三井不動産

【生物多様性】「ネイチャーポジティブ経済」が、地域に生み出す新たな市場とビジネス

2024.12.20(金) 17:14
【生物多様性】「ネイチャーポジティブ経済」が、地域に生み出す新たな市場とビジネス

現代は「第六の大量絶滅」と呼ばれるほど生物多様性の損失が進んでいる。この生物多様性というテーマは、一見遠く感じられるが、実は経済にも大いに関係がある。

World Economic Forumのレポート(2020年)によれば、サプライチェーンを紐解くと、世界の総GDPの半分以上は自然に依存した産業から生み出されているという。自然資本を有する地域の経済となればなおさらその影響は大きい。

そんな中、地球の持続可能性を実現させるために国際的に注目されているのが、「ネイチャーポジティブ(自然再興)」という考え方だ。世界の共通目標として、2030年までに「自然を回復軌道に乗せるために生物多様性の損失を止め反転させるための緊急の行動をとる」ことが課されている。

自然資本に恵まれ、豊かな固有種生物が暮らす日本の地域は、ネイチャーポジティブにどう向き合うべきか。環境省・生物多様性主流化室室長の永田綾氏に聞いた。

永田 綾(ながた あや)

環境省 自然環境局自然環境計画課 生物多様性主流化室 室長
2005年環境省入省。産業廃棄物規制対策や大気汚染物質排出規制対策に関する法制度改正、名古屋議定書や水俣条約の締結、環境金融・ESG金融に関する政策・事業、プラスチック資源循環対策、ネイチャーポジティブ経済移行の促進などを担当。

生物多様性の損失は、全産業に影響を及ぼす

──まず「ネイチャーポジティブ」とは、どのような考え方なのでしょうか。

「ネイチャーポジティブ」は、日本語訳で「自然再興」を意味します。現在の種の絶滅は過去1000万年間の平均と比べて10倍以上の速度で進んでおり、地球の生物多様性は損失し続けている「ネガティブ(マイナス)」な状況です。今まで通りの活動では、持続可能な地球環境の実現は難しい。そのため従来の自然環境保全の取り組みに加えて、さまざまな分野で連携し合い「ネガティブ」を「ポジティブ」な状態まで回復していこうというのが、ネイチャーポジティブの趣旨です。

──なぜ今、ネイチャーポジティブが注目されるのか、背景について教えてください。

地球の生態系はそれぞれが複雑に関与し合うことで成り立っているため、生物多様性の損失は全産業の経済活動に影響を及ぼします。サプライチェーンを通じての影響も含めると、世界の総GDPの約半分が自然資本に依存しているとの調査があります。生物の多様性を保全していくことは、世界経済の課題でもあるのです。

国際的な動きとしては、2022年に生物多様性条約*の新たな世界目標として「昆明・モントリオール生物多様性枠組」がCOP15*にて採択されました。2050年ビジョン「自然と共生する社会」の実現に向けて、2030年ミッションとして「自然を回復軌道に乗せるために生物多様性の損失を止め反転させるための緊急行動をとる」ことが世界共通の目標となりました。

日本では2023年に「生物多様性国家戦略2023-2030」が閣議決定され、「5つの基本戦略」が掲げられました。基本戦略の一つにあるのが「ネイチャーポジティブ経済の実現」です。

ネイチャーポジティブ経済は「生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せることに資する経済」と定義されています。2024年3月には、環境省、農林水産省、経済産業省、国土交通省の4省庁連名で「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」を取りまとめました。

*生物多様性条約…生物の多様性保全などを目的とした条約。締約国数は194カ国とEU・パレスチナ

*COP15…国連生物多様性条約第15回締約国会議

──「SDGs」「カーボンニュートラル」などは、企業の社会的責任として取り組まれていることが多いように感じます。「ネイチャーポジティブ」に企業や地域が取り組む動機をどのようにお考えですか?

諸外国では、自然との不適切な関わりによって財務的な影響が出ることが明らかにされています。米国『Bloomberg NEF』が行った調査レポートによれば、電気自動車で有名なテスラは工場建設計画において地下水量管理が不十分だったために地元から訴訟をうけ、株価下落や施設遅延に追い込まれています。恐らくこうした事例は日本でも起きるでしょう。

一方で、新たなビジネスオポチュニティも生まれています。例えば、富山県で行われている準絶滅危惧種のサーモンを陸上養殖する事業は、海洋環境による赤潮・台風・病気等リスクを回避できるものですが、年間50億円の市場規模が見込まれ、その他に約110億円の養殖施設建設費や雇用など地域に大きな経済効果をもたらしています。

ネイチャーポジティブに関連する新たな市場としては、他にも、都市インフラの開発過程で野生生物の通り道を設ける「アニマルパスウェイ」、環境負荷を低減する「サステナブル農業」などさまざまな事業の可能性があります。

また、住宅建築時に気候や地域に適した在来樹種を庭に植える事業も行われています。こうした取組は企業にブランドの差異化効果をもたらし、都市の生物多様性の回復ばかりでなく、関連する造園工事などは地域に経済効果をもたらすでしょう。

ネイチャーポジティブ経済の成功の鍵は地域の取り組み

──日本では、地域に豊かな自然資本がたくさん残されています。地域には自然と関わる産業も多くありますが、自然をうまく活用してビジネスにつなげた事例は生まれているのでしょうか。

地域からも、自然とビジネスの適切な関わり方を見つけた先進事例は生まれています。宮城県南三陸町は、持続可能な森林管理や漁業を行うために南三陸杉や戸倉っこかきのブランド化に成功し、FSC認証*とASC認証*を取得する世界初の自治体になりました。ダブル認証を生かし、林業と水産業における生業づくりに取り組まれています。

また熊本県では、世界大手の半導体製造メーカーの工場の進出に伴い、経済波及効果を受ける一方、半導体工場では半導体の洗浄に大量の水が使用されるため、地下水減少等が懸念されています。このため、地域で連携して、地下水取水量の削減や地下水涵養の推進を行い、地域の豊かな自然資本である地下水の保全と経済発展のバランスの確保を図っています。

兵庫県但馬産の「コウノトリ育むお米」や新潟県佐渡市の認証米「朱鷺と暮らす郷」は、生物多様性保全と農業の価値創造を両立させています。自然や生物にやさしい環境で作られたブランド米を消費者が食べ支えることで、水田周辺に生息する生物の環境が保護される仕組みです。

*FSC認証…森林管理協議会(Forest Stewardship Council)が設定する、国際的な森林管理認証制度。森林所有者及び管理者が責任ある森林管理を実践していることを証明する制度

*ASC認証…水産養殖管理協議会(Aquaculture Stewardship Council)が設定する、水産養殖に関する国際認証制度。海の自然環境や労働者の人権など、業界で最も厳格な基準をクリアした養殖場にのみ与えられる

──地域におけるネイチャーポジティブの実現へ向けて、地域事業者にはどんな役割が期待されるのでしょうか。

二つの役割が考えられます。一つは、ネイチャーポジティブ経営に取り組む大手企業をサプライヤーとして支える役割です。大手企業がネイチャーポジティブ経営へ移行するためには、地域事業者の協力が不可欠です。

例えばTNFD*の開示に取り組む企業なら、地域の工場でどれくらいの水資源が使用されているか、新拠点の建設にどれくらい自然へのインパクトがあるかなど、実態を調査すると共に目標や対策を可視化することが求められるでしょう。

もう一つは、先ほど紹介した事例のようにネイチャーポジティブを上手く取り込みながら地域経済を活性化させる役割です。この場合は自然保全というよりは、「地域を元気にしたい」という町おこし的視点から始まることが多いです。自治体や各種組合と連携を取るなど、面的に取り組みを広げていくことになるでしょう。

*TNFD…Taskforce on Nature-related Financial Disclosuresの略。自然関連財務情報開示タスクフォース。日本は世界最多の約130社が開示に取り組むことを表明している

生物多様性をこれからのスタンダードに

──2030年ミッションは世界共通の課題ですが、日本が目指す理想の状態についてお聞かせください。

2030年には、大企業の5割が経営の場で生物多様性に関する報告や決定がある状態を目指しています。またネイチャーポジティブの実現に向けて活動することを表明する「ネイチャーポジティブ宣言」への参加・賛同団体を1000まで伸ばし、中小企業にも裾野を拡大していきたいです。この1年間で、4割、580団体にまで増加し、企業・団体の皆さんの意欲は大変心強いです。

私の肩書きは「生物多様性主流化室室長」ですが、生物多様性を主流化するということは、生物多様性への取り組みが当たり前になるということです。

ビジネス領域において生物多様性という概念はまだ持ち込まれ始めたばかりですが、企業が自社のビジネスにおいて自然から受けている恩恵や事業活動に及ぼす影響について把握することを前提として、事業を続ける過程で自然資本への負荷を軽減し、どう生物多様性の保全に貢献していけるかを考えることが必須になっていく。資金の流れも変革し、ネイチャーポジティブに移行するための事業活動に資金がつく。そんな構造が当たり前になることを目指しています。

──経営への悪影響を防ぐためにネイチャーポジティブ経営に取り組むイメージは湧くのですが、ビジネスとして利益を生むのはまだ難しい現状があります。打開策はあるのでしょうか。

おっしゃる通りで、ビジネス需要を生むための課題は多くあります。行政の立場としては、交付金や補助金を充実させるなど企業の行動変容も支援していますが、公的資金だけでは限界があります。

自然資本の恩恵を受ける側が資本供給する側のスポンサーになる、自然共生サイトの活動主体に対する人手や金銭面からのサポートの輪を広げる仕組みの設立、ふるさと納税を通じた生物多様性保全への支援のように、地域に合った新たな資金調達手法用意することも重要です。

ネイチャーポジティブへの取り組み結果を指標化するため、企業の事業活動における環境負荷を可視化するネイチャーフットプリントの開発も行っています。

アパレル業界では、サステナブルに配慮した商品への消費者ニーズを喚起しながら、企業も再生素材開発やリユースビジネス、回収スキームの構築に取り組んでいます。

社会の意識変容が起これば価格に転嫁することも可能となるため、社会全体の意識を醸成することは急務だと捉えています。

──ネイチャーポジティブ経済は、地域へどんな影響をもたらすと考えられますか。

ネイチャーのバリューチェーンで捉えると、私たちが考える都道府県の地域とは少し違ったまとまりが生まれます。例えば川には川上、川中、川下があり、それぞれの流域での役割や水の使われ方が異なります。自然資本単位でのまとまりで、ネイチャーポジティブ経済に取り組む必要があるのです。

そのためには、まず自分が関わる自然資本を認識し、同じ自然資本と関わる別の地域と、今ある自然資本を守るためにどう連携していくのかを考える必要があります。自然資本単位での新しいまとまりが生まれることで、ビジネスオポチュニティや想像もしていない化学変化が起きると思います。

日本はどの地域にも豊かな自然があるため、国を挙げてネイチャーポジティブ経済へ移行することができれば大きな国力を生むはずです。ネイチャーポジティブ経済分野で世界をリードしてイニシアチブを取ることができれば、日本のプレゼンスも高まります。地域からネイチャーポジティブ経済が盛り上がっていくことで日本国内の経済も活性化する好循環を生みたいと考えています。

(文:秋元沙織)