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【富山県・井波】行政に頼らない「民間自治」で100年後の源泉になる人材づくり

2023.09.19(火) 17:00
【富山県・井波】行政に頼らない「民間自治」で100年後の源泉になる人材づくり

街づくりは行政が主導すること。富山県井波の企業経営者らを中心に構成された団体「ジソウラボ」は、そんな当たり前を覆し、民間による独立自治を目指して街づくりを行っている。

「つくる人をつくる」をコンセプトに人材を集めて育成することで、すでに多くの若手起業家が井波で事業をはじめているという。ジソウラボが目指す自治の姿とは。同地域を取材した。

届かない地域の声、「自分たちで街づくりをするしかない」

富山県南西部にある南砺市井波。同地域は人口約8000人のうち約200人が木彫り職人という日本一の木彫りの街だ。

井波彫刻の歴史は約250年前に遡る。瑞泉寺の再建のため、京都本願寺御用彫刻師だった前川三四郎が訪れ、井波の地に彫刻の技法を広めたことからはじまったと言われている。

現在、見事な木彫り彫刻が施された瑞泉寺は、地元民から井波のシンボルとして愛され、寺からつづく八日町通りの情緒溢れる街並みとともに、井波の観光名所にもなっている。

さらに八日町通りから数分歩くと、古い家屋に混じってレトロモダンな雰囲気の店が姿を見せはじめる。店に立つのはいずれも20代から30代といった年齢層の若者たち。同地域には近々、古着屋も開業予定だという。

他の多くの地域と同じように人口減少と高齢化が進む、井波。つい数年前までは開業よりも廃業の声が頻繁に聞かれ、空き家・空き店舗が課題となっていた。しかし、2016年から7年の間に42の事業者が新たに居を構え、事業をはじめているという。

なぜ衰退しつつあった街に、志ある若者が集っているのか。その背景には「ジソウラボ」と名乗る、地元若手経営者を中心としたグループの存在がある。「ジソウ」は「自創」「自走」「地走」などの意。井波で活躍する人づくりに関わる活動を行っている。

一般社団法人ジソウラボの代表理事を務めるのは井波で林業を営む島田優平氏だ。島田氏は代々木彫りの町に木材を供給してきた家系。同氏は東京農業大学の林学部を卒業後、富山県庁の林業職を経て、30歳で家業に入った。

現場で大怪我をしたことがきっかけで、マネジメントに専念するようになり、そのなかで地域との関わりが深まっていったという。

しかし、そこで島田氏が感じたのは危機感だった。

「2004年に旧井波町を含む4つの町と4つの村が合併して南砺市が誕生しました。その結果、地域では弊害も生まれているように感じました。

南砺市のなかでも人口の多い地域の声は届くけれど、少し外れた井波のような地域で声をあげても行政には届きにくい。

スキー場もなくなり、高校もなくなり、合理化の名のもとに井波が切り捨てられていっている感覚があったんです。その過程で井波という地域のアイデンティティが徐々に失われているのではないか、と。

人口も減っていて少子化も深刻化しているのに、どうすれば井波が持続的に住める地域になるかが考えにくい状況になっていました」(島田氏)

そんなとき、島田氏のところへある誘いが届いた。当時、井波は観光振興のため文化庁が認定する日本遺産への登録を申請していた。結果は2度の落選。3度目のチャレンジのタイミングで、島田氏に協力の要請があった。

「もう自分たちで街づくりをするしかない」

そんな想いを強くしていた島田氏は、地元の若手世代に声をかけてワーキング・グループを発足。日本遺産を名目に若手世代が集め、井波のこれからについて議論を交わした。

とはいえ、ずっと井波で暮らしてきたメンバーの多くは、上の世代の意見に同調してしまいがちだ。意見が合わなくても「まあ、仕方ないか」と妥協したくなる気持ちが頭をもたげる。

そんななか、一人ずけずけと物を言う人物がいた。後にジソウラボの主要メンバーとなる建築家の山川智嗣氏だ。

建築家として順調にキャリアを積んでいた山川氏は上海で建築事務所を起業後、日本にブランチオフィスを開設しようと井波にやってきた。富山県出身ではあるが井波と関わりがあったわけではなく、建築家として井波の木彫り文化に惹かれたのがきっかけだという。

山川氏は、古民家を改造して「職人に弟子入りできる宿」というコンセプトの分散型ホテル「Bed and Craft」を運営しているなど、当時すでに井波では異端の人物だった。

日本遺産をきっかけとした街づくりの議論。建築家であれば「何か施設を建てよう」という提案をしそうなもの。しかし、山川氏の主張は一貫して「ハードの前にソフト、人づくりをするべき」というものだった。

「Bed and Craftを運営していて、一人面白い人がいるとさらに面白い人がどんどん集まってくるというのを実感していました。今で言う関係人口が増える、みたいなことですね。

僕自身、Bed and Craftを見知らぬ土地ではじめるのに、すごく苦労をしました。だから、関係人口の起点になる面白い人材が井波で事業するのをサポートする。人づくりこそ、最初にやるべきだと思ったんです」(山川氏)

「つくる人をつくる」ジソウラボが発足

議論を経て、日本遺産認定に向けたプランは井波彫刻に焦点を当てたものへと生まれ変わり、「人づくり」も計画のなかに盛り込まれた。結果として、井波は日本遺産に認定された。

しかし、ワーキング・グループに参加したメンバーの一部は、いつしか日本遺産認定という目的を越えて、この若手同士の議論に可能性を感じるようになっていた。

そして、ワーキング・グループのメンバーの中で、島田氏、山川氏、そして木彫師の前川大地氏の3名が立ち上げメンバーとなり2020年6月に「ジソウラボ」が発足。

奇しくもコロナ禍の只中。厳しい時世だからこそやるべきだと考え、コロナ給付金の10万円を出資金にして一般社団法人にした。

メンバー集めにはこだわった。同じ熱量と課題感を共有できて、かつ多方面での支援ができる専門性と地力のある人材に声をかけ、建築、デジタル、データサイエンスなどさまざまな領域で活躍する7名のメンバーでジソウラボはスタートした。

「初期に同じ考え方を共有できるメンバーが集まったのは大きかったですね。物事の判断基準も不思議と統一されて、スピード感をもってプロジェクトに取り組むことができました。井波にどういう価値を提供できるかを第一に考えて、自分の損得は二の次に考える。そういうメンバーが集まってくれました」(島田氏)

最初に取り組んだのは日本遺産のプロジェクトから引き継いだ「BE THE(MASTER)PIECEプロジェクト(通称:MAP)」。

250年前、京都・東本願寺の御用彫刻師、前川三四郎氏がやってきて井波に彫刻文化が定着したように、外部からやってくる人材を支援して井波の次の100年の文化をつくる。「つくる人をつくる」を目的とするジソウラボの土台となるプロジェクトだ。

「ホテル界の前川三四郎、飲食業の前川三四郎というように、さまざまな業界の前川三四郎をつくろうというプロジェクトです。源泉になれる人が一人いれば必ず次につながっていきます。ある意味、山川さんもそうですよね。

源泉になれる人と私たちのような土着の民がつながれば次の時代の大きな力になる。僕たちは源泉になれる人を導いていくのが役割だと思っているんです」(島田氏)

待っているだけでは前川三四郎は現れない。ジソウラボではどのような事業のどういう人材に来て欲しいか、自らスカウト要件を掲出。今地域に必要だと思う事業と人材を明確にすることで、地域と人材のミスマッチを極力減らしている。応募が来てからも、何度も面談を重ねるという。

そんなMAPプロジェクトの第一号として開業したのがbaker’s house KUBOTAだ。東京のパン屋で9年間修行し、地元の富山県で独立開業を考えていたという窪田直也氏。移住センターを訪れたところ、ジソウラボの募集案件を紹介された。

「最初は不安でしたよ。井波で開業してお客さんが来るのかと。もう少しお客さんがいそうな場所で開業したいなと思っていました。でも、ジソウラボの方と面談して、井波の人たちを紹介してもらううちにだんだんと魅力を感じはじめたんです。

僕がMAPプロジェクトの1期生になってからは山川さんのBed and Craftの厨房を手伝わせてもらったり、試験的にパンも販売させてもらったりもしていました。

店舗は山川さんが設計してくれましたし、事業戦略やマーケティング部分などもジソウラボのみなさんにいろいろと相談にのってもらいました」(窪田氏)

2021年2月、元々空き家だった場所にbaker’s house KUBOTAが開業。お客さんが来てくれるのか半信半疑だったが、店には連日行列ができ、開店から1~2時間で売り切れてしまうほどの盛況ぶりとなった。お客さんは地元だけでなく、富山県の広域からも訪れた。

baker’s house KUBOTA以降も、MAPプロジェクトではさまざまな事業の担い手を募集した。基準は自分たちが街に欲しいもの。「クラフトビール屋が欲しい」という募集から開業に至ったのはクラフトビールの醸造・販売を行うNAT.BREWだ。

元々ワインの醸造家だった望月俊佑氏は、妻の郷里だった南砺市へ移住。ワイナリーを作りたいと地元の人たちに話を聞いているなかでジソウラボの募集を知り、クラフトビール醸造を新たな夢として追いかけていくことを決めた。ジソウラボメンバーの藤井公嗣氏がオーナーとなり、望月氏が運営責任者となった。

「物件選びや店舗の設計もそうですし、お店をやるとなると地元の先輩方に話を通さなきゃいけないことも出てきます。そういったときにジソウラボが間に入ってクッションになってくれることで、スムーズに話が進むんです。

それだけでなく、開店にあたって地元のみなさんに声をかけてくださったおかげで、お店には予想以上に地元のお客さんが来てくれています。最初は醸造所をメインにして外販に力を入れていくつもりだったのですが良い意味で想定外でした。

ジソウラボはいろいろ協力してくれるけれど、かといってあれしろこれしろという話もなく、好きにしたら良いというスタンス。信頼して任せてくれているのかな、と思えますね」(望月氏)

ジソウラボの支援の特徴はそれぞれのメンバーが本業で培った専門性を有している点だ。NAT.BREWの施工はオーナーであり、建設会社を営む藤井氏が行った。baker’s house KUBOTA、NAT.BREWの店舗設計は山川氏の建築事務所である株式会社コラレアルチザンジャパンが担当した。

ちなみに山川氏は井波の建築物を設計するにあたり、あるこだわりがあるという。

「都市計画のマスタープランを考えるなんてことまではしていないですが、設計するにあたってポリシーがあります。それはプライベートをパブリックに変えていくこと。

井波の人口は合併後に2~3割減少してしまっているんです。人口は減っているけれど、建物は当時のまま。だから2~3割人口が減少した分、建物も2~3割をパブリックに返しても良いんじゃないかって。建物の1階部分を広場にしたり、店舗の通路を公共の通路としても使用できるようにしたり。

これまで所有していたものが共有するものに変わっていくことで、余白が生まれて、そこに新しい人や出来事が生まれていくんじゃないかと思っているんです」(山川氏)

フィロソフィーを同じくする自律分散型組織

ジソウラボの支援は店舗の開業だけにとどまらない。イドウラボという取り組みでは、モビリティ事業の立ち上げを自治体とともに推進。アキヤラボでは空家問題の解決に取り組んでいる。ケイギョーラボという後継者問題に取り組むプロジェクトもある。

イドウラボとアキヤラボは、いずれもジソウラボとは別の一般社団法人の法人格で活動している。ケイギョーラボは任意団体だ。

ジソウラボという組織のユニークさの1つに、プロジェクト毎に最適な単位と形でチームを編成している点がある。そのベースとなるのは個人の意志。つまり自律分散型組織というわけだ。

「ジソウラボという組織自体がどうなるかよりも、きちんと井波の生態系を構成する機能をつくっていくことを重要視しています。運営しているうちにジソウラボ自体も化学変化していって、自分たちが思いもよらないものになって欲しいんです。

だからジソウラボが街を牛耳るとか、そういうことはまったく考えてません。井波が活性化していく生態系が結果的に生まれてくれれば良いと思っています」(島田氏)

島田氏の言葉通り、外の地域から呼んできた人材はジソウラボの社員になるでもなく、同じ志を共有する「フレンズ」という名称で位置付けられている。

また、前出の「ラボ」もそれぞれが主体的に取り組める人材がトップになり、連携しながらも独立した組織として運営している。

「ただ、井波を変えていくには生まれたラボが最終的にはひとつのまとまりになっていかなくてはいけません。そこは細かく明文化したルールなどではなく、フィロソフィーのようなもので同じ方向に向かえれば良いと思っています。

自由にやりながらも『こういう街になったらいいよね』というところは共通の意識を持てている。理想論ですけれど、そんな心地良い地域になったらいいですよね」(島田氏)

行政に頼らない民間の独立自治で街を再生する

「人づくり」から街づくりをしようという試みは、少しずつだが着実に井波の街並みを変えつつある。baker’s house KUBOTAとNAT.BREWのほかにも、コーヒーの焙煎所兼カフェのhaiz coffee roasteryができたことで、井波の街にこれまではいなかった若者たちが訪れるようになった。

ジソウラボが呼んできた若手起業家同士は自らコミュニティを形成しつつある。また、井波が盛り上がりつつある状況を知り、ジソウラボが全く関わっていない新たなホテルも開業している。井波は本当の意味で自走をはじめた。

この状況はジソウラボメンバーにとっては望むところだという。ジソウラボは最終的に自分たちが必要なくなることを望んでいる。

「ジソウラボをはじめるとき、島田さんと辞め方もデザインしようと話していたんです。他の地域の街づくりを見ても一時は盛り上がっても、時間が経つにつれて当初の想いが薄れてしまっているケースがあるので。

若手として集まったけれど、時間が経てば僕らも面倒くさいおじさんになってしまうわけですよ。

だから最長30年。でも井波に来てくれた若い起業家たちがつながって、思いのほかバトンタッチが上手くいっている感覚があって。最近は30年じゃなくて、10年で良いんじゃない?と思いはじめています。

結果的に何が必要かと言えば井波に関わる人たちの意識の向上なんじゃないかと思っていて。みんなが地域の課題を意識しながら活動していれば、街は絶対に良くなるし僕らのような存在も必要なくなる。そういう意味では、僕らは消えるのが理想なんです」(山川氏)

過疎化が進むほど、反比例して地域における行政支援の重要性は増していく。では、行政に頼りきりになるしかないのか。行政が機能しなかったら、街は廃れていくしかないのか。

民間で街を自治していこうというジソウラボの取り組みは過疎化が進む地域にとって、新しい選択肢になるかもしれない。

「今、地域の政治は当事者意識のない人たちが担い手になってしまっていることが少なくありません。地域のことを自分事として捉えて主体性を持って行動することができていない。責任逃れのために逃げ道をつくる選択をしているように感じられます。

でも、地域に暮らす僕らには逃げ道はありません。地域が廃れてしまったらそれで終わり。だったら自分たちで計画を立てて、承認して、実行に移す。そんな機能を持った民間による独立自治ができないかと思っているんです。行政に頼るのではなく、自分たちで自分たちの街をつくる。そんな社会システムに挑戦したいんです。

今、お金のことに関してはさまざまな選択肢が増えました。ふるさと納税もそうだし、クラウドファンディングもあります。

最近、南砺市では小規模多機能自治という考え方を取り入れて、自治区ごとに予算をつけて任せるような流れになってきています。自分たちから働きかけて市町村に予算をつけてもらうこともできるし、市町村を経由して国から予算を引っ張ってくることだってできます。

源泉となる人間が1人でもいれば、企業にでも行政にでも働きかけてなんとかできる可能性がある。その1人が考え抜いて、動いて、仲間を作れる人間ならば、まだその街に可能性はあると思うんです」(島田氏)