なぜ岩手の片隅から50社のスタートアップが生まれた?仕掛け人は、一人の公務員だった
岩手県北西部に位置する、人口約2万2千人の一見なんの変哲もない自治体・八幡平市。しかし、この市では世界中から定員の数十倍もの応募が殺到する起業家育成キャンプが行われ、最先端のICT技術で遠隔診療・見守りを行うDX基盤が実装されている。なぜそんなことが可能なのか。
仕掛け人は、一人の公務員。八幡平市役所に勤める、中軽米真人氏だ。スタートアップ界隈やビジネスに明るく、「新規事業立ち上げが趣味」と語る中軽米氏。およそ公務員らしからぬ彼が実践する、「役所の人間」だからこそできる新時代の地域創生とは。
中軽米真人(なかかるまい まこと)
1974年、岩手県生まれ。松尾村役場に奉職して農政、総務、情報政策などを担当する。合併協議会では電算統合を統括し、八幡平市に合併後は電算や広報、地域自治基盤の再構築に携わる。2015年に「起業志民プロジェクト」を発案・開始し、世界中からIT起業家志望者を集め、育てた人材が次世代を育成するエコシステムを形成。過疎地にゼロから多くのテック企業を育て、AppleとGoogleからも注目を集めている。新規事業の立ち上げが大好物で、これまで経営に関与して廃業した会社はゼロ。「おもしろいか、おもしろくないか」だけを行動原理に生きる公務員。「地方公務員が本当にすごい!と思う地方公務員アワード2023」受賞。
地元でおもしろいことをするために、役所を利用する
私は岩手県松尾村、現在の八幡平市の出身です。八幡平市は、いわゆる「平成の大合併」で岩手郡西根町、松尾村、安代町が合併してできた自治体です。
大学は仙台の東北学院大学に通っており、共和政ローマ史の研究をしていました。大学院に進学しようとしていたのですが、そのタイミングで父親が農協を辞めて起業したんです。スポンサーがいなくなってしまったので、さてどうしようかなと。
家の会社の経営に参画するだけじゃ普通すぎてちょっとおもしろくない。どうしたらド田舎の地元でもおもしろいことができるだろう、と考えた時に「役所は地方では最大の大企業。予算規模も大きいし、信用資産も一番巨大。そうか、この仕組みを使って、自分がやりたいことをやれる形をつくってしまえばいいのでは?」と思いついたんです。そうして1998年、松尾村役場に入りました。
はじめは農林課に配属されました。当時は国の経済対策で、地方自治体に多額の補助金が出されていたんです。当時の松尾村の予算規模は60 億円くらいでしたが、農林課だけで予算20億円くらいの土木工事を担当するような時代でした。
次は総務課で村の財産の管理をする管財担当になり、その後は企画調整課で情報システムの担当になりました。当時、役所も一人一台パソコンを持つという流れがきていたんです。
役場内で「機械に詳しい」という評判が立っていて声をかけられたのですが、実際、役所の職員にしては詳しい方だったと思います。というのも、私は9歳からプログラミングを独学でやっていて、ネットワークやサーバーの設計も全部できました。家の方針でファミコンを買ってもらえなかったので、ゲームがやりたいなら自分で作るしかなかった。私世代のエンジニアには、こうした理由でプログラミングを学んだ人がめちゃくちゃ多いですよ。
2004年、松尾村に市町村合併の話が持ち上がりました。
私は八幡平市の合併協議会で市役所になるためのシステム統合の担当になり、プロジェクトマネージャーとして市役所の全業務のすり合わせをやりました。合併してシステムを動かすには速いネットワークが必要なんですが、当時は、光回線が普及しておらず、ADSL全盛の時代だったんです。国策で合併自治体が光ファイバーケーブルを保有してNTTに貸し出す方式を推奨されていたんですが、これは後世にムダな行政負担を押し付けることになると考えて、NTTと協議してNTTのアセットとして光回線を通すことに成功しました。もちろん民間にぜんぶ丸投げするのではなく、地域の需要を掘り起こす活動をやったり、細やかな周知をやるとか、こちらで汗をかいてできることは、どんどんやっていきました。この甲斐もあって、岩手県で市内の全エリアが最初に光回線化したのは、盛岡市などの都市部ではなく八幡平市なんですよ。
奪われてきた自治を地域に返す
その後企画総務部総務課で広報担当、総合政策課で組織マネジメント担当などを経て、地域振興課で地域コミュニティデザインや自治プラットフォームの再構築を担当することになりました。ここで、コミュニティセンター、通称コミセンをつくったんです。
コミセンとは何か。一言で申し上げますと、新たな地域自治の拠点です。もともとは、合併時には潤沢な職員が居たわけですが、合併は行政の効率化・スリム化が目的でもあったので、採用を絞って人員をどんどん減らしました。そのため人手不足になって、公民館などで働いていた人を出先から本庁に引き揚げたいという話から始まったのです。
この命令を市長から受けたとき、私はただ人を引き揚げて役所に戻すだけではおもしろくないな、と思いました。
人も予算も有り余っていた昭和の時代に、道を直したり行事を開催するといった、地域が長年担ってきた、いわゆる「自治」の機能を地域のために良かれと思って役所が肩代わりしてきました。そのために、地域は自力では何もできなくなってしまっていました。合併で人もいなくなり、予算も減ってきたので、地域に自治機能を返そうという「協働のまちづくり」という動きがあったのですが、正直なところ、あまり上手く行っていませんでした。
そこで、地域が自治を取り戻すための基盤として、コミセンをデザインしたら面白いんじゃないかな?という仮説を立てたのです。
はじめは各地域に従来からある小学校区くらいを単位として自治会を束ねる「地域振興協議会」という組織を設立してもらいました。そのコミュニティには一つずつ公民館があったので、その管理も地域振興協議会が雇った職員に任せ、生涯学習講座もやるし、地域の自治に関わる事業も同時に行うということで、地域の合意形成を図りました。
これは社会教育法の定める「公民館」という看板ではできない事業なので、法律で縛られないよう2014年から「コミュニティセンター」として再スタートしました。
地域振興協議会は、市からコミセンの管理運営を指定管理されます。コミセンは、指定管理事業として生涯学習・スポーツ事業や施設管理運営事業を行うと同時に、地域自治の司令塔としての機能も担います。コミュニティ事業は、地域の課題を解決するためにその地域が自ら考え、自ら行うもの。このために設けた地域づくり一括交付金は、年度初めに計画書など一切なくても全額を振り込み、年度末に1円でも余ったら返還してもらう仕組みです。この活動を開始してから毎年100件以上の事業で活用され、今では地域活性化の一助として定着しました。
人口流出を止めるために、仕事をつくるプレイヤーを育てる
コミュニティセンターの事業が一段落し、次に取りかかったのが起業家の育成でした。多くの自治体が直面している課題である、人口減少、人口流出を食い止めよう、というところが発端です。
八幡平市エリアの人口は、アジア最大の硫黄鉱山・松尾鉱山の最盛期であった1960年に53,000人を超えていたのですが、2010年代のはじめにはほぼ半減してしまいました。
なぜ人口が減っているのか。もちろん少子化の影響もありますが、八幡平市の場合、より深刻な問題は人口流出でした。住民基本台帳のデータを独自に分析したところ、過去何十年にもわたって、八幡平市で生まれた人は18歳で1割減り、22歳で2割減っていて、20年周期で出生数が半減していることがわかったのです。この数字を見れば、何が原因かわかりますよね。そう、就職です。
ではなぜ就職で出ていってしまうのか。それを調べるために、岩手県内の大学で就職先のデータを集めたり、帰省で八幡平に帰ってきた人たちにアンケートをとったりしました。その結果、首都圏に流出した人の就職先で一番多かったのは情報通信業だったのです。そして、なぜ八幡平に帰ってこないかという質問で一番多い答えは「やりたい仕事がない」でした。当時の八幡平市内には、情報通信に関連した求人はゼロだったので、当然ですよね。
じゃあ、八幡平内に情報通信の企業を誘致すればいいのか?と思われる方もいるかもしれませんが、それは不可能です。ITは高い技術をもつ人材に依拠するビジネスですが、八幡平市内にそういった人材はほぼいません。製造業のように、安くて広い土地があって、安価な人件費の従業員を確保できればいい、という話ではないのです。
呼び込めないのであれば、情報通信業の仕事をつくれるプレイヤーを育てれば良いだけ。そうして始まったのが、「起業志民プロジェクト」でした。
個人的には、仕事するイコール就職という道しかない、っていう状態が「おもしろくない」と思ったことも大きかったです。自分で会社をつくったり、フリーランスとしていくつかの仕事を平行したり、店を開いたり……一口に「働く」といっても実態は多様だし、本来はいろいろな選択肢があるんですよね。八幡平にも「就職」以外の新しい選択肢を取り得る道があることを提示したかった。
そんな事を考えていた時に、堀江貴文さんと「なんで日本には起業家が少ないんでしょうね?」という話をしていたら、「そんなの身近に起業家がいないからでしょ」という返事が返ってきたんです。それはすごく納得感がありました。
というのも、八幡平はスキーが盛んな地域で、市内からワールドカップ優勝経験者とかオリンピックの金メダリストがうじゃうじゃ出ているんです。そうなると、全日本強化選手なんか当たり前のようになれるものだと思うし、オリンピックの金メダルも自分の手が届くかもしれないとも思える。
起業も同じで、身近に会社をつくった人や、上場させた人などがいたら、自分も会社をつくることを当たり前に選択肢の一つだと思えるようになるはず。だったら、起業家がたくさん生まれる仕組みをつくればいい。そう考えたんです。
8年かけて、起業のエコシステムができてきた
2015年からプロジェクトを始め、気がつけばもう8年。核となっているのは、短期集中型のプログラミング合宿「スパルタキャンプ」です。
参加者には無償でプログラミングや経営のノウハウ、起業家マインドを叩き込みます。毎週土日にプログラミングを教え、4週間で独力でアプリやウェブサービスなどのプロダクト開発ができるまでに育てるとともに、金曜には午前に先輩起業家の経験談を聞き、午後は私が新規事業開発のノウハウを教えています。
キャンプ最終日には、オリジナルのアイデアの事業計画と、それを実現するためのプロダクトを実装して発表してもらいます。週末だけでなく平日は課題を出していて、タスクがクリアできなかったらクビにするシステムで次の週末の講義には進めない。同じ宿舎で集団生活をしながら、互いに切磋琢磨してし合うことで、超短期間なのに全員があり得ないほど成長します。
始めた当初は定員割れだったのですが、多い時では国内外から定員の数十倍の応募が集まるようになりました。7年間で18カ国から4000人以上のエントリーがあり、市内だけで14法人が設立されました。市外も入れると、把握しているだけで約50社。おそらく、参加者の3割以上は起業していると思われます。
キャンプが終わった後も、市内の起業家支援センターというシェアオフィスが5年間無料で使え、私が事業計画の立案や資金調達の支援もしています。実家が会社を経営していたことと、東京の友人の起業や事業立ち上げを手伝った経験から、起業についてはあらゆる業種で100社以上に関わっています。
そうして育った起業家達が、今度は教える側としてスパルタキャンプに協力してくれる。キャンプに参加してそのまま八幡平に移住した人も30人以上います。少しずつですが、八幡平市に起業家のコミュニティができているのです。
2021年、この起業家育成と並行して、遠隔の診療と見守りができるようなDX基盤を実装する「メディテックバレー事業」を立ち上げました。発端は、秋田と青森との境にある田山地域の市の診療所に常勤医がいなくなってしまったことでした。
他の市立の病院や診療所から先生が交代で来ることになったのだけれど、冬場になると移動だけで2時間かかり、吹雪だとたどり着けないこともある。そんな中、スパルタキャンプを契機に起業した会社で、高齢の母のためにApple Watchのヘルスケア機能を使った見守りサービスを開発している会社があったんです。
そのサービスを見た東北大学病院のとあるドクターが、「こんなふうに心拍数や血圧のデータが取れてログも残せるなんて、地域にICUがあるみたいだ」とおっしゃったんです。そこで、このサービスを遠隔診療にも使えるものとして発展させて、メディテックバレー事業として広げていきました。
Apple本社には「ユーザーの平均年齢が80歳を超えるサービスをつくっているのは、世界でも君たちだけだ」というようなことを言われました。バカなことをしているな、と呆れているという意味なのか、それとも褒められているのか。英語が得意じゃないので、よく分かりませんが、良い方に受け取っておくことにしています笑
この見守りサービスを、山間部などの携帯電話が通じない地域でも使えるようにするにはどうすればいいか。そう考える中で、電波の出力が弱くても遠くまで飛ぶけれど、飛ばせるデータがごく小さいLPWA(低消費電力広域通信)という技術に着目しました。この電波でデータを飛ばすために、データを数千分の一に極小化する技術を開発。開発した会社は、Google Startup Acceleration Programにも採択されました。
役所を大企業に見立て、新規事業を構想する
これまでにやってきたこと全てに当てはまるように、私は基本「どうしたらおもしろくなるか」ばかり考えているんです。
私がやっているのは、役所の中でゼロから新規事業を起こすことと、既存の事業をもっとおもしろく改造すること。新規事業をつくるのは趣味みたいなものなんですよね。皆さんご想像のとおり組織内では珍獣扱いです(笑)。役所のとある先輩から「お前みたいなのが二人もいたら、うちの町は滅ぶぞ(笑)」と言われたことがあります。それくらい意味の分からないレベルでインパクトを起こしているということなんだと思います。
私は公務員の中では珍しく、性格特性でいうと「開放性」と呼ばれる、新しいものをどんどん受け入れて、チャレンジしたがる特性が高いようです。役所内でも「また勝手になにか始めてるな」と受け入れられている。八幡平市のそうした雰囲気は、もともと古くから開けた街道筋の要衝であり、時代に合わせて主幹産業を変化させてきた歴史から生まれているのかもしれません。
私としては、開放性を持っている人ほど、地方で新規事業を始めることをおすすめしたい。東京は日本中から優秀な人が集まるレッドオーシャンなので、過当競争の大都市で二番手、三番手になるよりは、地方で一番になるほうが簡単だしおもしろいですよ。
起業も同様で、東京で起業しても数あるスタートアップの中に埋もれてしまいますが、地方で起業すれば確実に地元の新聞に掲載してもらえます。うまくパッケージをつくれば、社会面で特集してもらえることもある。スタートダッシュが切れるんです。
役所は、地方では確実に最大手クラスの大企業です。信用や予算規模が大きいから、その分大きなチャレンジができます。今は国からの交付金など、さまざまな形でお金を引っ張ってきて、それを原資にして新しい事業を起こすチャンスが広がっています。私のような珍獣を野放しにする八幡平市のようなところはそう多くないですが、それでも一部の自治体で「こんなことやってるの?」というおもしろい取り組みをしている良い意味で変な人が現れてきています。
今後は、地方でファンドをつくったり、投資家教育をしていこうと目論んでいます。今、地方ではリスクマネーの供給源がまったくないんです。金融庁の指導で、多くの地銀がファンド的なものはつくっているんですが、事業の目利きができる人が不足しています。そうなると、どうイグジットするかまで見据えて投資できないし、最終的に自社株買いをさせるスキームになっていて、投資に名を借りた単なる融資になっていたりするのが実態です。
地方でも、地元有力企業の社長などキャッシュを持て余している人はいるんです。そうした人が、自分の家や車にお金を使うのではなく、地域の若者に投資する流れをつくりたい。税制面での優遇だけでなく、投資家としてどうお金を出すのかを教える必要があると考えています。そうした人たちから資金を集めてファンドをつくるか、八幡平から生まれた企業が上場してコーポレートベンチャーキャピタルをつくるか……今はそんなことを考えています。