業の6次産業化やローカルベンチャーに続く、新たなテーマとして「生物多様性」にも取り組んでいく意向だという。
「今後、みなさんに注目をしていただくためのテーマとして『生物多様性』というキーワードはとても可能性があると考えています。『百年の森林構想2.0』では、これまでスギ・ヒノキの人工林だった西粟倉村の森林を『生物多様性』のあるものにしていきたいと考えているんです」(上山氏)
「今、世の中では『生物多様性』というキーワードでスタートアップが誕生し始めたり、大企業が本格的に取り組みをはじめています。
そういった世相を背景に、『生物多様性』に関する事業をはじめたいという方を村に呼び込んでいく動きを強めています。
エーゼロとしても事業を検討していて、西粟倉村の水田に天然うなぎがたくさんいるような里山の風景はすでにイメージができています。もう数年後にはみなさんにお披露目させていただけると思いますよ。
生物多様性と言うと堅く感じるかもしれないけれど、ようするに僕はいろいろな生き物がいて、おいしいや楽しいが増えるということだと思っています。
里山の未来とも言える場所を作り上げて、そこにアクセスできる権利をサービス化していく。そんな新しいコモンズの形成とコミュニティ作りに今取り組んでいるところです」(牧氏)
人口1400人の村のサバイバル戦略
あらためて西粟倉村の歩みを振り返ったときに驚くのは、1つの成功に固執せず、次々と新しいテーマを見つけては取り組んでいる点だ。
百年の森林構想で林業の6次産業化に成功すると、次はローカルベンチャースクールで新領域の事業創出を目指す。そして、ローカルベンチャースクールで50社という事業創出に成功すると、次は森林価値の最大化と生物多様性。
なぜこうも次々と新しいテーマを掲げるのか?
「例えばローカルベンチャーの場合、その概念が世に浸透するほど、西粟倉村は手垢のついた存在になってしまい、本当にベンチャーマインドのある人材はもっと未開拓の地を目指すようになっていきました。人材の取り合いという意味で、他の地域との競合関係もその時々で変化していきます。だからこそ、1つのプログラムに固執しないようにしています。
世の中でこれから求められるテーマに対して、少しだけ早く旗を掲げて、追い風が吹いてきたらそこで帆を張る。人口1400人の村だからこそ、数万人規模の都市では腰が重くなってしまう社会実験にも思い切って取り組むことができます。
西粟倉村がこれから日本ないし人類の未来に必要とされるテーマにチャレンジできる場所になる。これが小さな村の強みでもあるし、村としての生き残りをかけた戦略にもなるのだと思います。
西粟倉村は歴史的にも因幡街道に面していて情報と人が混ざり合う場所だったのもあって、新しいことや面白そうなことにオープンな人たちが多いように感じます。現在も、西粟倉村の人たちからは自分たちがこの村から先駆的なモデルを作るんだという気持ちを感じます」(牧氏)
1つの会社に例えるならば、西粟倉村は徹底したビジョン経営で成り立っている組織だ。
行政が中心となり、村の今後数十年のビジョンを掲げる。そしてそのビジョンのもとに、さまざまな個が集い、有機的に連携することで、村はビジョンの達成に向けて少しずつ進んでいく。
冒頭でコメントを紹介した地方創生推進室の川上えりか氏は、同じく移住者で株式会社百森の清水美波氏と一緒にちぐさ研究室というユニットを結成し、森や山に関する企画展示や情報発信、森林ガイドなどを行う。2人とも地域おこし協力隊の制度を活用して、現在西粟倉村で働いている。
『百年の森林構想2.0』とも重なる活動である一方で、彼女たちはあくまで自分たち自身の志に基づいて活動している。
「SDGsのテーマを掲げるとか、そういったことが村として必要なのは理解しつつ、私たち自身がやりたいのは地球に良いとか悪いとかいうことの前段階として、ただ森や山を楽しんでもらうことなんです」(川上氏)
「村が先進的な取り組みをやってきたからこそ、自分たちは地域おこし協力隊として西粟倉村で自由に活動させてもらえています。ただ村のためになにかしなければとの思いで動いているというよりは、自分たちが楽しんで活動していることが結果として村にとってもいい影響をもたらす。そういう関係でいれたらなと思います」(清水氏)
個々の自由な活動で地域がばらばらになってしまっても、地域の型に個人をはめこみすぎても、いずれも地域の推進力は損なわれてしまう。上山氏は地域と個の理想的な関係を築くために、新たな仕組みを模索している。
「村としては『百年の森林構想2.0』の大きな概念のなかで、個々が自由に活動できる環境が理想です。西粟倉村の自然資本は行ってみれば地域の共有財産であり、森林はコモンズのような場所です。
これまでは個々の“やりたい”が先にあって地域が支援するという順番でした。今後は、まず村が自然資本の価値の最大化に必要なテーマを先に投げかけて、事業者や出資者などのステークホルダーを募るというやり方も考えています。そして、ステークホルダーによって事業が選定されたり、その事業の収益が、ステークホルダーと地域に還元される。その間にはデジタル技術の活用も考えられます」(上山氏)
まだ構想段階のために明言はできないとのことだが、上山氏の言葉からはなんらかの方法で森林を基盤にしたDAO(自律分散型組織)的な世界観を構築しようとしている意図が伺える。
再び西粟倉村がローカルに新しい概念をもたらし、それが地方創生のスタンダードになっていくのだろうか。今後も西粟倉村の動向から目が離せない。