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若き銭湯活動家、廃業寸前の銭湯を1日350人動員の人気銭湯に成長させる

2023.07.03(月) 16:53
若き銭湯活動家、廃業寸前の銭湯を1日350人動員の人気銭湯に成長させる

日本の銭湯は今、減少の一途をたどっている。経営者の高齢化、設備の老朽化、後継ぎの不在などさまざまな問題から、地域に愛された銭湯が消えていってしまう。そうした現状を憂い、廃業寸前の銭湯の運営を受け継ぐことで地域の銭湯を残そうと奮闘しているのが、ゆとなみ社の代表取締役の銭湯活動家・湊三次郎氏だ。

湊氏は2015年、廃業寸前だった京都の銭湯「サウナの梅湯」を継承。1日で平均350人、多い時は760人もの集客がある「人気銭湯」へと成長させていった。現在、「サウナの梅湯」で培った復活モデルを基盤としながら、京都や滋賀、大阪など全国で7軒もの銭湯の再建に携わる。

では、古くから地域に根ざす銭湯を再建するノウハウを、湊氏はどのように身につけたのだろうか。湊氏自身が銭湯に興味をもったきっかけから、全国各地の銭湯へと目を向けるようになったきっかけ、そして取り組みの意義について話を伺った。

湊三次郎
株式会社ゆとなみ社 代表取締役/銭湯活動家

1990年生まれ。静岡県浜松市出身。大学で京都に進学し、銭湯の良さに目覚める。大学で銭湯サークルを立ち上げ、全国各地の銭湯を巡る。大学卒業後、一般企業に就職した後に退職。2015年に「サウナの梅湯」(京都府)の経営を引き継ぐ。現在は6軒の銭湯の経営を受託し、1軒のコンサルティングを行う。今年の7月には、新たに3軒の銭湯を継業オープンする予定。「銭湯談義」と称し、路上で銭湯について語る会を不定期で開催している。

厳かさすら感じる、「激渋銭湯」の魅力

僕が銭湯を好きになったのは、大学時代。生まれ育った静岡の浜松から進学のために京都に引っ越したら、家の近くに銭湯があったんです。地元には銭湯がなかったので物珍しさから通い始め、京都には銭湯がたくさんあることに気づきました。

さらに銭湯のことを調べていくうちに、銭湯マニアのホームページを見つけたんです。全国各地の古くて味のある「激渋銭湯」が紹介されていて、レビューの文章もおもしろく、夢中で読みました。

そこで紹介されていた京都の銭湯に行ってみたら、近所の銭湯とは違った世界が広がっていて、激渋銭湯にハマりました。激渋銭湯は基本的に建物も古びていて、寂れています。でもお湯はきれいでキラキラしてる。静かな雰囲気になんだか厳かさすら感じて、寺社仏閣を訪れるような気持ちになりました。

ところが、その銭湯が2週間後に取り壊されてしまった。こんなに良いものがあっけなく壊されてしまうのか、とショックを受けました。そこから、鉄道オタクが廃線になる路線の電車に乗りに行くように、銭湯の廃業の知らせを聞くと「一度でも入っておかなきゃ」と全国どこでも駆けつけるようになったんです。

全国の銭湯をまわっていると、銭湯マニアの方々と会う機会も増えていきました。そうした方々は数百軒どころではなく、1,000軒以上の銭湯に行ったことがあると言うではないですか。自分もそのくらい巡ってみたいと思い、躍起になって銭湯巡りをしました。大学3年生の時は、ほとんど毎月夜行バスで東京に来て、東京の銭湯を巡っていましたね。銭湯自体もおもしろいし、銭湯をきっかけに知らない町を訪れるのが楽しかったんです。

でも、そうした激渋銭湯の多くが、廃業の危機にさらされていたんです。老朽化、経営難、あとは後継者不足が主な理由でした。

「もっといいやり方があるのではないか」。たくさんの銭湯を見送るうちに、そう思うようになりました。美容室や飲食店などはいろいろな方法で集客し、収益を上げようと工夫するのが普通です。でも、銭湯は何もせず、現状維持で衰退していくところが多い。僕としては歯がゆいことが多く、「将来自分で銭湯をやりたい」と思うようになりました。

銭湯には、数十年の人々の営みがこびりついている

さまざまな銭湯のご主人にそれを話すと、「一度、社会に出てからのほうがいい」と必ず言われました。そこで、就活ではアパレルの会社を1社だけ受け、そのまま就職しました。

ゴルフ場やワイナリーなど、ファッションに限らず、ライフスタイル全般を提案する会社だったんですよね。面接でも「アパレルの会社が温浴事業に携わりたい」と話して受かったからこそ、銭湯に関わる事業ができると思ったんです。

でも入ってみて、新規事業を提案できるようになるまでに時間がかかりすぎる、と感じました。はじめに最低2年はショップ店員を経験しないと、本社に行けなかったのです。会社を1年も経たずに辞め、後継者を探している銭湯を探すことにしました。

新しく銭湯を作る気はありませんでした。銭湯の良さはお風呂としての魅力だけではなく、地元に根づいた歴史にもあると思っているからです。

今ある銭湯の多くは、戦後に爆発的な勢いで建てられたものです。1960年代には、全浴連(全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会)に加入していない銭湯を含めると、2万軒を超える銭湯があったのだとか。

当時は風呂なしの家が多く、日常的な入浴の場が銭湯だったんですね。大抵の銭湯には50年以上紡がれた人々の営みがこびりついている。それを受け継ぎ、後の世につなげていきたいと思ったんです。ちなみに、2015年には一般公衆浴場、いわゆる銭湯の数は約4,300まで減少しています。

全国各地の銭湯を巡って、強く印象に残った銭湯が2つあります。一つが、岡山の「清心温泉」。6年前に火事で焼けてしまったときは、とてもショックでした。ここは湯船だけの激渋銭湯で、会社員の息子さんが休みの日だけ開けていたんです。だから、月に数回しか開いてない。

ハード的にはかなり不利な条件ですが、その息子さんは1万枚のチラシをポスティングしたり、店の前に立って呼び込みをしたりして、集客をがんばっていました。

僕は以前から、銭湯に足りないのはこうした努力だと思っていたので、地道にやっている人がいたのかと感動しました。しかもそれが実を結んでいた。月に数回しか開けないことで逆に希少価値が出て、開けた日には100人くらいのお客さんが来る人気店になっていたんです。

自分が銭湯を始めたときも、清心温泉に倣ってポスティングや呼び込みをしました。新しくオープンする銭湯も、必ずポスティングはするようにしています。やっぱり効果があるんです。SNSもいいですが、結局銭湯はその周辺に住んでいる地元の人たちのもの。周りにいる人達が、週に1回、月に1回でも利用してくれれば手堅く成り立つ商売です。

もう一つは、三重県の伊賀上野にある「一乃湯」。ここは「昭和レトロ」というコンセプトで空間やパンフレットをディレクションしているんです。また、置いてあるシャンプーにもこだわりがあったり、地元の牛乳屋さんにジェラートを作ってもらって販売したりもしていました。

東京ならまだしも、地方の銭湯でここまでやれるのか、と衝撃を受けたんです。しかも今から10年前の話ですよ。この2軒の銭湯には学生の時から通って、色々と学びました。

やり方を変えれば、集客できると思っていた

そろそろ、僕が手掛ける第一号の銭湯となった「サウナの梅湯」の話をしましょう。梅湯は京都の五条楽園という旧赤線のエリアにあり、引き継いだ当時は隣が暴力団の事務所だったというなかなかハードな立地です。僕はここで大学3年生の時にアルバイトをしていました。

アパレルの会社を辞めた頃に梅湯の経営者が撤退を考えていると聞き、「僕にやらせてください」とオーナーにかけあったんです。そこで、営業委託として経営を任されました。2015年、24歳のときのことです。

僕の頭の中には「こうすればいい銭湯になる」というプランがあって、それを実現する自信もありました。前の梅湯の平均客数が1日で60前半くらいだったので、3ヶ月がんばれば平均80人くらいにはなるだろうと推測して引き継ぎました。

しかし、そううまくことは運びませんでした。最初の1年間は70人前後で推移して、一向に80人台にならない。

銭湯の損益分岐点は、賃料や燃料を何にするか、設備規模などによって違うのですが、店によってはっきりしています。それを超えればすべて利益になる。客数によって支出額があまり変わらないので、客が増えるほど収益も増える。しかも、集客変動があまり大きくないんです。

定期的に来てくれるお客さんを獲得すれば、長期に渡って微減していくか微増していくかどちらか。安定したらめちゃくちゃ手堅い商売です。

普通公衆浴場、いわゆる町の銭湯は固定資産税の減免と上下水道の減免が受けられます。自治体によっては、燃料の補助や設備の補助があるところも。梅湯は井戸水を使っているので下水代で月5万円くらいなのですが、減免がなければ数倍くらいの水道代がかかっているでしょう。

一般公衆浴場であることによりこうした減免が受けられるわけですが、一方で入浴料は定められてしまう。たくさん集客できる大きな施設なら「その他の公衆浴場」扱いを受けて、入浴料を上げたほうがいい場合もあります。スーパー銭湯なんかがそうですね。低価格の銭湯で地域の人に来てもらいたいか、多くの人を集客したいかというのは事業者の考え方によるでしょう。

僕が運営を受け継いでから梅湯では、燃料を油から薪にするなどしてコストを削減しました。そうすると、1日のお客さんが70人でも一応月15万円くらいは利益が出るんです。ただし、人件費がかからなければ、の話。当時は僕が銭湯に寝泊まりしてワンオペで働き、無理やり人件費をゼロにしていました。あとはお客さんが助っ人として働いてくれて、なんとか成り立っているぎりぎりの状態でした。

最初の1年は何をやってもお客さんが増えないし、沸かし作業や事務、風呂掃除などを一人でやっていたのでとにかくしんどかった。どんな銭湯のご主人や女将さんも「銭湯の商売は厳しいし、しんどいよ」と言っていたんですよね。その言葉の意味が、自分でやってみて初めてわかりました。

おまけに何かにつけ文句を言ってくる常連客はいるし、設備の修繕費も馬鹿にならないし、そのうち浴槽の配管が水漏れして浴槽の水がどんどん抜けていくようになってしまいました。業者に頼んでも全然直らないんです。この頃は、「1周年記念の日に絶対やめる」と心に決めていたほど追い込まれていました。

廃業寸前の銭湯を軌道に乗せるモデルの確立

転機になったのは、土日に朝風呂を始めたことでした。それが好評で売上が少しずつ伸びていったんです。僕自身がメディアに出て発信を続けていた効果が出始めたのもこの時期でした。

さらに、一番問題を起こしていた常連客を、思い切って出禁にしたんです。

同じようなタイミングで、いい業者さんが見つかって浴槽の配管も直った。諸々の事態が好転して、僕自身の気持ちも前向きになり、頑張れる気がしてきたんです。

売上が増えたら、人も雇えるようになります。そこで、夜11時までの営業を深夜2時まで延ばしたんです。それもお客さんが増えるきっかけになりました。

その翌年には梅湯の周辺の再開発が進んで、隣の暴力団事務所が移転。入れ替わるようにインバウンド需要でゲストハウスが増え、サウナブームも始まり、客数は1日平均350人まで上がりました。一番多いときで1日760人ほどのお客さんが来たこともあります。

今は、他の地域から来るお客さんが多い銭湯になりました。しかも20代、30代という若いお客さんが60%を占めています。1年目は、こんなに人気の銭湯になるなんて想像もできませんでした。

裏を返せば、今の梅湯は地元の人達や高齢者は行きづらい場所になってしまっているかもしれません。それは僕としても葛藤があります。でも集客しないと生き残れないし、商売として続けられないので難しいですね。

梅湯がある程度成功し、収益も出てきた頃、「これだったら2軒目もできるかもしれない」と思い始めました。梅湯はいろいろな条件が重なって成功したので、地方の典型的な銭湯でも僕らのやり方が通用するのか試してみたかったんです。そこで、廃業する銭湯を訪ねたりして、任せてくれるところを探しました。

そのなかで滋賀県の「都湯」という銭湯を紹介してもらいました。ご主人が亡くなられてから2年間閉めていたけれど、おかみさんはいつか復活させたいと思っていたんだそうです。そこで、ゆとなみ社に託していただいて運営を始めました。

滋賀県にある都湯

それから半年後に滋賀県の「容輝湯」、京都の「源湯」が廃業するという話が出てきたんです。どちらもすごく好きな銭湯だったから、「やります!」と手を挙げて、できるかどうかわからないけれどとりあえず始めました。

2021年4月には大阪の「みやの湯」、愛知県の「にんじん湯」を任され、今年の7月に新しく3軒のオープンを控えています。この3件がうまく回れば、ゆとなみ社のローカル銭湯復活モデルはどんな場所や条件でも通じることの証明になると考えています。

また、ゆとなみ社では「銭湯を残したい」「銭湯を自分で経営できるようになりたい」というスタッフを採用し、銭湯経営の知識を引き継いでいます。最初は梅湯でバイトや社員として働いてもらい、ある程度できるようになったら、店長として各店舗の経営をお願いするんです。

そして、各地域の銭湯でもスタッフを育成してもらい、チームとして動いてもらう。スタッフは複数の銭湯を掛け持ちするスタッフもいれば、一つの銭湯の運営に集中する人もいます。店舗数が増えていくと、全国にスタッフのネットワークができてくるんですよね。

スタッフの数も増えるほど、スタッフ同士の交流も盛んになり、レベルアップが図られていく。このチーム力があれば、まだまだ運営する銭湯数を増やせそうです。

収益化のヒントはあちこちに埋まっている

ゆとなみ社のモットーは「銭湯を日本から消さない」です。銭湯をその地域に残すことが最優先なので、収支計画を立てるときも月10万くらい利益が出ればOKにしています。現状、店舗ごとで見れば月5万くらいの利益しか出ていないところもありますし、利益が多く出ている店舗で月30万円くらい。それくらいのビジネスなんです。

だけど地域の人に愛される銭湯が残せて、ちゃんとスタッフの給料が払えたらそれでいいんじゃないでしょうか。

ちなみに、今の梅湯はグッズなど入浴料以外のところで収益を上げる仕組みをつくっていて、他の店舗とは別格の売上があります。グッズ以外にも、京都では珍しいサウナ料金の導入を考えたこともありますし、ドリンクを一工夫することもできる。銭湯をロケ地として使いたいというニーズもあります。入浴料以外で収益を上げられる可能性は至るところに埋もれているんです。

あと関西の銭湯に特有なのが、鏡に社名や製品名などを掲示する鏡広告です。もともとは代理店が広告を集めてきて、広告の入った鏡を作り、それを銭湯に持ってきて「ただで設置するから置いてくれへん?」と営業することで成り立っていたそうです。

でも、だんだん鏡広告も出す人がいなくなり、廃れてしまった。それを梅湯で復活させてみました。自分で広告主を探して、鏡を発注して、置いたんです。鏡は男女合わせて約20枚あるから、1枚2万円で1年間掲示できる広告料と設定したら、毎年40万円入ってくる。これは安定的な収入になりました。

手堅く運営していく中で、時折梅湯のようにポーンと跳ねる銭湯が出てくる。そうした銭湯をいかに意図的につくっていくかがこれからの挑戦です。

都内でも、銭湯をつぶしてマンションにするなら、僕らに任せてほしい。大々的に改装して人気の銭湯にして、利益が出るビジネスに育て上げる自信はあります。

銭湯があるかどうかで、その町の豊かさは変わると思うんです。地域の価値を銭湯の存在で上げられる。「いい銭湯があるからこの町に住もう」とか、「銭湯があるからその町に行こう」という人も少なからずいます。

戦後に毎日入る風呂場の役割を果たしていた頃から、銭湯のあり方はどんどん変わってきました。2024年には、原宿の商業施設の地下に人気の「小杉湯」が手がける銭湯ができます。こうした新しい取り組みやサウナブームに便乗するかたちで今、若いお客さんがすごく増えているんです。

でも銭湯はブームで終わってしまうものではないと思っています。日本人はお風呂に入るのが好きで、それはずっと変わらない。今まで銭湯を知らなかった若い人が、興味を持って一度入ってくれたら、一定数のお客さんは通ってくれるはず。

今年の7月には、同時に3軒の銭湯を継業オープンする予定なんです。すでに、地元の個人商店などとのコラボレーション企画がいろいろ生まれています。地域の人が気軽に集まれるのも、銭湯だからこそ。僕は銭湯の良さって、店にもお客さんにも生活の手触りがあるところだと思っています。だから、全国どこでも同じような、画一的な場所にはしたくない。地元感がある銭湯を残していきたいし、つくっていきたいですね。

(文:崎谷 実穂 写真:鈴木渉)