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地域の「宝」、見過ごしていませんか?富山「水と匠」に学ぶ、文化資本の”正しい”活かし方

2025.10.30(木) 12:55
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地域の「宝」、見過ごしていませんか?富山「水と匠」に学ぶ、文化資本の”正しい”活かし方

富山県西部の砺波平野で、三方を水田に囲まれた築120年の古民家を再生して生まれた宿「楽土庵」。1泊2食付1名43,000円〜と、決して安くはない価格設定にも関わらず、日本だけでなく海外からも観光客が訪れるなど、人気を博している。

この楽土庵の一番の”ウリ”は富山の「土徳」。土徳とは民藝運動の創始者である柳宗悦氏の言葉で、富山の自然と人が共生して作り上げた気風のことを指す。つまり、土地の文化が唯一無二の観光資源となっているのだ。

テーマパークや温泉のようなわかりやすい観光資源とは違い、にわかにはその価値を見出すことの難しい、土地の文化。どのようにして観光の体験価値へと変えていったのか、楽土庵のプロデューサーで株式会社水と匠* 代表の林口砂里さんに伺った。

*株式会社水と匠は、観光地域づくり法人(DMO)の富山県西部観光社の収益事業部門として設立

林口 砂里(はやしぐち さり)

株式会社水と匠 代表取締役。
東京でアートマネジメントの仕事に携わった後、2012年に富山県高岡市に拠点を移す。地域の文化資本の価値を再定義し、持続可能な地域づくりを目指す。散居村の古民家を再生した宿「楽土庵」などをプロデュースし、国内外から注目を集めている。

 見過ごされてきた地域の宝。「散居村」の価値と危機

──まず、林口さんがこれまで関わってこられた富山県西部エリアについて教えてください。また、どのような課題があると感じていらっしゃいましたか?

富山県は、3000メートル級の立山連峰と水深1000メートルを超える富山湾が共存する雄大な自然に恵まれ、その中で育まれたものづくりや伝統産業が今も若い世代に受け継がれている豊かな地域です。

浄土真宗の信仰が篤く、そのお寺や仏具を作ることから発展した伝統産業については、行政や地域の方々も文化資源としての価値をしっかり認識し、未来につなごうという意識が非常に高いエリアだと感じています。

一方で、重要な文化資源でありながら、その価値が地域であまり認識されていなかったのが、私たちの活動拠点でもある砺波(となみ)平野に広がる「散居村(さんきょそん)」という文化的景観です。

散居村は、家々が集まって一つの集落を形成するのではなく、広大な田んぼの中に家が点在している、非常に珍しい集落形態です。これは約500年という長い年月をかけて、この土地の自然と人々が向き合ってきた結果、生まれた景観です。

当たり前の風景であるがゆえに、その価値が見過ごされ、住民の高齢化も相まって、これまで個人の努力で保たれてきた景観が、もう5年、10年で大きく変わってしまうだろうという危機的な状況にありました。

©Adobe Stock

──散居村について詳しく教えていただけますか。一見するとただの田園風景にも見えますが、どのような価値があるのでしょうか?

このエリアは、大きな川に挟まれ、たびたび洪水に見舞われる一方で、上流から肥沃な土が運ばれました。同時に大量の石や岩も運ばれ、水はけが良く本来は稲作に向かない土地です。それでも高い山からの豊富な雪解け水のおかげで稲作ができるのですが、水の状態を常に管理する必要があった。そのために、人々は自ら開拓した田んぼの真ん中に家を建て、水の管理にあたりました。皆がそうしたことで、家々は自然と散らばっていったのです。さらに、冬の強い風を防ぐために家の周りに屋敷林を植えたことで、この独特の美しい景観が生まれました。

つまり、散居村は単なる田園風景ではなく、厳しい自然環境に適応し、人々が合理性を追求した結果生まれた「人と自然が共生して作り上げた景観」なのです。 近年では、この田んぼや屋敷林がヒートアイランド現象を抑制したり、豪雨の際には水を吸収して防災・減災の役割を果たしたりと、優れた「エコシステム」としての価値を持っていることも分かってきています。

文化を守るために「稼ぐ」。古民家宿「楽土庵」と再生の旅

──散居村を守っていくために、具体的にどのような取り組みを始められたのでしょうか?

文化を守りたい、継承したいという想いだけでは、持続可能にはなりません。経済合理性で言えば、その場所にマンションや工場を建てた方が良いとなってしまいます。だからこそ、文化を守り続けていくために、今の経済の仕組みの中で、きちんと「稼ぐ」ことが不可欠だと考えました。この美しい景観で経済的な価値を生み出せなければ、いずれ経済原理の中で失われてしまうからです。

そのためのモデルケースとしてまず着手したのが、空き家になっていた「アズマダチ」を改修し、1日3組限定の宿「楽土庵(らくどあん)」を立ち上げることでした。「アズマダチ」とは、冬の強い風を防ぐために屋敷林を南西に植え、玄関が自然と東を向いているこの地方の伝統的な古民家のことです。空き家になって朽ちていくだけだった建物が、実は「稼げる資源」になるのだということを、まず自分たちが実践して示す必要がありました。

──古民家宿は他の地域にもありますが、「楽土庵」ではどのようなコンセプトを掲げているのですか?

私たちが掲げているコンセプトは、「リジェネラティブ・ツーリズム(再生の旅)」です。 オーバーツーリズムが問題になるような観光ではなく、旅行者がその土地を訪れることで、その地域がより良く再生していく。それだけではなく、訪れた旅行者自身も、この土地の自然や文化、人々の営みに触れる中で癒されたり、新たな価値観を得たりと、本来の自分を取り戻していく。地域と人、その両方が再生していく旅のあり方を提案したいと考えています。

その思想を具体的に示す仕組みとして、ご宿泊いただいたお客様の宿泊費の2%を、散居村の保全活動をしているボランティア団体さんへ寄付金としてお預かりする、という取り組みも行っています。お客様が泊まってくださること自体が、この景観を守る活動に直接つながるのです。

なぜ人を惹きつけるのか?高付加価値観光の“本質”

──「楽土庵」は高価格帯ですが、いわゆる豪華な設備があるわけではありません。それでも国内外から人が訪れるのはなぜでしょうか。

宿を始める前に、Yahoo!のビッグデータを活用してこのエリアの認知度を調査したところ、一般的な観光地としては全く認識されていないことが明らかになりました。そこで、メジャーな観光地を目指すことはやめ、ターゲットを明確に絞ることにしたんです。

データから見えてきたのは、観光地としての認知はないものの、「ものづくり」や「デザイン」といったキーワードでは一定の関心が寄せられているということでした。この結果を踏まえ、ものづくりやデザインに感度の高い「クリエイティブクラスター」と、物質的な豪華さよりも本質的な豊かさを求める「モダンラグジュアリー層」をターゲットに設定しました。

彼らは、異文化への深いリスペクトがあり、サステナビリティへの意識も高い。国内外を問わず、そうした方々にとって、浄土真宗の思想とも結びついた「他力美」を宿す民藝・工芸品のしつらえや、500年かけて育まれた人と自然の共生の物語は、何よりも価値のあるものとして深く響くと考えました。

その狙いは的中し、そうしたお客様の中には国内だけでなく海外の方も多く、今では全体の6割以上を占めています。国内では何度もリピートしてくださる方もいらっしゃいます。

──「高付加価値」「富裕層向け」の観光に多くの地域が取り組み、失敗しています。体験の造成や価格設定で意識されていることは何ですか?

私たちが考える高付加価値の本質は「自分が変容するような体験」を提供できるかどうかです。ただ「珍しい」「豪華」というだけでは人の心は動きません。この土地で人々が長く培ってきた生き方や価値観に触れた時、人は感動し、本来の自分を取り戻すような体験をされるのではないかと考えています。

そのため、すべての宿泊プランに、スタッフが宿の周辺を案内しながら散居村の成り立ちや暮らしについてお話しする「散居村ウォーク」を標準で付けているほか、地域の職人さんの工房を訪ねたり、900年続く和太鼓の練習を見学させていただいたりと、これまで観光とは無縁だった方々の日常に触れさせていただく、ユニークな体験を数多く用意しています。

和太鼓の体験
書道の体験

その際、最も意識しているのは、地域の方々へのリスペクトです。地域の方々の貴重な時間をいただくわけですから、当然その対価をしっかりとお支払いしなければなりません。お客様にもその価値をきちんとご説明し、適正な価格で体験していただくべきです。安売りをするのではなく、価値に見合った経済的なメリットを地域事業者に還元することが、持続可能な関係性を築く上で非常に重要だと考えています。

「外からの目」が地域を変える。住民に生まれた誇りと新たな共創

──「楽土庵」の取り組みを通じて、地域にはどのような変化が生まれましたか?

経済的な効果以上に大きかったのが、地域住民の方々の意識の変化です。正直、宿を始めた当初は、地域の方々から「本当にこんな場所に人が来るのか?」と心配されるところからのスタートでした。

しかし、実際に国内外からお客様が訪れ、自分たちの暮らしや風景を「美しい」「価値がある」と心から評価してくださる。その姿に触れることで、住民の方々の中に、自分たちの地域や暮らしへの誇りが少しずつ醸成されてきたと感じます。

あるおばあちゃんは、「畑仕事の合間に、楽土庵に泊まっているお客さんとおしゃべりするのが何よりの楽しみ」と新聞に投稿してくださったほどです。お客様との交流が、景観をきれいに保つモチベーションにもつながっているのではないでしょうか。

──住民の方の意識の変化から、さらに新しい動きは生まれていますか?

はい。最も大きな変化は、この取り組みをきっかけに、住民、農協、伝統産業の担い手、銀行、行政といった多様な方々が連携する「となみ散居村サステナブル推進協議会」が、地域から自発的に立ち上がったことです。

これまでは少しバラバラだった保全への動きが、一つのテーブルで議論されるようになり、そこから新しい創発が生まれています。例えば、屋敷林の剪定枝からアロマオイルを抽出し、新たな特産品として商品化して発売を開始したり、かつては産業廃棄物として捨てられていた大量の「もみがら」を燃料にしてご飯を炊く昔ながらの炊飯器を、現代のアウトドア用品として復刻させるプロジェクトなどが、実際に動き出しています。

©Adobe Stock

どの地域にもその土地ならではの「土徳」があるはず

──経済的な成功だけでなく、地域に良い循環が生まれていることがよく分かりました。最後に、この富山での取り組みは、他の地域でも応用可能だと思いますか?成功のために重要なポイントは何でしょうか?

はい、応用は可能だと考えています。最も重要なのは、温泉がある、食事が美味しいといった表面的な魅力の紹介に留まらず、その土地の歴史や風土に根ざした独自の価値、つまり「地域のアイデンティティ」が何なのかを、自分たちで深く理解し、言語化することです。

民藝運動の創始者である柳宗悦は、富山の自然と人が共生して作り上げてきた気風を「土徳(どとく)」という言葉で表現しました。私たちがやっているのは、この「土徳」を現代のやり方で伝え、未来につなぐことだと思っています。

きっと、どの地域にもその土地ならではの「土徳」があるはずです。それを見つけ出し、その本質的な価値を守るという覚悟を持つこと。そして、きれいごとだけではなく、それをビジネスとして成立させるための創意工夫を続けること。それが、地域の文化資本という宝を、未来へとつないでいく道の一つではないでしょうか。

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