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地域事業立ち上げの3フェーズ理論、鍵握る「3人」とは?

2023.03.01(水) 21:54
地域事業立ち上げの3フェーズ理論、鍵握る「3人」とは?

5年間で観光客数が約2倍に増え、子育て世代の移住やベンチャーの起業なども増加し、地方創生の成功モデルとして全国から注目されている村がある。その村は、山梨県小菅村。この人口約700人の小さな村の地方創生を総合プロデュースしたのが伴走型コンサルティング会社・さとゆめだ。現在、全国40の地域で地域活性化やビジネス創出を支援しているさとゆめの代表・嶋田俊平氏に、地方創生の方法論を伺った。

嶋田俊平(しまだ・しゅんぺい)
株式会社さとゆめ 代表取締役社長

大阪府箕面市で生まれ、父親の仕事の関係で幼少期の計10年をインド・タイで過ごす。2004年、京都大学大学院農学研究科森林科学専攻修了。同年、環境系シンクタンクに入社。2013年、株式会社さとゆめ創業。地方創生の戦略策定から商品開発・販路開拓、店舗の立ち上げ・集客支援、観光事業の運営まで、一気通貫で地域に伴走する事業プロデュース、コンサルティングを実践。2018年、ホテル開発・運営会社株式会社EDGEを設立。山形県河北町の地域商社・株式会社かほくらし社、人起点の地方創生を目指す株式会社100DIVE、JR東日本との共同出資会社・沿線まるごと株式会社の代表取締役も兼務。

計画立案だけでなく「伴走」しなければ、と気づいた日

——さとゆめは、山梨県の小菅村全体をホテルに見立てた「NIPPONIA 小菅 源流の村」や、無人駅の駅舎などをホテルのフロントやロビーとして活用する「沿線まるごとホテル」など、インパクトのある地域ビジネスをいくつも立ち上げています。

さとゆめのミッションは、「ふるさとの夢をかたちに」です。地域の方々の夢を、計画や戦略にとどまらず、商品やサービス、事業など「かたち」になるところまで支援しています。

さとゆめがお手伝いしているのは、半島の端や山奥にある小さな村や町。そういった自治体は、機能や規模で勝負するのが難しい。そのため、他にはない強いコンセプトを打ち出す必要があります。認知されるためには突出しなければいけませんから。

コンセプトを考える時に意識するのは、カテゴリーを新しくつくること。そうすれば、そのカテゴリーでは一番になれますよね。メディアも取り上げてくれるし、価格も自分で決められる。

小菅村のケースでは、「古民家ホテル」や「分散型ホテル」というカテゴリーには、すでに多くの先行者がいました。では、自分たちの強みである地域運営型という考え方をくっつけてしまおうと。それで小菅村の「700人の村がひとつのホテルに」というコンセプトが生まれたんです。

——さとゆめでは「伴走型コンサルティング」をされていると聞きました。「伴走」という考え方はどのように出てきたのでしょうか。

僕は大学で森林科学を専攻してから、まちづくりや環境保全に特化したコンサルティング会社に入りました。その会社に入って3年経った頃、長野県信濃町のプロジェクトに携わりました。

それは、かつてスキーで栄えた信濃町に、スキーに代わる新しい産業をつくるというもの。すでに信濃町では森林を健康のための空間として活用する保養地型観光地づくりが始まっていたのですが、集客やマネタイズで苦労していました。

そこで僕はコンサルタントとして関わり、観光客ではなく都市部の企業をターゲットにしたらどうか、という提案をしました。社員の健康増進をはかりたい企業にアプローチして、社員研修や社員旅行で来てもらえばよいのではないかと考えたんです。マーケティング戦略や調査レポートなどをまとめて納品し、その仕事は完了しました。

それからしばらく信濃町のことは忘れていたんです。2年後に、信濃町についてのセミナーがあると知り、「懐かしいな」くらいの気持ちで足を運びました。そうしたら、当時一緒に仕事をしていた信濃町役場の浅原武志さんが、その時点で10社以上の企業との提携を成立させ「癒しの森事業」が大きく発展しているという話をしていたんですよ。

そこで僕は初めて、自分が立てた戦略が実現したことを知ったんです。うれしかったけれど、同時に自分の無責任さを痛感しました。それまでは、提案したものが実行されるという実感が持てていなかったんですよね。

——コンサルとしては、計画したらそこで仕事は終わりですもんね……。

そこまでの責任はないという気持ちがあった。どこか他人事だったんです。でも、もし僕が立てた計画や提案した施策が全くの的外れだったら、それを一生懸命実行してくれた信濃町が大損していた可能性もあったわけですよね。それはすごく恐ろしいことだと思いました。

そこで、浅原さんに2年間音沙汰なしだったことをお詫びし、できることがあれば手伝わせてほしいとお願いしました。そこから一緒に企業営業やツアーの商品開発などを一緒にして、協定企業を増やしていきました。

この体験から、計画を作るだけではなく、実現まで地域に寄り添って仕事をしてこそ価値が出せると思うようになったんです。それが、さとゆめの「伴走」というバリューにつながっていきました。

ちなみに、この「癒しの森事業」で知り合った信州大学教授の中嶋聞多さん、都市・地域計画の専門家で信濃町最大のホテルのオーナーでもあった武井裕之さん、そして浅原さんという4人で、「このチームで他の地域もサポートできたらいいね」と意気投合して設立したのが「株式会社さとゆめ」です。

想い、理論、覚悟。事業立ち上げの各フェーズで求められるもの

——地域でどのように事業を立ち上げていくのか、つまりどのように「伴走」していくのか、教えてください。

さとゆめでは、事業づくりの伴走を3つのフェーズに分けて考えています。

「さとゆめ」制作の図を元に作成

縦軸が入ってくるお金、横軸が時間として図示すると、初期はAのNPOフェーズ。この時期は地域の夢や想いに耳を傾けて企画書を作ったり、補助金の申請やクラウドファンディングを手伝ったりしますが、自分たちにお金が入ってくることはありません。

数ヶ月から数年が経ち、役場の予算をもらえたり、国の補助金や企業の協賛などがとれたりして、きちんとフィーをいただいて調査・計画や事業の立ち上げ準備ができるようになる。この段階がBのコンサルフェーズ。そして実際に事業を立ち上げて利益が出るようになる段階をCの事業フェーズ、と呼んでいます。

Bのコンサルフェーズは、コンフォートゾーンなんですよ。お金はもらえるし、提案するだけでいい。僕がかつてやっていたのも、このフェーズの仕事でした。

でも、ここだけやっていても地域にお金も事業も残らないんです。だから、きちんと地域が利益を生み出せるように事業フェーズまでやる。ただ、いきなり事業を立ち上げようとしても、地域の人に受け入れられず失敗することが多い。そこで、さとゆめではAからCまで全部やるんです。

——AのNPOフェーズから入ることで、地域との信頼関係ができていくんですね。

ABCのフェーズに分けることで、どういう動き方をすると事業の立ち上げが成功するかが見えてきます。例えば、各フェーズでは、地域に対してアピールするべきことが違うんです。

「さとゆめ」制作の図を元に作成

Aのフェーズでは、「想い」を打ち出します。この段階では地域でまったく知られていませんし、実績や肩書をアピールしても響かない。そこで、なぜこの村や町に興味を持ったのか、村や町のために何がしたいのか、そもそもなぜ自分が地域づくりの仕事をやっているのか、といった話を丁寧にしていきます。

Bのフェーズでは、対価をもらい始めるので、提案に対しての裏付けとなる理論を見せるんです。そうして成果を出すことで信頼を得ていきます。

Cのフェーズでは覚悟が大事です。実際に事業を立ち上げるので、自分もリスクを負う姿勢を見せるんです。例えば、「NIPPONIA 小菅 源流の村」を運営する株式会社EDGEや沿線まるごと株式会社は僕が代表取締役社長を務めていますし、さとゆめから出資もしています。

さらに、フェーズごとに向き合うべき人も変わってくるんです。最初に向き合う人は3人。その地域を動かしている3人を見つけるところから始まります。

——例えば、村であれば村長?

あとは地域の商工会の会長だったり、肩書がなくても、地域の人に信頼されているNPOのリーダーや長老的な役割を果たしている人の場合もあって、その地域によっていろいろなんです。でもおもしろいのは、大体キーパーソンはどの地域でも3人くらいなんですよ。その3人の信頼を得られると、次のフェーズに進めるんです。

——小菅村の場合はどんな方々だったのでしょうか。

村長、村の教育長、あと小菅村に関わるきっかけは新しくオープンする「道の駅」のプロデュースだったので、道の駅の設計士。この3人でした。

次のフェーズで向き合うべきは30人。これは、役場の課長クラスの人だったり、集落の区長だったり、実際に事業をつくっていく上で協力してもらう人たちです。

そして次が300人。これは地域内の人だけでなく、外の人も含む事業のお客さん。小菅村であれば、道の駅の利用者やホテルの宿泊者がここに入ります。300人のコアなファンをつかむことができれば、勝手にお客さんが増えていくんです。その300人が、SNSで発信してくれたり、知り合いを連れてきてくれたりするので。

「さとゆめ」制作の図を元に作成

このように、時間をかけて3人、30人、300人というカウンターパートとしっかり向き合い、地域や事業の信頼を積み上げていくのが成功への道筋です。

——インパクトのあるコンセプトの提案も、そこまでに信頼関係を築いているからこそ受け入れられるんですね。

その通りです。小菅村の村をまるごとホテルにしようという提案も、5年以上村に通っていたからこそ受け入れられたんだと思います。5年の間に道の駅の立ち上げやウェブサイトの構築、イベントの手伝いなどいろいろな関わり方をして、「さとゆめの嶋田」としての信頼ができていたんですね。

「NIPPONIA 小菅 源流の村」では、村のシンボルとも言える築150年の大きな邸宅を改築してホテルにしています。信頼がなければこのような歴史ある建築物を任せてもらえないですから。

事業づくりから、事業をつくる人の育成へ

——そこまで長い時間をかけてコミットするとなると、担当できる案件は限られますね。

そこが問題だったんです。もともと僕は、仕事の最初から最後まで自分でやりたいタイプで、全部の案件でプロジェクトリーダーを務めていました。

そうしたら、だんだん手が回らなくなってきて。地域に行ける回数も減るし、じっくり考えられなくなってしまったんです。実際に、あちこちで、炎上とも言える問題が起き始めました。だから、さとゆめとして社員を育成し、任せられるようにしました。でもそれにも限界があります。

今って、地方に仕事がどんどん生まれているのに、それをやる人がいないという状況なんです。

——地方には仕事がないのかと思っていました。

まだそういうイメージがありますよね。でも今は、地方で事業をおこそうという動きが広まっています。でも、人がいなくて実現しない。新しいコンセプトのホテルをやろうと思っても、マネージャーやスタッフ、レストランのシェフなどが見つからないんですよ。

地方で事業をつくる時、今までは計画を立てて、資金を集めて、最後に人材を確保してスタートする、という順番でした。でも、今は人材を確保するところがボトルネックになって、プロジェクトが止まってしまう。だから、プロセス自体を人起点に変える必要があるんです。

「さとゆめ」会社紹介資料より

まず人を探す。地域に移住したい、地域で事業を立ち上げたいという人たちを集める。そして、その人達と一緒に計画をつくり、資金を集め、運営までもっていく。

僕らはこれまで「計画から事業化まで伴走するコンサルティング会社」だったのですが、第二創業期として新たなコーポレートアイデンティティを策定しました。それが、「LOCAL BUSINESS INCUBATOR」、人を起点として地域に事業を生み出す会社、です。

——さとゆめの社員が地域の事業をつくるだけでなく、さとゆめで事業をつくる人を集めたり育てたりする、と。

昨年からは、異業種混合型リーダーシップ育成プログラムを提供する一般社団法人ALIVEと共同で「100DIVE」というプロジェクトを始めました。10年かけて、100の地域ビジネスを世に送り出すという目的をもった事業です。

1つの地域に対して15人を集め、5人ずつ3班に分けてそれぞれ事業をつくってもらいます。そして、地域側に1つの事業を選んでもらい、選ばれたチームとそこから半年から1年をかけて実際に事業をつくっていくんです。

こうして、僕らが事業計画を作って「誰かやってくれる人はいませんか」と探すのではなく、その地域に興味がある人達が自分たちで事業をつくる体制を整えていきます。100DIVEから生まれた事業がいま、それぞれの地域で少しずつ形になってきているところです。例えば、兵庫県の宍粟市は日本酒発祥の地とも言われていて、その日本酒の酒樽を使ったサウナを販売する事業が立ち上がりつつあります。

——その地域ならではの事業が生まれてきているんですね。最後に、今後のさとゆめの目指すところを教えてください。

さとゆめのビジョンは、「すべての人がふるさとに誇りを持ち、ふるさとの力になれる社会をつくる」です。僕は幼少期に国内外を転々としていて、生まれ育った場所という意味の「ふるさと」はないんです。

でも、そこで生まれ育ってなくても、帰る場所だと思えたり、愛着があって何度も行ったりしている場所は「ふるさと」だと思います。そういう地域をみんなが持てたらいいですよね。

でも、そういう地域はいつまでもあるとは限らない。もしかしたら市町村合併でなくなってしまうかもしれないし、過疎で廃れてしまうかもしれない。

そうした時に、「ふるさとのために何かがしたい」と思った人を支援して、地域課題を解決したり事業をつくったりする力を授けられる。そんな会社になりたいです。

(執筆:崎谷実穂 編集:野垣映二 撮影:小池大介 写真提供:さとゆめ)