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【山田桂一郎】ニッポンの富裕層観光ブームの落とし穴。真の「観光立国」とは

2024.07.05(金) 18:02
【山田桂一郎】ニッポンの富裕層観光ブームの落とし穴。真の「観光立国」とは

多くの地域が、観光客の増加による経済活性化を目指している。昨今では、海外からの富裕層観光客を地方にも誘致することで、消費額の引き上げを狙う地域も少なくない。

しかし、スイスの山岳リゾート地・ツェルマットの観光局等、海外のDMOで経験を積み、政府から「世界トップレベルの観光ノウハウを各地に広めるカリスマ」として認定され、長年に渡って地域の観光振興に携わってきた山田桂一郎氏は、こうした富裕層観光“ブーム”には問題があると指摘する。

日本の地域は富裕層観光とどのように向き合い、地域活性化につなげていくべきか。ツェルマットと、現在山田氏が観光推進を支援する気仙沼市の事例を交えながら語っていただいた。

富裕層観光の前に、地域が向き合うべき課題

──まず率直に、山田さんは日本の富裕層観光をどう見ていますか。

地方で富裕層狙いの観光サービスやプロダクツを企画、販売しても、「作ったはいいけど売れません」という話をよく耳にします。富裕層とは誰のことで、なぜ彼らをターゲットとしたいのか。販売チャネルを持っていなければ、情報の届け方もわからない。そもそも富裕層獲得は何のためか、と言う目的を曖昧にしたまま取り組んでいるのでは上手くいくはずがありません。

富裕層にもいろいろな層がいますよね。しかも、多様な趣味趣向、価値観、ライフスタイル等、トップエンドほど教養も高い成熟したマーケットなので、究極のONE TO ONE マーケティングと言えます。もちろん、簡単にはカテゴライズできません。例えば、ブルガリホテルの一番高い部屋に泊まる観光客が、高野山の宿坊に泊まりたいかというと、泊まりたい人もいればそうでない人もいるでしょう。

その地域がターゲットにする富裕層とは誰なのかを定義しなければいけないのですが、それ以前の課題が多すぎます。

山田 桂一郎

JTIC.SWISS 代表
1965年三重県津市生まれ。87年スイス・ツェルマット観光局日本人対応インフォメーション、セールスプロモーション担当。92年JTIC.SWISSを設立、代表に就任。05年観光カリスマ(内閣府・国土交通省・農林水産省認定)に選ばれる。民間企業のほか、多くの省庁や地方自治体の委員、プロデューサー等務め、教育機関でも教鞭をとっている。近年は日本各地のDMOを中心としたマーケティング&ブランディングを推進。『観光立国の正体』(新潮新書:藻谷浩介氏との共著)、『知られざる日本の地域力』(今井出版:共著)。

──それ以前の課題とは?

観光振興に取り組む理由がはっきりとしない中で盲目的に「観光まちづくり」を目指す地域がありますが、それは危険です。豊かな資源があり農林水産業や他の産業で地域が生計をたてられるのであれば、必ずしも観光産業を推進しなければならないわけではありません。但し、人口減少社会では定住人口が減った分だけ消費や投資も落ち込みます。地域経済を支えるためにも観光と言う外貨獲得はどの地域でも重要な手段の一つだと言えます。

私が地域を支援するときは、地域の理念づくりからKGI、KSF、KPIの設定、戦略と計画化、地域経営の推進体制、財源の確保等、多岐に渡ります。特に地域の総売上や取引、PL等を把握するために産業連関表をサーベイ式で作り直すことをお薦めしています。まずは、その地域の全産業の売上や取引を明らかにしてみる。外貨獲得が出来たとしても、移輸入が多過ぎて漏れバケツ状態になっているため、域内経済循環が加速しない地域が多々あります。

地域内で必要な観光消費額や域内調達率を高めてどれくらいの経済効果を出すべきかを明確にすることが先です。その後、マーケティングに取り組む時も、3CやVRIO・PESTそれぞれの分析をしっかりと行ってからターゲットとする主要な市場を決めています。

そこで富裕層向けビジネスの必要性があれば、富裕層市場の調査と把握を進めながら地域に合ったターゲット市場を開拓します。ただ闇雲に富裕層獲得にに取り組んでも途中で必ずつまずくことになります。

最初に地域経営の考え方として、地域を一つの会社と見立てることです。総人口が全従業員とその家族の数です。つまり、会社を存続させ、社員を養うだけの売上や利益だけでなく、人々を幸せにすることを第一義とした経済活動を実施すべきなのです。

──会社で言う「事業ポートフォリオ」のようなものがあって初めて、観光をやるべきか富裕層向けにするべきかが見えるわけですね。

そうです。そのうえで重要になるのがSTPマーケティング上の「P:ポジショニング」です。数ある日本の観光地のなかで、自分たちの地域をどこに位置づけるのか。そのためにはまず地元の本質的な価値を理解できていなければなりません。

以前、奈良県吉野町の事業者に「この町で一番大事なものは何ですか」と聞いたことがありました。すると多くの人が「桜」だと答えた。確かに吉野山の桜は有名ですが、世界遺産に登録されているのは「紀伊山地の霊場と参詣道」。金峯山寺や熊野古道といった宗教的な価値と歴史があり、その参道に桜が植えられてきたわけです。

その地域で築いてきた本質的な価値は桜ではないですよね。今ではそのような発言をする人は少なくなり、地域全体で価値を守り、将来へ引き継ぐために活動する人が増えています。ただし、このような地域の本誌的な価値を認識していないところは全国各地に今でも多々あります。

どの地域も消費されるだけで、本質的な価値を失うのは避けたいはずですよね。できれば伝統や文化に共感してもらい、みんなで一緒に大事に守っていきたい。ブームに乗って富裕層向けの観光サービスや商品を企画、販売したことでたまたま人気が出る可能性もゼロではありません。しかし、それで訪れた人は地域にとって「本当に来てほしい人」なのか今一度問い直してほしいです。

──市場を理解して、自社の強みを踏まえながら適切な事業ポートフォリオとポジショニングを考える。まさに会社経営と同じですね。

地域全体で観光産業を基軸にして稼ぎたいのであれば、当地の市場の全体像をピラミッド構造として捉えることが重要です。「富裕層狙いだから5つ星ホテルだけ作ればいい」というわけではありません。王室が訪れるようなリゾート地にも、4つ星以下のホテルやユースホテルはあります。

訪れる観光客の懐事情はさまざま。ピラミッドの各階層に合わせたマーケティングを行うべきです。もちろん地域によってピラミッドの大きさや階層は異なるので、それぞれの市場に対して適切に捉える必要があります。

そして、当地のピラミッドのトップエンドである富裕層を狙うなら、まずは地域で提供するサービスや商品等の価格帯の上限を引き上げながらバリエーションを増やすことが必要です。例えば、安くて美味いことをウリにしている地域の飲食店は多くありますが、同じ地域に1万円の定食を提供するお店があっても良いはずです。

まずは、松・竹・梅のように3段階の価格帯のカテゴリーが用意できると良いですね。一般的な行動経済学的な考えでは真ん中のカテゴリーが最も売れるとされていますが、観光では遠方から訪れた客ほど上位のカテゴリーから選びますから、シャワー効果が期待できます。

──なるほど、その他に地域が富裕層を迎える上でできることはありますか?

日本にはまだローカルガイドが足りていないように感じます。日本におけるガイドは添乗員やバスガイドのようなイメージですよね。本来、ガイドは地域の価値を伝える「インタープリター」として高度な専門性と地域性が求められる役割です。私もスイスや日本で個人的にガイドを依頼されることがありますが、富裕層を誘客するのであれば高品質で優秀なガイドも同時に必要になるでしょう。

2018年の法改正で通訳案内士の資格を持っていなくても有償の観光ガイドをすることが可能になりました。富裕層だけでなくSITなどの個人旅行者が増えることで、今後は観光ガイドの市場が拡大することが期待されます。私の知っている限りでも、各地で年間1000万円以上稼ぐガイドが増えています。もちろん、素晴らしいガイドは高額なチップも期待できます。今後、専門性が高いガイドや地域に根差したローカルガイドのほか、エコツアーガイドやスキーガイド、ダイビングガイドなど、さまざまな専門分野のガイドの需要が高まるのではないでしょうか。

ツェルマットから学ぶ、生き残り戦略としての観光

©︎Adobestock

──山田さんが勤めていたツェルマットやヴァレー州の観光局など、スイスや欧州の取り組みから、日本の地域が学べることはあるでしょうか。

そもそも、スイスの山岳地帯は田畑もない放牧しかできないほどの資源が乏しい地域でした。長年、男たちの出稼ぎ労働で収入を賄っていた。近年になってアルプスの登山ブームで注目され始めた観光産業に取り組むことで、地域が飢えずに食べていくために必死になって観光産業に取り組むしかなかったのです。自然資源が豊富な日本とは環境が大きく異なります。

また、ヨーロッパではグランドツアーといって裕福な貴族の子息が家庭教師とともに馬車で旅するのが、観光が始まった一つのカタチです。ツェルマットも富裕層が登山のために訪れたのが観光業の発端でした。一方、日本はお伊勢参りのような大衆の旅によって、街道で宿泊・飲食業が発展した。観光の歴史が異なるので、蓄積されたスキルや戦略も異なるわけです。

こうした前提を踏まえたうえで、地域で稼ぐ体制化や推進組織体のマネジメントやブランディング、地域全体でデータに基づいたマーケティングを実施していることからは学ぶべき点があるでしょう。

──詳しく伺えますか。

ツェルマットの基本的な観光戦略は、リテンション戦略です。一度訪れたお客様に継続的にお付き合いいただくことで、ライフタイムバリュー向上に最も注力しています。

例えば、ツェルマットを20年間、20回訪問すると「ロイヤルゲスト」として認定されます。住民が自ら建設したツェルマットのフラッグシップである五つ星ホテルのラウンジで、週に一度表彰式を行っています。マッターホルンデザインの金バッジを贈呈して、滞在中は必ず身に付けていただく。どの施設でもスタッフは「この人はロイヤルゲストだ」と分かるので、特別な対応が可能です。例えば、来店時に挨拶をするだけでなく、“Welcome back”と声をかけたり、眺めのいい席へ特別にご案内するといったおもてなし対応ができるのです。観光地やリゾートにとっては、CS(顧客満足度)とCL(顧客ロイヤルティ)のどちらも向上させることが最大のミッションです。

これはツェルマットや他のラグジュアリーリゾートでは、地域全体でCRMができる体制があるからこそできることだと思います。20年間毎年違うホテルに宿泊しても、同じゲストだと把握できます。スキーパスや登山列車の周遊パスもICカードやアプリによりデジタル化されているので、個人単位で動向も把握できます。One to Oneマーケティングを地域全体で実践しているのです。

──ツェルマットにおける観光推進は、どのような組織体制で行われてきたのでしょうか。

地域経営体制の中心になっているのは、「ブルガーゲマインデ」という住民組織です。貧しかったゆえに住民が団結して産業を興し、住民が主体となって地域経営をするために組織化されています。マッターホルンやモンテローザなどのアルプスの登山客である貴族、富豪層を相手に、商売が出来そうだと分かった後、住民自らラグジュアリーホテルや山岳ホテル、飲食店などを立ち上げ、運営するようになりました。今は、ブルガーゲマインデが設立したマッターホルン・グループという会社が、いくつかの事業を行い、地元企業に対して出資もしています。

ただし、マーケティングを担当しているのはツェルマット観光局で、日本で言うところのDMO法人です。観光局はいわば地域を会社と見立てたらマーケティング部ですからコストセンターです。プロフィット機能は持たずマーケティングとブランディングに特化しています。Webでの情報提供やパンフレットの制作といった施策の他、問い合わせや宿泊手配を担当するインフォメーション・カウンター業務も行います。

ツェルマットの事業者には、地域全体の価値を高めなければ、自分たちも共倒れしてしまうという意識が強く、協力体制が自然と浸透しています。そのため、地域内でも事業者同士が棲み分けながらそれぞれのポジションを生かした経営をしています。結果、地域として共存共栄が可能になるのです。

──ツェルマットでは富裕層に注力してきた歴史がありますが、ポジションニングとしてピラミッドの他の層を担う事業者もあるわけですね。

もちろんです。キャンプ場やドミトリーに宿泊する人もいます。山歩きやスキーといった目的は共通していても、訪れる人によって懐事情が違うので、多様な受け皿を用意しています。

新しい地域マネジメントとDXに成功した気仙沼

──山田さんが支援している気仙沼市は、日本の地方における観光推進の成功例だと伺いました。どんな取り組みをしているのでしょうか?

きっかけは、東日本大震災を経て「水産業の一本柱ではまずい」という危機感が生まれたことです。地域の付加価値と生産性を上げるためには、既存の流通ルートで水産物を売るだけでは十分ではない。水産業と観光業の掛け合わせによる外貨の獲得に取り組むべきだという結論に至りました。水産物を輸出するだけでなく、地域で消費してもらった方が、より高付加価値化につながり、地域内の経済循環に繋がります。これこそまさに「観光立国」の考え方です。

そこで、震災後に市長直轄のチームで観光まちづくりをするという取り組みが生まれ、その後に私のところへ相談が来たので、「いきなり観光振興ではなく、まずこの地域にとって必要な観光の在り方を考えましょう」と促しました。スイスに視察にも来てもらい、行政も含めたマネジメントの勉強をしてもらいました。水産業のまちと山岳リゾートではそれぞれ全く違う性格や資源を持つ地域ですが、マネジメントとマーケティング、ブランディングの実践に違いはありません。今、お手伝いして8年目ですが、素晴らしい成果が出てきています。

──気仙沼市で成果が出ている理由というのは?

まずは稼ぐ体制化と組織化です。地域で稼ぐための連携体制となっている気仙沼観光推進機構の中には、商工会議所や市役所、DMO法人、観光協会、水産業者などさまざまなステークホルダーが集まっています。誰か一人が旗振り役となるのではなく、それぞれがリーダーシップをとっていることがポイントです。体制の中に経営ボードを置き、戦略立案と意思決定ができる体制を整えています。

あとは、デジタル戦略を推進して、毎日PDCAを回していることが大きいですね。ツェルマットと近いのですが、地域全体で顧客動向データを基にしたマーケティングを行っています。7年前から「気仙沼クルーシップ」という会員制度を運営していて、アプリとリアルカードでデータを取っています。DMOだけでなく、宿泊業者や飲食店、小売店などの地元の事業者がそのデータを活用しています。

有効なマーケティングとして、事業者のポジション「棲み分け」を明確にすることがあります。ダメな観光地では、事業者が「あっちの駐車場がいっぱいだから、うちの客が奪われているんじゃないか」という憶測だけでは揉めるかもしれませんが、データを見れば客層が違うこともわかります。競合しないと分かれば、複数の店舗で連携してキャンペーンを実施、新しい客層や市場を開拓しようという話し合いもできるようになるのです。しかも、地域としてロイヤルゲストを育てることができていることが気仙沼の最大の強みになっています。

──今回のお話で、日本の富裕層観光が向き直るべき方向が見えてきた気がします。

日本の観光は、駄目なプロダクトアウトで「あれもこれもあります」と謳っている地域が多すぎます。それは富裕層観光に限らずです。その中で偶然ヒットしてうまくいくケースもあるのですが、持続可能性は低いでしょう。そもそも相手が誰で、何を求めているのかも知ろうとせずに、自己評価だけでアピールしていては、成功を神頼みしているのと変わりません。

まずは地域の産業全体の地図を見直すこと。その中に観光業や富裕層向けのビジネスをどう位置付けるのかからスタートするべきです。

そして、ツェルマットのようにリテンションが高く、20年単位でお客様と信頼関係を築けていれば、プロダクトアウトであったとしてもこちらがおすすめしたものは購入してくれます。

皆さんも馴染みの店の大将が「いい魚入ったから」と出してくれたら、値段も確認せずに信用して食べますよね。ロイヤルティを高めた結果、その地域にとっていいお客様が集まってくるのです。

(編集:野垣映二 執筆:岡田果子 写真:鈴木渉)