不動産開発からコミュニティも。三島のゼネコンがまちづくりする、地域貢献“だけじゃない”ワケ
古くは三嶋大社の門前町であり東海道53次の宿駅として、地域の文化・産業の要所だった静岡県三島市。
現在は東海道新幹線が停車する三島駅が存在し、三島と首都圏を1時間以内でつなぐ。富士山を望む景観、まちに張り巡らされた水路──。その利便性と豊かさから首都圏通勤圏内の移住先として人気を集めている。
特に近年はリモートワークが一般的になり、週5日定時に出社しなくてもよい企業が増えたことから、移住先としての人気に拍車がかかり、市内では多くのマンション建設計画が立ち上がっている。
しかし、「首都圏のベッドタウン」は三島のひとつの側面にすぎない。現在、三島のまちは、旧来の地元民や首都圏に通勤する移住組のほか、スタートアップスタジオに集うベンチャー界隈の人々、三島の地で新たな商いに挑戦する人々など、多層的・多面的なまちになりつつある。
三島駅周辺の中心市街地には個人店が多く、どこも洒落ていて活気が感じられる。シャッター商店街か全国展開のチェーン店が軒を連ねるか、というお馴染みの地方都市の景観とは異なる様相だ。
そんな三島のまちづくりに少なからぬ影響を与えてきた企業がある。地元・三島のゼネコンである加和太建設だ。
「まちづくりするゼネコン」はどうして生まれた?
3代目社長の河田亮一氏はリクルート、三井住友銀行を経て、家業である加和太建設に入社。入社当時、公共土木工事を請け負う社員数60名程度の規模だった同社を、社員数300名以上の「まちづくりするゼネコン」へと改革した人物だ。
「もともとは、まちづくりをしたいと思っていたわけではありません。先にあったのは地方建設業への問題意識です。
地方建設業は、行政と癒着して税金を使い、必要のない工事をする。そんなイメージないですか?僕も同じようなイメージを持っていて、一度は外の企業で働いたんです。
加和太建設に入社してからも、地方における建設業の必要性と向き合ったし、地域に役立つ産業になったらいいなとも思っていました。最初からゴールが見えていたわけではなく、一つひとつ考えながら実行していきました。そのうちに事業が広がっていったのです」(河田氏)
同社のターニングポイントになったのが、東京での不動産開発。リーマン・ショック後のタイミング、地元の公共土木事業が好調だった加和太建設は東京に進出して当時はまだ珍しかったソーシャル・アパートメントの不動産開発と建設に着手。そこで再び成功して利益を積んだことで、河田氏は「次は地元に還元しよう」と考えるようになった。
「僕が三島に戻ってきてから、地元の先輩経営者の皆さんとお付き合いしていると、口々に『地元で商売するならまちのことを考えなさい』と言うんです。まちの会合やイベントに連れ出されているうちに、まちのためにできることをやる姿勢がかっこいいと思ったんですね。
それで、東京のプロジェクトで利益が出たタイミングで、節税も兼ねて地元に還元しようと思いました。そのとき、三嶋大社の門前通りの土地のオーナーが『まちのために使ってくれるなら、誰かに土地を売りたい』と話していると聞いたのです。それでできたのが『大社の杜(もり)みしま』です」(河田氏)
当時の門前通りはまだ寂れていて、決してビジネスとしてのうまみが感じられる土地ではなかった、しかし、加和太建設はこの土地を購入。試行錯誤の末、複合商業施設「大社の杜みしま」を2013年11月にオープンさせた。同施設には「アソビが生まれる粋な裏路地」というコンセプトで10店舗以上の飲食店・商店が軒を連ねた。
そしてこの過程で河田氏に徐々に三島のまちづくりの当事者としての意識が芽生え始める。
「三島の歴史を語る上で重要な門前通りの土地を購入したことで、土地の由来、文化、そしてまちで今起こっていることに目が向くようになりました。年間300万人も訪れる神社の参道がなぜこんなに寂れているのか。伊勢神宮のように商店がたくさんあれば人の流れができるんじゃないか。そんなことを考えて複合商業施設にチャレンジしてみたんです」(河田氏)
当初はスターバックスを誘致するなどの計画を立てていたという河田氏。しかし、当時まだ閑散としていた場所に来るはずもない。「自分たちでやるしかない」と腹を決め、テナントにも「チャレンジすること」を条件にして、リーシングを行った。
ホテルの新業態カフェ、アイス工場の直売店、食品加工メーカーの土産物店など。さまざまなチャレンジが集まった「大社の杜みしま」にはオープン後の6年で延べ250万人以上が来場した。
結果的に「大社の杜みしま」は2019年に閉鎖を迎えたが、何より三島の地に突如できあがったデザイン性の高い複合商業施設は地域住民にインパクトを与えた。そしてまだ30代の若き経営者が地元に大規模な投資をしたという事実は、地元経済界や行政にも強い印象を残した。
三島を「日本で一番チャレンジできる街へ」
そして、どこよりも「大社の杜みしま」から強い影響を受けたのは、加和太建設であり河田氏自身だった。
「大社の杜みしま」を契機に、加和太建設にはデベロッパー、仲介、管理などの不動産業としての相談が舞い込むようになった。ここからエリアマネジメントの視点をもった「まちづくりする建設会社」としての側面を強めていく。
また、河田氏自身も「大社の杜みしま」のオープンからほどなくして、三島に点在していたまちづくりの活動をつなげようと、地元の同年代の経営者とともに2015年にまちづくりNPO法人みしまびとの創業に参画。
会社としても個人としても、三島の未来と向き合うようになっていった。
どうしたら三島がよくなっていくのか。その問いは次第にどうすれば三島を面白くするチャレンジが生まれるのか、ひいてはチャレンジする人を増やせるのか、という問いにつながっていった。
「大社の杜みしま」の跡地に設置された「LtG Startup Studio」もまた「日本で一番チャレンジできる街へ」をミッションに掲げたプロジェクトだ。
2021年11月に開始した「LtG Startup Studio」ではシード期のスタートアップを対象に事業の相談に乗るほか、起業家の集うコミュニティ・ピッチイベントの運営、そして三島信用金庫や静岡銀行などの地元金融機関と連携したファイナンスのサポートまで行う。また、加和太建設も直接4社への投資を実行している。
同スタジオのゼネラルマネージャー 和田亮一氏は東京でスタートアップスタジオの運営を経験した後、河田氏の誘いを受けて三島へ移住。「LtG Startup Studio」ではこれまで21社のスタートアップに伴走してきた。
「最初に『チャレンジする人を増やそう』とミッションを決めました。サポートするスタートアップは事業をスケールさせることを目的としているので、そのチャレンジがすぐに三島に何かもたらすかはあまり重要視していません。そのチャレンジが成功したときに『実は三島からスタートしたんだ』と、次世代に伝わっていけば良いという考えです」(和田氏)
支援するスタートアップは多様だ。CEOが都会に疲れて三島に移住してきたというAI音声解析の企業、パーソナルトレーニングジムを経営する三島在住者による鍼灸師のための動画プラットフォーム、デイサービス従事者による新しい介護向けサービスなど。
施設内には会員制カレー店の6curry&Saunaが入居しており、スタートアップ企業のメンバー、そして6curry&Saunaの会員となった地元住民の交流の場となっている。
「6curry」は東京でコミュニティ形成を行うユニークなカレー店として、さまざまなメディアで取り上げられてきた知る人ぞ知る存在。「6curry」代表の新井一平氏が三島出身だった縁もあり、2023年から加和太建設グループに参画することになった。
それぞれ東京でコミュニティと向き合ってきた新井氏と和田氏が図らずも口を揃えるのは、三島のコミュニティの多様性だ。
「LtG Startup Studioの特徴にもつながるのですが、三島にはさまざまなコミュニティがあって、それぞれが相互に応援し合っています。コワーキングスペースの三島クロケット、ゲストハウスのgiwa、コミュニティハブのみしま未来研究所も。外から人たちを温かく受け入れて、『なにかやりたい』という人を応援してくれるのが三島の特殊性だと思います」(和田氏)
三島を小さなハッシュタグの集合体に
不動産だけではまちは成立しない。そこには人がいなくてはならないし、人の営みにはコミュニティが不可欠だ。和田氏が三島のコミュニティの例として挙げたうち、三島クロケットとguest house giwaはどちらも株式会社シタテの代表 山森達也氏が運営する場だ。
「こめさん」という愛称で親しまれる山森氏は東京からの移住組。三島への移住のきっかけは仕事場である東京とアクティビティに出かける西伊豆の中間地点だったからだという。2019年に三島へ移住して、しばらくは東京の会社へ新幹線で通勤していた。
特に三島のことをよく調べずに移住してきた山森氏が最初に驚いたのは「誰が移住者だかわからない」ほど、移住者がまちに溶け込んでいること。首都圏に対する憧れも偏見もどちらも感じなかった。せっかく移住したのであれば地元と関わりたいとNPO法人 みしまびとに入り、そこで河田氏とも出会った。
コロナ禍になり、「脱東京」という声がよく聞かれるようになったとき、すでに移住先としての三島の可能性を肌で感じていた山森氏は移住を促進する側に回ることを決める。
そして、2021年に住居一体型のコワーキングスペース「三島クロケット」とゲストハウス「giwa」を開業。一時的にでも三島と外の人が交わる場をつくることで、移住のきっかけになればという考えだった。
ちょうど加和太建設がまちづくりの一環としてコワーキングスペースを始めようとしていたタイミングと重なり、三島クロケットは加和太建設が所有する物件で、運営を受託する形ではじめることになった。
「三島クロケットの利用者は東京の企業に務めるリモートワーカーが約半分。あとの半分がフリーランスや自営の方たちです。コミュニティへのコミットは人によりますが、一緒に西伊豆に出かけたり、小田原で開催されていたワーケーションイベントに参加したり。コワーキングスペース自体は雑談をしながらゆっくり仕事をしたいときに来るような場になっています」(山森氏)
現在、山森氏は東京の会社を辞めて、株式会社シタテとして三島クロケットとguest house giwaの運営及び三島の関係人口づくりに勤しんでいる。山森氏は自らの活動の先に描く三島のイメージを「ハッシュタグがたくさんあるまち」と表現する。
「三島はどうしても東京よりも出会いの数が限られます。だからこそ、三島をおもしろくするためにも、おもしろい人に来てもらいたい。
三島には宇都宮の『餃子のまち』というような呼称は必要ないと思っています。三島の取るべき戦略は『●●のまち』になることではなく、小さなハッシュタグをたくさん集めることなんじゃないかな、と。
今、ウイスキー愛好家の間で話題になっている門前通りの『Whiskey&Co.』も東京の銀座で聞いたら99%の人が知らないでしょう。でも感度の高い1%の人は知っていて、それが入口になって三島に訪れるかもしれない。
そういうたくさんの小さなハッシュタグが入口になって、結果的に多くのおもしろい人たちが三島にやってくる。その人たちの掛け合わせで、三島におもしろいことが起きるのではないかと思っているんです」(山森氏)
広がる、三島との“関わりシロ”
山森氏のハッシュタグという言葉を借りるならば、近年の三島ではWhiskey&Co.の「#ウイスキー」、6curry&の「#カレー」「#サウナ」など、多くのハッシュタグが増殖しつつある。
三島に存在する数多のハッシュタグの起源とも言えるのが、実は「#映画」。三島のコミュニティをまとめる目的で市民参加型の映画づくりのために生まれたNPO法人・みしまびとだ。前述のように河田亮一氏が創業に参画し、山森氏が移住間もない時期に入会したコミュニティでもある。
現在理事長を務めるのは三島市役所の公務員でもある山本希氏。三島生まれの三島育ちだが高校生のときには「将来は絶対に東京に」と考えていたという山本氏が、みしまびとに関わるようになったのは、純粋な「映画をつくってみたい」という動機だった。
とにかく映画づくりが楽しく、プロジェクトメンバーの誰よりも出席率が良かった山本氏は、まちの顔役でもあった前理事長から自分とは真逆の存在として理事長に指名された。
映画のプロジェクトがひと段落した2016年頃、次に何をしようか話し合っていると三島市立中央幼稚園の廃園が話題にあがった。
「映画づくりを振り返ったときに、普段出会わない人たちの出会いの場になっていたし、地域に対して熱い想いで行動している人たちの背中を見ることができていました。それがすごく良かったと感じていて。同じようなことが日常で起こるような場所が欲しいと考えました。
手を尽くして空き店舗などを探しているときに、中央幼稚園の跡地を利用する話が持ち上がったのです」(山本氏)
園舎のリノベーションにあたっては加和太建設が投資し、成瀬・猪熊建築設計事務所をはじめとするブレーンを集め、施工までを担当。2019年にみしま未来研究所が開所した。
施設内はカフェバー、コワーキングスペース、レンタルスペースで構成され、お店番のボランティアが日替わりになっていることで、新しい出会いや交流を促している。
「地域のリーダーを育てること、地域に関わる人を増やすこと。この2つを実現するため、みしま未来研究所は地域のおもしろい人と出会える場であり、入口のような存在になろうとしています。地域とつながりたいという移住者の方の利用が多いのですが、まずは三島を知って好きになってもらい、何かチャレンジしたいことがでてきたら全力で応援する。そういう場所を目指しています。
今、三島にはさまざまなオープンなコミュニティが増えていて、まちとの“関わりシロ”が広がっているように感じます。三島にはこれから数年で多くのマンションが建設する予定です。これまでの三島住民とはまた異なる人たちをどう迎え入れていくか。そのときのことも考えて、今できることをやっていければいいのかなと思いますね」(山本氏)
まちづくりを地方ゼネコンのスタンダードに
加和太建設が直接関わっているものもそうでないものも含め、多面的・多層的なコミュニティが三島におもしろい人を呼び込み、おもしろいアクションを生み出す。加和太建設は「場」を軸に全方位的にそのエコシステムをサポートしようとしている。
複合商業施設などを「点」で建てるだけではまちへの影響力が十分ではないと考えた河田氏は、三島の中心市街地の特定エリアに絞って約40の土地・物件を購入。「面」でまちの魅力を向上する不動産開発に取り組んでいる。
また、最近では「人」へのアプローチにも積極的だ。LtG Startup Studio に加え、2023年からはじまった加和太建設が運営する三島まちなかチャレンジプログラム「みしますきー」では、三島でお店をはじめたいという人を募り、無料で相談に乗り、物件の紹介を行っている。
「三島が魅力的なまちになるに連れて、高くても買いたいという人が出てくる。そうすると何が起こるか。マンション開発がはじまります。人が住む場所が増えるのは良いことだけれど、その一方で三島を構成していた魅力的な物件がマンションになってしまえばエリアの魅力は失われていきます。
だから僕らは何に使えるかわからないけれど、必死に土地や物件を購入しているんです。でも空き物件のままにしておくわけにはいかない。だから同時に三島で挑戦したいという人を増やそうとしているんです」(河田氏)
加和太建設のまちづくりへのコミットは徹底している。しかし、慈善事業で行っているわけではない。「大社の杜みしま」を手掛けて以降、加和太建設は地域での存在感を増し、不動産業もゼネコン業も多くの相談が舞い込むようになった。
河田氏はこれが新しい地方ゼネコンのモデルのヒントになると考えている。
「地方ゼネコンはどうしても目の前の意思決定者との会合だけが顧客接点だと思い込みがち。そうすると見積もり競争になり、身を削っていくだけです。
でも実際はその意思決定者の奥さんの友だちの評判が受注を左右することだってあるわけです。つまりB2GやB2Bのマーケットで商売しているゼネコンもB2Cを意識してブランディングするべき。
そのために地域の課題を解決したり、まちづくりするのはとても合理的な戦略だと思うんですよ。ゼネコンは課題解決産業になっていくべきなんです。課題解決に会社のリソースを使い顧客接点を獲得して、最終的に工事や不動産でマネタイズすればいい。
たぶん旧来のゼネコンの多くも地域のために仕事をしていたと思うし、人口が右肩上がりだった時代は、政治家と上手く付き合いながらどんどん公共事業をこなすことが地域のためになったのだと思います。
でも、人口減少フェーズに入ってルールチェンジが必要になってきた。おそらくいつかは業界全体が変わるでしょう。僕らがやろうとしていることは、そのルールチェンジの時間を早めること。僕らのやり方を他の地域にも広げていければ、と思います」(河田氏)