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地域コミュニティを成功させるのは、「代表」ではない影のキーパーソン

2023.04.11(火) 17:25
地域コミュニティを成功させるのは、「代表」ではない影のキーパーソン

これまでにない新しい地域コミュニティとして注目を集め、POTLUCK YAESUのパートナーにもなっている「U35-KYOTO」。概ね35歳以下の京都の若者が集まり、U35世代の価値観を発信したり、教育やエネルギー、文化、働き方など多数のプロジェクトを創出したりしている。このコミュニティの成功が横展開され、2022年には札幌で「U35-SAPPORO」が誕生。この流れは他の地域にも広がっている。「U35-KYOTO」の立ち上げメンバーでもある株式会社MIYACOの中馬一登氏。京都で生まれた3兄弟が立ち上げた会社だ。地域コミュニティ運営のコツについて伺った。

中馬一登(ちゅうま・かずと)
株式会社MIYACO 代表取締役

1987年生まれ。京都出身。2014年に会社を設立し、祖母の名前から株式会社美京都(みやこ)と名付ける。2021年に法人登記名を「株式会社MIYACO」に変更。「ミヤコソース」の販売や教育・能力開発事業、コミュニティ事業、地域創生事業などを手掛け、京都市や舞鶴市と連携し、若手の活躍を推進するプロジェクトを多数企画・開催している。京都で活躍する若者のコミュニティ「U35-KYOTO」の立ち上げメンバーであり、世界経済フォーラムによって組織される33歳以下の若者のコミュニティ「Global Shapers Kyoto」の元代表。

ユニークな企画力を活かして地域創生

──株式会社MIYACOは、中馬一登さんを長男とする3兄弟で立ち上げた会社です。3兄弟での会社運営は珍しいですよね。どのような経緯で今のようなメンバー構成になったのでしょうか。

もともと僕が個人事業主として事業をやっていて、それはソースの事業だったんです。

──食べるソースですか……?

そうです。僕の大好きなウスターソースの工場がつぶれかけていると知り、その味を残すため工場に乗り込んで「このソースを売らせてください」とお願いしたんです。そこから、ソースの販売以外にも事業規模を広げるために会社化しようと考えて、次男の拓也に「一緒にやろう」と声をかけました。次男は建築系の会社で働いていたのですが、このまま会社や業界で働き続けるべきなのかと悩んでいたそうです。そうしたタイミングだったので、話に乗ってくれたんですね。

だけど、次男と僕は性格が違ってぶつかることが多かった。喧嘩ばかりしている僕らを見かねて、母親が「三男を会社に入れたら?」と助言してくれました。2人だとぶつかることも、3人目がいたらバランスがとれる。ということで、東京のテレビ局で働いていた三男の諄に連絡したら、「人生一回きりやし、おもろそうやな」と、京都に戻ってきてくれたんですよ。そこから3兄弟で会社をやっています。2014年からなので、9年目になります。

──9年の間にさまざまな事業やプロジェクトが生まれる中で、地域創生関連の事業に携わるようになったのでしょうか。

創業してしばらくは、教育関連のサービスに力を入れていました。学校や教育委員会などの行政と関わる中で、地方の課題に直面することが多かったんですよね。並行して僕らの活動が「京都でおもろいことを仕掛けまくっている3兄弟の会社があるらしい」と注目され、地場会社や自治体の担当者から地域創生関連のプロジェクトに声がかかることが増えたんです。

──2018年の日経産業新聞でも「京都活性化 3兄弟走る」という見出しでMIYACOが取り上げられています。

この時期は、舞鶴の活性化のプロジェクトを手掛けていました。舞鶴は福井県に隣接する人口8万人くらいの市で、観光地としてもあまり認知されておらず、若者人口が減っているという課題がありました。そこで、「究極人(きわもの)プロジェクト」と題して、京阪神や九州の大学生100人を舞鶴に集めてイベントを開催したんです。

2泊3日でグループ行動し、「地元のお寺で記念写真を撮る」「ヒッチハイクをする」「町の人と物々交換をする」といったミッションを設定。それらをクリアしていくことで、SNS上で舞鶴の魅力が発信されていくという仕掛けです。インスタグラムで共通のハッシュタグをつけて投稿してもらい、最終発表の動画は舞鶴市のYouTubeアカウントで配信しました。

舞鶴にこんなにたくさんの学生さんが来ることはなかったので、到着するなり駅で地元のおじいちゃん・おばあちゃんが大歓迎してくれたんですよ。学生さんたちも「こんなに親切にしてもらえるなんて」と感激していました。このイベントはNHKの取材が入り、さまざまなメディアで取り上げられました。

──ゲーム感覚で舞鶴市の魅力を見つけてもらうイベントだったんですね。

地方を活性化するイベントは、ただ人を集めるだけではおもしろくないですから、参加したいと思えるようなフックをつくることを心がけています。たとえば、地方への移住と定住を目指して昔のテレビ番組の「ねるとん」みたいな婚活イベントを開催したり、地方のサウナで全国の人が交流できる「サウナカップ」を開催したりと、企画自体を工夫しています。

U35世代のコミュニティとして、上の世代とも下の世代ともつながる

──MIYACOでは35歳以下の京都の若者が集まるコミュニティ「U35−KYOTO」の運営にも参画しています。こちらはどのようにつくられていったコミュニティなのでしょうか。

京都市では、2021年度から5年間の都市経営を進めていく基本となる「はばたけ未来へ 京プラン2025」という基本計画を策定したんです。この策定時期に、これからの京都を担っていく若者の意見も取り入れたいということで、35歳以下の人たちを集めてコミュニティをつくろうという話が出てきて。

行政の方でどんなメンバーにプロジェクトを企画運営をしてもらうといいかと若者のキーパーソンから聞き取ったときに、その一人に僕の名前が出てきたんだそうです。声をかけてもらった時はまだ内容が固まっていなくて、初期メンバーやコミュニティの名称、コンセプトなど基本的な部分を考えるところからスタートしました。

──中馬さんとしては、どのようなコミュニティになったらいいと考えていましたか?

まずは、若者同士の横のつながりをつくり、その後で上の世代と縦がつながる、その両方ができるコミュニティにしたいと考えました。

横で言うと、個人事業主、お坊さん、アナウンサー、スポーツ選手、伝統産業の職人、庭師など、普通に仕事していたら関わらないようなU35世代同士がつながれる場になったらおもしろいと思いました

縦は、京都を実際に支えているOver35世代。その方々と若い世代が繋がることがおもしろいと思っているんです。

──若者と40代以上の世代がつながる場はあまりなかったんですね。

やはり価値観のギャップがあるのだと思います。U35世代って上の世代とトーン、温度感、空気感みたいなものが違ってやわらかいんですよね。ウェルビーイングやソーシャルインパクトに重きを置くメンバーが多い。資本主義から距離を置いているというか、お金を稼いで事業をスケールさせるといったことに興味がない人も少なくはないんです。 特に、京都の若者はその傾向が強いと感じます。僕としては、どちらの考え方も必要やと思うんですけど。

──だからこそ、そこをつなげるコミュニティを立ち上げた、と。最初はどのような活動から始めたのでしょうか。

まずは僕たちU35世代の価値観を発信することから始めました。noteへの投稿とタブロイド紙の発行ですね。僕としては、京都の50代、60代くらいの、行政でいえば部長クラスの方々に「今の京都の若者たちはこういう感性を持っているんですよ」と説明するためのツールが必要だねとなったんです。

noteを覗いてもらえれば、京都の若者のリアルな声が載っている。そうして上の世代に、若者世代への理解を少しずつ深めてもらおうという意図がありました。あとは、最初の1年間で40くらいのプロジェクトが生まれました。今まで出会わなかったような人たちが出会うと、自然とプロジェクトが創出するんですよね。

U35−KYOTO発行のタブロイド紙

──2年目からはどうされたんですか。

さらに下の世代とつながっていくために、中学校や高校での講演に力を入れました。U35−KYOTOのメンバーは、必ず京都の中学校や高校に講演をしにいく、という文化をつくろうとしたんです。京都の中高生からしたら、少し年上のお兄さん・お姉さんが自分のやりたいことが京都のまちづくりとつながっている姿を見ることが、進学先やキャリア、まちを考える時のヒントになっているのではないかと。この活動は今も続けています。

「中馬一登のコミュニティ」にならないようにフェードアウトした

──初期のメンバーはどのような構成だったのでしょうか。

僕と、MIYACOメンバーの仲田と、京都の文化や歴史に詳しい中村菜穂さんと、僕らよりも若くて社会起業家支援などをしている原田岳くん、そして、京都市の担当の方々とプロデューサー的にサポートをしてくださるOver35世代のノブさん。このメンバーでスタートしました。

──このメンバーは同じクラスにいても、仲良しグループにいるような感じではない?

そうなんです。それが良かった。全部MIYACOのメンバーだったら、うちの会社の色が強すぎるコミュニティになっていたと思います。中村さんはすごく京都人らしい目線を持っている人で、こうした感覚が京都を守ってきたんだなと気づかされたりして。この初期メンバーでイベントや相談会を開催し、それぞれがU35-KYOTOに入って欲しい人たちを呼んで、少しずつメンバーを増やしていきました。

──今、U35-KYOTOは何人くらいメンバーがいるのでしょうか。

コミュニティなので、人も役割も流動的なんですが、中心的に活動するメンバーが30~40人、イベントなどの活動をするときに100人くらいいます。

U35-KYOTOの交流会の様子

──それくらいの規模になってくると、集まる人の目的もさまざまでコミュニティマネジメントが難しそうです。

どうやって人をコミュニティに留めておくかというのは、今も試行錯誤している部分です。忙しい人ほど時間がないので、「何らかのメリットがないと来ない」ということもあって。でも、最終的にはそこにいる人に会いに来る、ということが一番の理由になると思うんです。損得勘定を超えて、そのコミュニティに居続けようとするのは、やっぱり人が理由になるなと。

でも、それを一人の人で引っ張るのは、リスクがあるんですよね。「中馬一登がいるならいく」となってしまうと、僕のコミュニティに見られるんです。U35-KYOTOの活動を頑張れば頑張るほど、僕の人脈で人を集めれば集めるほど、「中馬一登のコミュニティ」になってしまう。そう思った2年目の時点で、僕はプロジェクトマネージャーを降りました。まだU35の年齢だったけれど、フェードアウトしたんです。

──それはずいぶん早い引退ですね。その後、U35-KYOTOはどうなったのでしょうか。

僕より少し下の世代のメンバーたちが頑張ってくれて、今のU35-KYOTOにはいい意味で誰かの色に染まっていない。誰が代表なのかは曖昧なんだけれど、ちゃんと回っているんですよ。お金も生み出してきているし、他の地方にもこの活動が広がって2022年には「U35-SAPPORO」が生まれたんです。鹿児島や神戸でもこうしたコミュニティをつくりたいという話が出てきています。中心をあえてなくすことで、誰もが参加できるコミュニティになってきた。だから、結果的に僕がフェードアウトしたのは良い決断だったと思っています。

コミュニティマネージャーとなるキーパーソンを見つけて活かす

──地域コミュニティをつくりたいというニーズは高いと思います。U35-KYOTOが活発に活動し、さまざまなつながりを生むコミュニティとして成功した理由は何だと思いますか?

僕は、初期メンバーのノブさんの存在だと思います。ノブさんは経営者で、まちづくりやコミュニティ運営、地域のプロジェクト創出とかがものすごくうまいんですよ。バランスがとれていて、U35-KYOTOで何をやるか、何をやらないかの判断に迷った時、僕たち世代らしいアクションの選択を後押ししてくれるのはノブさんだった。そういう存在がすごく大事です。

若者のコミュニティはよく、すべて若者で運営しようとしちゃうんですけど、メンバーが信頼している年上のメンバーを外部顧問としておくのはおすすめです。ノブさんの意見をもらうと、間違いのない判断ができる。そう思えたから、自信をもって運営できたんです。自分の意見を通したい強権的な年上の人だとダメなんですけど、下の世代を尊重してくれる年上のアドバイザーはいたほうがいいと思います。

——U35-KYOTOのサイトには出てこないキーパーソンがいたんですね。他に成功の秘訣はありますか。

コミュニケーション量を増やすことですね。鹿児島に「薩摩リーダーシップフォーラムSELF」というNPO法人があって、鹿児島の未来について考える対話型のカンファレンスを開催しているんです。ここのメンバーは定期的に合宿をしているんですよ。この方針がすごくいいと思います。キープレイヤーたちがどんなに忙しくても、この合宿には参加する。そこでがっつりコミュニケーションをとることで、ワンチームであるという意識が醸成されていくのでしょう。

U35-KYOTOではミーティングをたくさんして、コミュニケーション量を担保していました。一緒にごはんを食べるのも大事。オンラインミーティングだと必要事項を共有して終わってしまうことが多いけれど、ごはんを食べたりお酒を飲んだりするとポロッと本音が出てくるんですよ。そこから、今後発生しそうな問題を予見できたり、メンバー同士の結束が深まったりする。おしゃべりする場を設けるのは必要だと思います。

——飲みニケーションも効果がある、と。

僕自身、飲み会大好き人間だ、というのもありますけどね(笑)。あと、コミュニティがうまくいくかどうかは、いい人がいるかどうかなんです。その人がいるだけで、人も情報もお金も集まってくる、という人。

これはU35-KYOTOというよりも、経営者として組織・コミュニティに対して考えていることなんですが、コミュニティの代表は、そういうキーパーソンがむちゃくちゃ居やすい場をつくることが仕事なんだと思います。

──人も情報もお金も集まってくる人が代表になる、というわけではないんですか?

そうなんです。キーパーソンを中心にするのではなく、キーパーソンが活きる場をつくるのがポイント。そういう人って、自分だけが輝くんじゃなくて、みんなにスポットライトを当ててくれるんです。意外とそういうキーパーソンを大事にしていないコミュニティがあるんですよ。僕としては、もっとえこひいきするくらい大事にしたほうがいいと思う。キーパーソンが動きやすい体制を整えて、働きや価値に合った報酬が循環する仕組みにする。代表だけではなく、コミュニティの要となるコミュニティマネージャーも含めた人が活きる仕組みですね。それを果たす人を見つけて活かすことが、コミュニティを発展・継続させるポイントだと思います。

(編集:野垣映二 執筆:崎谷実穂 写真提供:U35-KYOTO)