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「地方創生」の旗手・齋藤潤一が、地域を越えて目指す「新しい経済」

2023.03.01(水) 09:11
「地方創生」の旗手・齋藤潤一が、地域を越えて目指す「新しい経済」

宮崎県新富町の地域商社である一般財団法人こゆ地域づくり推進機構(こゆ財団)の代表理事とテクノロジーで農業課題を解決するAGRIST株式会社代表取締役を務める齋藤潤一氏。ビジネスの力で地域の課題解決を続けてきたイノベーターが最近、Web3やDAOの概念を取り入れた新たなまちづくりに取り組んでいるという。

一般的にDAOとは中央集権型ではない分散型自律組織のことを指す。地域の垣根を越えて、パーパスで人が集うという同組織。齋藤氏は従来の「地方創生」の先に何を見たのか。地域のイノベーターが生まれ、そして今その殻を破ろうとする、その過程を同氏の半生とともに追う。

齋藤 潤一
一般財団法人こゆ地域づくり推進機構代表理事
AGRIST株式会社 代表取締役

1979年大阪府生まれ。米国シリコンバレーの音楽配信スタートアップでサービス・製品開発の責任者であるクリエイティブ・ディレクターとして従事。帰国後、表参道でデザイン会社を創業。2011年の東日本大震災を機に「ビジネスで地域課題を解決する」を使命に活動を開始。2017年4月新富町役場が設立した地域商社「こゆ財団」の代表理事に就任。1粒1000円ライチの開発やふるさと納税で寄付金を累計70億円以上集める。2019年10月に農業課題を解決するために収穫ロボットを開発するAGRIST株式会社創業。代表取締役CEO就任。Forbes Asia 100など国内外13のアワードを受賞。2022年 第10回ロボット大賞農林水産大臣賞受賞。2023年「CES2023 Innovation Awards」受賞。

「いつか」ではなく、「今」シリコンバレーに行く

大学2年生の冬、僕は休学届を出しました。

心にあったのは、「アメリカに行きたい」という思い。その時点では、アメリカに行って何をするかは決まっていませんでした。でも、「いつか行きたい」「いつか行こう」と、「いつか」と唱え続けている自分に嫌気がさしていたんです。

周囲には僕のようにレールを外れようとしている友人は誰もいませんでした。みんな3年生のゼミを何にするか、その後の就職をどうするかで頭がいっぱい。周囲の環境は思いのほか自分自身に影響を与えるものです。このまま大学生活を続ければ、きっと僕も3年生になり、人気企業への就活に流されていくのだろうと思いました。

渡米を「いつか」ではなく「今」にしたいと思った理由はもう一つありました。親戚が交通事故で急死したのです。やりたいことを先延ばしにするのではなく、後悔しない人生を送りたい。そう思いました。

英語もままならないまま、単身渡米。苦労もしましたが、いつしか日本にいた頃よりもずっと息がしやすくなっている自分に気が付きました。

思い返せば、僕は大学に入ってからというもの、周囲の目をすごく気になるようになっていました。周りが期待する自分を演じなければいけないような感覚に囚われ、どんどん息苦しくなっていたのです。

しかし、アメリカでは誰も自分のことを知らず、年齢や学歴で推し量るようなこともない。ここでは誰かが期待する自分ではなく、自分自身を「生きている」感覚がしました。この時に、僕は自分という主語を取り戻せたのだと思います。

©ShutterStock

シリコンバレーの経験を日本で生かして勝負したい

アメリカでの日々は毎日が刺激的でした。

日本の大学からコミュニティ・カレッジに入り、卒業後はシリコンバレーの音楽配信のITベンチャーで約2年間勤務。インターンから始まり、プロダクト責任者となって、最後はクリエイティブディレクターを任されました。夜中12時ぐらいに帰宅し、4時頃に起きてまた働く。

もちろん大変さもありましたが、日々チャレンジできるその環境が合っていたし、レジリエンスを鍛えることにもつながりました。

また、その会社のCEOには未来を見通せる力があり、それを近くで学べたことも自分にとって大きな財産になりました。

目まぐるしく変化する社会の中でどのようなイノベーションが求められているのか。また、この会社がどうなっていけば、従業員たちにとって幸せなのか。

利他的に考えて、イノベーションを生み出していくその力は、今の僕を形成する大きなパーツになっていると思います。

アメリカでの斎藤氏

ビジネスの力をつけられている実感と、彼の近くで学んだことを日本でも生かしたいという思いから、起業に挑戦するために日本へ帰国することを決意します。

アメリカでクリエイティブディレクターという発注側を経験してきた当時の僕は、自分の好きなデザインを追及して、     挑戦してみたいという気持ちを持っていました。そこで日本ではデザイン会社を起業したのです。

しかし、蓋を開けてみると想像していたような充足感は得られませんでした。

商業デザインの仕事は次第に増えていきましたが、自分自身はすり減って、疲弊していきます。シリコンバレーで働いていたというキャリアもあり、お金を稼ぐことが一つ大きな指標になっていたのかもしれません。

今振り返れば、自身のエゴが強く、資本主義の中でどう生き残れるのかと必死でもがいていたのだと思います。

ビジネスの力で地域課題を解決する

デザインの仕事をする中で、少しずつ地域のプロモーションの依頼を受けるようになりました。

実のところ、元々地域に対して強い関心を持っていたわけではありません。しかし、地域の方々が「ありがとう」と本気で喜んでくださる姿と、もっと世の中に役立つことをしたいという自分の思いが重なって、少しずつ地域での仕事にシフトしていきました。

そんなタイミングで、2011年3月11日の東日本大震災が起こります。数ヵ月後、ボランティアで僕も被災地に入りました。

当時はボランティアの人たちがたくさん被災地を訪れて支援をしていました。その中で、僕がすべきことは何かという問いを抱くようになります。強い言葉になりますが、自分の使命とでもいうべき何かを考え続けていた気がします。

首都圏に目を移すと、どんどん人が流出している状況が生まれていました。この様子を見て感じたのは「都市とはなんともろいものだろう」ということ。

これを機に、時代がシフトしていくのではないか。そんな感覚から、僕は現在の働き方にもつながる「ビジネスで地域課題を解決したい、持続可能な地域づくりを実現したい」という思いに辿り着きます。

たとえば、地域で一時的に補助金をもらったとしても、自走できる仕組みができていなければ、そこに持続可能性はありません。地域が自立していくためには、ビジネスの力が不可欠だと考えたのです。

しかし、当初は僕の活動に、ほとんどの人が懐疑的でした。しかし、一人また一人と僕を必要としてくださる方が現れて、少しずつモデルケースが誕生していきました。クラウドファンディングを活用して日本の伝統工芸品のプロモーション事業を行い世界のギフトショーに出展したこともあります 。

いつのまにか全国10カ所ほどの地域と協働するようになっていきました。

地域の方々と関わる中で持続可能なビジネスを実現するために意識していたことは「魚を与えるのではなくて、魚の釣り方を教える」ということ。成功が一つの「点」で終わっては意味がありません。

補助金に頼るのではなく自分の力で稼げる持続可能な地域になることを重視していました。

住民の声をとことん聞いて次なる一手を考える

全国各地で地域資源を活かした特産品開発やビジネスなど、地域プロデュースを行う中で、「シリコンバレー流地域づくり」としてメディアでも多数取り上げてもらえるようになりました。

その過程で、宮崎県新富町の町役場でまちおこし政策課の課長補佐だった岡本啓二さん(現・秘書広報室長)に声をかけてもらいます。岡本さんは、その当時、2017年4月に新設するこゆ財団の代表となれる人材を探していたのです。

当時、多くの自治体のまちづくりや人材育成に取り組んでいて業務過多だったこともあり、こゆ財団の代表になることを一度はお断りしました。

しかし、岡本さんや役場職員の方々の危機感と本気度に共感し最終的に引き受けることにしました。    

こゆ財団の代表となった僕が、まず最初に行ったことは自分の目で地域の隅々まで見て、地域の人の声を聞くこと。地域にはその地域ならではの特徴や課題があります。

僕はこれまでさまざまな地域の事業に携わってきましたが、成功モデルをパッケージ化したことはありません。全ての地域がそれぞれ全く異なるため、そうしたことはできないのです。

新たな地域に赴いた際にまず最初に行うことは、徒歩や車、自転車などあらゆる角度から自分の目で地域を見て人に話を     聞くことです。

しかし、新富町では「この町は何もないよ」「通り過ぎる町だね」といった声も多く、町への期待が薄い住民も少なくないように感じました。

「地域に何もない」のではなくそれは「何も見ていない」のだと思います。地域の課題解決は、本気で危機感を持っている人と出会わなければ始まりません。町歩きを繰り返す中で一つの突破口が見えました。

みんなに「無理」といわれることにチャンスが潜む

町歩きの中で知り合ったライチの生産者の森哲也さんは町に対して大きな危機感を持っていました。そして、こゆ財団と一緒に本気でアクションを起こしたいという思いを持ってくださったのです。

(左)新富町のライチ農家「森緑園」の森哲也さん 
写真提供:一般財団法人こゆ地域づくり推進機構

森さんの作るライチに出会った時、僕はこれまでの常識を覆されました。甘くみずみずしいそのライチは、これまで僕が食べてきたものとは全くの別物だったのです。

そこで僕は森さんの作る地域の特産品であるライチを、1粒1000円で売り出し、ブランド化しようと決めました。しかし、この方針に対してほとんどの人が賛同はしませんでした。

「1粒1000円のライチなんて売れるはずがないだろう」

「絶対に売れないよ。失敗する」

多くの人が「売れるわけがない」と批判的だったのですが、僕はこれまでの経験から「無理と言われるということは、誰もやっていないということ。チャンスがある」とも感じていました。むしろ、「100%うまくいく」と言われる方が失敗する可能性が高い。

蓋を開けてみると、糖度15度以上50g以上の「新富ライチ」は銀座の一等地のカフェでも取り扱ってもらう等 、大きな評判を呼びました。これまで冷凍で小粒の輸入品しか食べたことがなかった人々の常識が覆されたのです。

都内での飛び込み営業やイベントで発信し続けた結果、「新富ライチ」を返礼品としたふるさと納税への申込みは殺到し、町のふるさと納税額を3年間で95倍にまで増やすことができました。

こゆ財団の協力のもとブランド化した「新富ライチ」
写真提供:一般財団法人こゆ地域づくり推進機構

その後も、地域資源を活用した商品開発や稼いだお金を人材育成に投資する「稼げる地域づくり」の取り組みは全国でも注目してもらえるようになりました。

駅の改札裏に中古の椅子とパソコンを置いたオフィスから始まり、とにかく当時は危機感からたくさんのチャレンジと失敗を繰り返していきました。

また、2019年には新富町の農家から収穫の担い手不足がいないという相談を受けてテクノロジーで農業課題を解決するAGRISTという会社も設立。現場の声を聞き、地域の農家と農業課題解決に向けて自動収穫ロボットの開発もスタートさせ     ました。

「have to」ではなく     「want to」で生きていく

こゆ財団は国の地方創生優良事例に選んでいただく等、メディアにも多数取り上げていただくようになりました。その一方で、僕は自分自身に強い責任や重圧をかけるようになり、押し潰されそうになっていきました。

地域のために「やりたい」と思っていたことが、いつの間にか「やらねばならない」という「have to」に変化してきていることに気が付きました。

また他人軸で生きるようになっていたのです。一緒に働くメンバーや周りの人と対話をしていく中で、この自分軸と他人軸で生きる自分をメタ認知できるようになった今、心の中から湧き出るある「want to」が見えてきました。

それが、2022年11月に開設したオンラインコミュニティ「地方創生DAO」です。Web3やDAOの概念で、全国各地の仲間たちとオンライン上やリアルでつながり、共に学び新たなイノベーションを生み出していくことを目指しています     。

従来のような中央集権ではなく、アイデアをシェアし各地域に分散して実装することで地域経済が活性化する仕組みです。これまでは、限られた中央の数%の人々が富を得てきましたが、これからは地方で頑張っている人が等しく評価され、公平に富を得られるようになっていく時代です。

地方で頑張る人が孤独にならずに、同じ思いをもった仲間とオンライン上で繋がり共に学び時にはプロジェクトを共創していくことで地方を元気にしていく。こうした未来を実現するために、僕は毎日、「地方創生DAO」の中で稼ぐ力を学ぶことができる音声コンテンツや記事を配信しています。

現在会員が100人を超え、メンバーの中には町長や市長もいれば地方創生には全く関係ない人もいます。多様性があることが更なるおもしろさにつながっているのでしょう。

「地方創生DAO」で実現したい未来は、「新しい地域経済をつくる」ことです。これからは都市部や地方など居住する場所に関係なく1億総イノベーターの時代が到来します。もっというと、自律分散型の社会においては、「地域」という括りもなくなっていくと考えています。

会社のため、社会のため、地域のためといった他人軸で何かをせねばならないという「have to」ではなく、自分軸で本当にやりたい心の「want to」に従って生きる。「地方創生DAO」は地域間の枠組みを超えてパーパスで共感できる仲間と新しいイノベーションや地域経済を共創していくことを目指しています。

そうしていくとお金はあとから次第についてくる時代だと思います。他人軸から解放され、地方でウェルビーイングに過ごす人が増えることで、各地で地域イノベーションが創出される未来を今、描いています。

(執筆:佐藤智 編集:野垣映二 写真提供:齋藤潤一)