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課題先進県・鳥取で生まれた1人の女性のWillが介護の可能性を広げる

2023.03.20(月) 09:00
課題先進県・鳥取で生まれた1人の女性のWillが介護の可能性を広げる

鳥取県の人口は54万1775人(令和5年2月1日現在)と全国最少。人口減少と高齢化の進む「課題先進地」だ。そんな鳥取県で1人の女性が始めた事業が今、注目を集めている。

鳥取県米子市でN.K.Cナーシングコアコーポレーション合同会社の代表として、「わたしの看護師さん」事業をスタートした神戸貴子氏。20代で経験した自身の介護体験から、2014年に看護師としての専門性を活かした当事業をスタートした。

創業から9年、目前の課題解決に奔走している日々から、多くの日本の課題にコミットする事業へと成長を遂げている。その過程と今後に迫った。

神戸 貴子
N.K.Cナーシングコアコーポレーション合同会社代表/NPO法人ライセンスワーク代表理事/遠距離介護支援協会代表理事/鳥取県、米子市等 有識者会議委員 他

看護師、ケアマネージャー資格保有。自らの子育てや介護の経験から、現在の介護保険適用サービスでは、介護する側の人に対し、サービスが行き届いていないことを実感。自らが苦労した経験を生かし、より良い介護サービスを提供したいという思いから、介護・育児をサポートする。

後悔がない看護や介護を目指して看護師の道へ

鳥取県米子市で介護サポート事業「わたしの看護師さん」をスタートしたのは2014年のこと。当事業では、病院の診察への付き添いなど介護保険外のサポートを提供しています。

現在、介護保険制度が始まって20年が経ちました。この制度があることは非常に重要なことですが、現在、この制度だけでは日本社会を支えきれなくなっていることも事実です。

例えば、毎年、約10万人が介護を理由に離職しています。これは家族の介護と仕事の両立の難しさを物語る数字でしょう。子どもの数が減少する中で、一人が何人もの高齢者の介護を担うような状態も生まれています。

出所:内閣府『仕事を介護の両立をめぐる状況

高齢化が進むこの国で、持続可能な介護のあり方とはいかなるものか。私はこの問いに向き合い続けています。

20代後半で経験した私の介護体験が、「わたしの看護師さん」の事業をスタートさせる原体験となりました。これを機に、介護保険では手が届かぬ部分を担うサービスを立ち上げ、現在では全国へその事業を展開しています。

そもそも私が看護師を目指したのは、小学生時代、同居していた祖母が体調を崩し、看取るという経験をしたことがきっかけでした。母は祖母のことをかいがいしく介護し、施設や病院に入ってからも足繁く通ってサポートを続けました。そんな姿を見て子どもながらに、「すごく大変だな」と思っていたんです。

祖母のお葬式の日、母は「もっと色々やってあげればよかった」と言って涙を流していました。私から見ると、これ以上ないほどに祖母に尽くしていた母。その口から、こんな後悔の言葉が漏れるのだと驚きました。

そして、将来、父母が年老いて体調を崩した際には、私がケアしてあげなくてはいけないと思うようになります。これが、私が看護師という道を目指すようになったきっかけでした。

鳥取県米子の街並み©AdobeStock

看護師になって兵庫県で病院勤務を経た後、夫の転勤で、鳥取県に移住することになります。0歳と3歳の子どもを連れて、これまでほとんど親しみのない場所への転居でした。そこには年老いた夫の叔父と叔母が住んでいて、子どもたちのことをよくかわいがってくれました。

そうした叔父叔母に恩返しをしたいという思いと、当時20代だった私の「嫁としての評価をあげたい」という今の時代では考えにくいかもしれない考えから、私は叔父と叔母の介護を担うことにします。

それに、病院で看護師として働いていた私には、介護に携わることへの不安がほとんどありませんでした。食事介助やおむつ交換、入浴補助なども仕事で経験してきたことですから、「そのくらい問題ないわ」とたかを括っていたんです。

24時間電話を手放せない追い詰められる日々

「また、電話が鳴っている……」

叔父と叔母の介護を始めると、携帯電話が手放せなくなりました。叔父の認知症が始まると、毎日のように電話がかかってきます。

また、病院や施設に入っても気は抜けません。介護スタッフから昼夜関係なく電話がかかってくるのです。

その電話の内容も、「おむつが5枚しかないので補充してください」というものから、「お部屋に訪問したら意識がなくなっていて救急車を呼びますか?」という緊急性の高いものまでまちまち。

即時の対応が迫られない連絡ばかりであれば、「後から折り返せばいいや」と若干の心のゆとりもできるのでしょうが、その中に一刻を争う電話も混じっている。このような状態に日々心が休まらず、常に電話の呼び鈴が聞こえているような幻聴が聞こえ始め、次第に夜も眠れなくなっていきました。

余裕がなくなった私は、まだ小さな娘たちに小言を言ったり夫に当たったりするようになりました。ある時、娘に「お母さん、機嫌が悪い! 何に怒っているの?」と言われてハッとします。

介護に疲れてこんなに小さい子に嫌な思いをさせてしまっている……。

一番大事にしたい家族の仲がギクシャクするならば、もう一人で抱え込まないで、アウトソーシングするしかないと私は思い立ちます。

ある日、子どもたちの幼稚園行事と、叔父の歯科診療が重なる日がありました。そこで、ケアマネジャーに「どうしてもこの日は外せないので、叔父の歯科診療に付き添ってもらえませんか」と相談をしてみました。

しかし、返されたのは「病院受診というのは、家族がやるべきことです」という言葉でした。

ケアマネジャーがダメならばと、病院同行やおむつ補充など家族でなくてもできる支援を手伝ってくれるサービスはないかとインターネットで探し始めます。

しかし、いっこうに見つからない。介護を誰かに手伝ってもらおうとしても、そのサービスがない……。私はその現実に愕然としました。

さらに私を苦しめたのは、周囲の人たちの反応でした。時代背景もあったでしょうし、鳥取県という土地柄もあったのかもしれません。

「子どもが幼稚園に行っている間は暇なんだから」「お嫁さんなんだから」と介護をするのが当たり前というトーンで話をされ続けたのです。

誰にもサポートしてもらえず、愚痴ることもできない。「自分が全てを担わなければいけないんだ」と私はどんどん心を閉ざしていきました。

幼い子どもの育児をしながら、看護師としても働き、そして叔父と叔母の介護に走りまわる。その期間は5年間にも及びました。

「介護が大変なのは私だけではない!」と起業を決意

30代後半になると、ママ友の中からも介護の苦労が聞かれるようになりました。そして、そんな友達の一人から、ある日、「仕事でどうしても時間が取れないから親の病院受診に付き添ってくれないか」と相談をされます。

その時に、「そうか、介護で困っているのは私だけでなく、世の中のみんなが息苦しい思いをしながら耐えているのだな」とわかりました。

当時、私が介護を経験しはじめてから10年弱が経っていましたが、社会には介護保険内でのサービスしか普及していない状況だったのです。

そこで、40歳の時に私は思い切って起業することを決意します。私や周囲の女性たちが苦しんでいる家族をサポートするため介護保険を利用できない人のためのサービスを作ろうと考えました。

地域には、潜在看護師と呼ばれる、資格はあるけれどフルタイムで働けないために勤務をしていない看護師たちが大勢いました。

その方たちが全く働けない状況かというとそうではなく、例えば子どもが幼稚園にいっているうちならば働けるというケースも多かったのです。

元々看護師になる人たちは、世話を焼くことが好きで、せっかく資格を持っているのだから生かしたいという思いも強い。

私のつてをつたったり紹介をされたりしながら、「隙間時間に社会貢献できるのであれば自分も関わりたい」という人たちが集まり、2014年にN.K.Cナーシングコアコーポレーション合同会社を立ち上げ、「わたしの看護師さん」というサービスが生まれました。

『わたしの看護師さん』公式サイト

サービスは好調でしたが、鳥取県で女性が起業するということへの風当たりは厳しいものでした。

「そこまで頑張らなくても旦那さんに働いてきてもらえばいいのに」「黙って家事をしていればかわいい奥さんなのにね」「会社のお金は旦那さんから出してもらったんでしょ」などと言われたことは一度や二度ではありません。

もちろん腹が立ちましたが、それで事業をやめるという選択はありませんでした。それは利用してくださる方々のニーズをはっきりと感じていたからです。

例えば、ずっとひとりで病院に通っていたおばあちゃんが体調を崩されて、「誰か病院に付き添ってくれる人がほしい」ということで連絡をくださいました。

これまでは一人で大丈夫だったということですが、蓋を開けてみると、診察室での医師の説明を、あまり聞こえていなかったり認知症によりすぐに忘れてしまったりしていたということがわかりました。

そこに「わたしの看護師さん」のスタッフが間に入り、おばあちゃんに理解できるように解釈して伝えるようにしました。それからはすごく安心して、なくてはならない存在としてサービスを利用してくださっています。

また、介護を担う子どもたち側からの連絡も多いです。母親が大学病院で月1回平日の昼間受診が必要で、付き添う際に仕事を休まなければいけない状態が続いていました。

しかし、仕事が忙しくなったり管理職になったりしたことで、思うように休みが取れなくなり、サービスを利用してくださったのです。

すると、これまでは母親の介護のために帰省していたのでつい「お母さん、しっかりしてくれよ!」と厳しい声をかけてしまうようなことがあったけれど、休日仕事がない時間に「会いに帰る」ことができるようになり、優しい言葉をかけてあげられるようになったとおっしゃっていました。

©わたしの看護師さん

「わたしの看護師さん」は家族から高齢者の介護を切り離すのではなく、伴走する存在でありたいと思っています。

本当は親孝行をしたいという思いを持っているのに、余裕がなくなり、つい語気を強めてしまい、自己嫌悪に陥るようなことをなくしたい。自身の経験からも、そんなサービスを心がけているんです。

全国でつながり合いながら介護をアップデートする

設立当初は私の目が届く範囲である鳥取県米子市周辺での事業展開しか考えていませんでした。気づけば親の介護が必要になったけれど、都会で生活をしている子どもたちはそう簡単には帰ってこられないという遠距離介護の課題は、鳥取県のようなアクセスしにくい地方部特有のものだと思っていたからです。

その気持ちが変わるきっかけになったのは、「わたしの看護師さん」の取り組みがNHKの全国放送で流れたことです。さまざまな地域から、「私も利用したいです」という声が届いたのです。それに加えて、全国の潜在看護師から「私も働きたい」という連絡がきました。

正直にいって、ここまでの反響があることは全く予想をしていませんでした。遠距離介護は鳥取県だけの課題ではなくて、日本全国の課題なのだと気づきました。これを契機に「わたしの看護師さん」は仲間たちと一緒に全国へ広げていくようなサービスとして、舵を切っていくことができました。

全国に広げる後押しをもらってからは、県外から問い合わせがあれば意志のある潜在看護師を紹介するといった取り組みを始めました。

例えば、「私は関西在住ですが、長崎にいる親の介護サポートをお願いできませんか」という相談があれば、長崎の看護師のネットワークを伝ってマッチングをします。

また、私がかつて働いていた関西エリアであればたくさんの知り合いの看護師がいるので、「いつ仕事が入るはわからないけれど登録してくれる?」と先に潜在看護師の人材バンクのようなものを作りました。

こうして鳥取を起点にしながら、全国に「わたしの看護師さん」のサービス利用者は増えていったのです。

全国に広がっていくための組織設計を進める

オンラインで鳥取から取材に応じてくださった神戸さん

この仕組みをさらに広げていくには、今後はフランチャイズのような仕組みにしていくことが求められるのではないかと思っています。

現在は、米子が本店となり各地に直営店を出しているようなスタイルを取っていますが、各地域に束ねる人材を置いた方が、利用者にとっても安心感があり、人材を集めたりシフトを組み立てたりすることも効率的にできるようになるはずです。

また、地域には人材が不足しているとよくいわれています。鳥取でも、それは悩みの種でした。しかし、オンラインで簡単に接続できるようになり、全国からスキルを持った方々が事業に関わってくださるケースが出てきました。きちんと地域に根を下ろしながら、全国でつながり合いながら、事業を広げる。私たちは、今、そんなフェーズにきていると感じています。

「わたしの看護師さん」のサービスが開始して9年目を迎えました。立ち上げ当初は、介護によって生活の制限を余儀なくされた女性を救いたいという気持ちが強かったのですが、最近では男性が相談にくることも増えました。

介護はもはや女性だけの問題ではありません。子どもの人数が減れば、高齢者を支えていくことはさらに難しくなっていきます。アウトソーシングしながら、地域で支えられるような仕組みづくりが一層必要になっていると感じます。

若い世代が、将来どのような介護を受けるのかを想像すると、介護保険だけに頼るようなイメージを描くことはできません。

私たちの事業のような介護保険外のサービスや介助ロボットのようなテクノロジーも含めて支えていくことが重要になっていくでしょう。

そのためには、私たちももっと介護保険外のサービスを理解してもらい、身近に使ってもらえるように認知を広げていかなければいけません。

私だけの力では限界があります。仲間たちと協働できるプラットフォームを構築しながら、家族の介護で苦しむ人をなくしていく事業を全国の各地域へ広げていきたいと思っています。

(執筆:佐藤智 編集:野垣映二)