三井不動産

地域住民が抱える「目の前の課題」を解決することが、社会課題の解決につながる

2023.10.27(金) 16:00
地域住民が抱える「目の前の課題」を解決することが、社会課題の解決につながる

宮城県との県境にある福島県国見町。米や果樹の栽培を主な産業とするこの町に2017年、一つのベンチャー企業が誕生した。

立ち上げ当初は事業内容も決まっていなかったこの会社は、不可能だと言われた規格外農産物の都市への流通に成功。2020年にスタートしたフェミニンケアブランド「明日 わたしは柿の木にのぼる」のアイテムは、「サスティナブルコスメアワード2020」銀賞受賞を筆頭に、いくつもの賞を受賞している。2020年には株式会社ゼブラアンドカンパニーから資金を調達するなど、今後の活動が注目されている企業の一つだ。

会社の名前は「陽と人(ひとびと)」。立ち上げたのは東京出身の小林味愛氏。国家公務員からコンサルタントを経て、地縁のない国見町で起業したという異色の経歴を持っている。小林氏が地域の人と農作業を共にしながら見出してきた、独自の「地域課題の解決方法」とは。

小林味愛(こばやし・みあい)

株式会社陽と人 代表取締役
1987年、東京都立川市生まれ。2010年に慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、衆議院調査局入局、経済産業省へ出向。諸外国の法制度調査、コーポレートガバナンス、ローカル経済圏に係る政策などに従事。2014年に退職し、株式会社日本総合研究所へ入社。全国各地で観光振興をはじめとした地域活性化事業に携わる。2017年8月、福島県国見町にて株式会社陽と人を設立。「農業を稼げる持続可能な産業にする」「女性の健康課題を改善しダイバーシティある社会を実現する」という2つの軸で規格外の農作物の流通・卸売や商品企画を手がけている。現在は子育てをしながら、福島県と東京都の2 拠点居住生活を送る。

気持ちだけでは役に立てない。無力感に襲われた東日本大震災

学生時代から、自分の生きる意味について考えていました。その時に答えは見えなかったけれど、せっかく生きているのだから社会の役に立ちたいと思い、大学を卒業して国家公務員になりました。

2010年4月に衆議院調査局に入り、年度の終わりに東日本大震災が起きたんです。衆議院議員会館の執務室にはテレビが設置されていて、地震発生からずっと津波や原発事故の映像が流れていました。

社会の役に立ちたいと思ってこの仕事を選んだのに、明らかに困っている人がたくさんいる災害時において、まったく役に立てていない。そのことに罪悪感のようなものを覚え、何か少しでも助けになれないかと休暇をとって被災地に赴きました。

でも、被災から数ヶ月の現地で必要だったのは、瓦礫撤去などの力仕事。非力な私が気持ちだけで役に立とうとしても、逆に迷惑をかけてしまう。そこから、自分にできることが見えてきた。東北、特に福島で人の役に立つようなことをしたいという思いをずっと抱いていたんです。

2015年に、日本全国の地域活性を手掛ける金融系のコンサルティング会社に転職しました。そこで、できる限り福島関連の案件に入り、1年のほとんどを福島で過ごす生活が始まりました。

福島のさまざまな地域のプロジェクトに携わり、現場感のようなものはつかめてきました。しかし、コンサルタントとしての仕事には違和感がありました。会社の収益は、国や自治体からもらう業務委託費で成り立っている。つまり、被災地からお金をいただくんです。

人事評価もどれだけ大きな案件をとってきて、利益を上げられたかで決まる。働きながら、「これで本当に福島に貢献できているのか」というモヤモヤが消えませんでした。

この矛盾した生き方をどこかでリセットしなければ。そう思い続け、2017年に退社しました。そして、福島に移住したんです。同時に会社を立ち上げたものの、事業計画はおろか、やることすら決まっておらず、あったのは「陽と人」という社名だけでした。

「どうもね」から始まるコミュニケーション

国見町に初めて行ったのは、コンサルタント時代。福島県内でも会津や郡山、県庁所在地の福島市などはそれなりの規模や知名度がありますが、国見町と聞いても正直ピンとこない人が多いのではないでしょうか。私もそうでした。でも、桃の生産量は町村レベルで日本一なんです。農業の町なんですよね。

住んでいる人たちのコミュニケーションに嘘や建前がなく、気持ちのいい町だというのが第一印象でした。畑で農作業している人に、道すがら「どうもね」と声をかけたら、「どうもねー!」と返ってくる。そこから「どっから来たんだ?」「東京?」「何しに来たんだ?」って会話が始まるんです。ビビッときて、会社をつくるならここでやろう、と思っていました。

移住してから道を歩いていると、横に車が停まりました。当時の私は東京の会社員の感覚が抜けておらず、服装は小綺麗なワンピースにヒール付きの靴。しかも徒歩。今から考えたらありえません(笑)。こんな人、国見町にはいなんですよ。だから、町の人は「誰だ?」となる。

「どこ行くんだ?」と聞かれて、目的地を伝えると「こっから歩いたら2時間かかるべ。乗ってけ」って車に乗せてくれました。車を手に入れるまでは、何度かこういったことがありました。

農作業などをするようになり、ワークマンで汚れてもいい服を買い、化粧もしなくなりました。私としては国見になじんだつもりだったのですが、今度は「前はきれいな格好してたのに、最近はボロい服ばかり着てる」「痩せてるし、金がなくて食えてねえのか?」と心配されるようになりました(笑)。

今でも農家さんのところに行くとまず「ごはん食えてるか?」と聞かれて、おにぎりなんかをもたせてくれるんですよ。地域全体が家族みたいなんですよね。

農作業を手伝う中で、やるべき事業が見えてきた

国見町に移住して数ヶ月。地域の方々の手伝いなどをしているうちに、「ここにはできることがたくさんある」という希望がみえてきました。

地域活性の観点からすると、国見町のような農業地域は「農家の所得が低い」「農業の後継者がいない」といった課題を解決すべきだと思われています。しかし、考えるべきは「何が地域の人達にとっての幸せなのか」です。

農家さんは、作業量が増えて所得が倍になることを望んでいるのでしょうか。それよりも、農作物が評価されていい取引ができることや、面倒な作業を省くことなどが、真に望まれていることなんですよね。

そして、それが達成できた結果、所得が上がったり、生産性の高い農業が注目されて農業志望者が集まったりする。世間的に言われるような課題は、結果として解決されるんです。

最初に見つけた「できること」は、規格外品として廃棄されていた桃の販売でした。会社を立ち上げたのが8月で、ちょうど桃の収穫期だったんです。桃の収穫を手伝っていると、農家さんがぼんぼん畑に桃を捨てていました。

提供:陽と人

「小さい」「見た目が悪い」「傷がついている」……そういった桃を捨てると聞いて、「じゃあこれは食べられないんですね」と言うと、「アホか! 食えるべぇ!」という返事。しかも、農家さんいわく「これが一番うめぇんだ」とのこと。

だったら、捨てないで売ればいいじゃない。そうしたシンプルな発想でした。

市場の規格外品を、都市の青果店などで直接売る。農業に詳しくない自分にとっては簡単なように思えました。しかし農家さんからは「今までも規格外の桃を東京に売ろうとしたやつはいたけど、誰もできなかった。お前も苦労するぞ」というおそろしい予言が。これを聞いて、逆に「絶対やってやる」という気持ちがわいてきました。

まずクリアしたのは資材の問題。農業界では基本的に資材は農家さんの負担になるところを、うちの会社でコンテナを手配して農家さんに配り、収穫時に出た規格外品を全部入れてもらう。

コンテナに入れてもらうところまでやってもらえば、あとは私が回収しに行く。そして出荷する。1年目は回収から輸送、販売まで一人でやっていました。1つ8kgのコンテナを運びながら、「あれ、想定以上に大変だな……?」と思いましたが、後の祭り。始めたのだからやるしかありません。

農家を救ったのは所得増より「桃を捨てなくていい」ことだった

東京に運んだ規格外品の桃は、産地や品質にこだわる旬八青果店のような店やマルシェ、催事などで売りました。それはもう、よく売れるんです。おいしい福島の桃にはニーズがあることを確認できました。問題は、売れば売るほど赤字だったこと。桃を宅急便で送っていたため、送料がかさんでいたのです。輸送費が売上を上回ってしまい、ビジネスが成り立ちませんでした。

では輸送費を抑えるにはどうすればいいのか。ヒントが見つかったのは、地元の果実専門農協の皆さんとのお茶の時間でした。国見町の人たちは「一服するべ」とよくお茶をするんです。

農協の皆さんによると、正規品は10トンなど大きなトラックに乗せて東京の大田市場まで運びます。そのトラックにけっこうな空きスペースがあるのだとか。そこに陽と人のコンテナも乗せてもらえると、宅急便の10分の1程度の輸送費で東京まで運べることが判明しました。

宅急便の箱に詰める手間もなくなり、輸送費のコストも下がり、さらに宅急便よりもコンテナ輸送の方が桃の状態もいい。こうして、農家に追加の負荷をかけず、コストを削減して利益を上げる仕組みがつくれました。

私は、規格外品を福島のおいしい桃を食べるきっかけにしてほしいと考えています。そうすると、正規品よりは安く設定するのが適正。さらに、近くの直売所に持っていって売るよりも粗利がいいラインを計算し、価格を決めていきました。

規格外品を買い取る話をした時、多くの農家さんは遠慮がちでしたね。「こんなのも売れるの?」って。でも、こちらで決めた選果の基準で、これまで捨てていた多くの桃が販売できるとわかり、とても喜んでくれたんです。それは、お金になるからだけではありません。農家さんたちは規格外の桃を捨てるのが心苦しかったんです。大事に育ててきた桃だから、本当は多くの人に食べてもらいたい。それが叶うことがうれしい、と言っていました。

農家さんにとって「所得が低い」はたしかに課題ですが、その手前に「大事に育てた桃を捨てなくてはならない」という困りごとがあった。それを解決したら、結果的に農家さんの所得が上がった。

これが、私達の会社でやっていることの本質です。「陽と人」は国見町に住む人達の困りごとを持続的に解決する会社、なのです。

嘘をつかないものづくりで、世界初の柿の皮コスメが誕生

国見町では、桃の季節が終わると、米の収穫が始まり、11月頃からあんぽ柿作りのシーズンに入ります。あんぽ柿は渋柿を硫黄で燻蒸し、乾燥させて作るこの土地で生まれた干し柿です。一つ一つの柿の皮を手でむいて、ロープに通して1ヶ月以上自然乾燥させて作ります。初めて見た時は、あまりの手間に「なんてこった」と衝撃を受けました。

提供:陽と人
提供:陽と人

桃では規格外品を販売しましたが、あんぽ柿は加工品なので規格外品は出ません。では、あんぽ柿を作る工程で出る未利用資源の活用はできないか。そう考え、調査と分析を始めました。

成長途中で摘果した緑の柿、採りきれなかった熟した柿、そしてあんぽ柿に加工する過程で出る柿の皮。国会図書館などで柿に関する論文を調べ、同時に成分分析を依頼してわかったのは、カキタンニンというポリフェノールの一種が皮部分に多く含まれること。さらに、1000種類以上ある柿の中でも、あんぽ柿に使用する渋柿には多くのカキタンニンが含まれているということでした。

調べていくと、カキタンニンにはにおいケアや毛穴の引き締め、抗菌作用などがあることがわかりました。今まで捨てていた皮にこんなにいい成分があるなら、それを原料にしてプロダクトが作れないか。そうして、オーガニックスキンケアコスメブランド「明日 わたしは柿の木にのぼる」の商品開発を始めたのです。

提供:陽と人

佐賀県にある、天然由来成分だけで化粧品を作っている工場に協力してもらい、何十回と試作を繰り返しました。柿の皮を原料としたスキンケアコスメは世界初。結局、商品化まで3年かかりました。

開発やプロダクトデザインを金銭面で支えてくれたのは、株式会社フェリシモの「とうほくIPPOプロジェクト」という支援事業でした。まだできるかもわからない段階で寄付という形で支援してくださったのは、本当に助かりました。

商品開発で一番意識したのは、嘘をつかないことです。商品のロット番号を見れば、どの農家さんから買い取った柿の皮が原料になっているのか、ということもわかるんですよ。通常の化粧品ではできないレベルのトレーサビリティを実現しています。

私は消費者としてスキンケア商品を選ぶ時に、医薬品ではないのに効能効果をうたっていたり、「無添加」と書いてあるけれど何が無添加か明示されずに石油系防腐剤が入っていたりと、消費者を欺こうとしているようにも感じる商品が多いことにうんざりしていました。相手が家族や友達だったら、騙そうとはしないですよね。お客様に対してもそれくらいの気持ちで、人対人の関係を大事にするブランドをつくりたかった。それは、国見町も嘘がなく、人間関係を大事にしている地域だからです。

農薬半分・化学肥料ゼロの新農法で、環境問題に関心のある若者を呼び込む

今取り組んでいるのは、国見町の農地の土壌を豊かにすること。今年、数名の桃農家さんと1ヘクタール弱くらいの農地で、農薬の使用量を慣行基準の半分以下におさえ、化学肥料を使わない栽培方法を試してみたんです。もちろん、除草剤も使いません。そうしたら、ちゃんと作物も育ったし、本当に味も抜群。畑にはミミズがたくさんいて、土壌の豊かさが肌身でも分かります。栽培に手間がかかるので少し価格を上げて販売しましたが、それでも2万個以上の桃がすぐに売れました。

この環境再生型の農業(リジェネラティブ農業)を果樹でも実験を繰り返しもっと広げていきたい。

そのための協業を日本郵政グループとも2023年に開始しました。日本郵政グループが力を入れている「ローカル共創イニシアティブ」に参画し、物流と協業した環境再生型農業の推進を目指しています。

こうしたサステナブルな新しい農業に興味をもってくれる若者は、きっといると思うんです。まずはこの農法を確立して広め、それに興味を持った人が担い手として来てくれる流れをつくりたいと考えています。それが結果的に、平均年齢が70代という国見町の農業の高齢化に歯止めをかけてくれるのではないかと考えています。

2022年には、社会性と経済性を両立する「ゼブラ企業」を支援するゼブラアンドカンパニーから1,000万円の投資を受けました。陽と人の事業は少しずつ大きくなっています。でも、事業を拡大して上場するといった目標はありません。国見町のみんなは、「上場」とかあまり興味ないんじゃないかな。この会社はあくまで、地域の困りごとを解決するために存在している。結果としての上場はあるかもしれませんが、それがゴールにはならないんです。

そうそう、最近は私の子どもと国見町の農家さんで、ビデオ通話をしているんですよ。LINEも規格外品の桃や柿の皮を売るのも、農家さんにとっては未知の体験。でも変化を拒絶せず、70代以上のおじいちゃん・おばあちゃんが、「味愛ちゃんが来てから、新しいことがたくさんあって楽しいよ」と言ってくれるんです。それを聞くと本当にうれしいし、ここでできることはまだまだあると可能性を感じます。

(文:崎谷 実穂 写真:小池大介)