【長崎・小浜町】土地の価値を掘り起こし、豊かに生活する。地域デザインが生み出した人材と経済のエコシステム

長崎県・島原半島の西岸に位置する温泉地、雲仙市小浜町。ここ数年、この町に感度の高い店が増えている。シャッター街だった温泉街の裏通りでは、この10年で約30軒の個人店が新たに開業したという。その流れの中には、都市部から移住してきたクリエイターやデザイナーの姿もある。
なぜ、この町に感度の高い人が集まるのか。その理由を辿っていくと、2020年に逝去したデザイナー・城谷耕生氏の名前に行き着く。現地での取材から、城谷氏が残したデザインの本質を探っていく。
故郷に帰ってきたデザイナーの哲学
2002年、一人のデザイナーが小浜町に戻ってきた。城谷耕生氏である。1968年に小浜で生まれ、東京の専門学校でデザインを学んだ後、1991年にイタリアへ。ミラノを拠点に約10年間活動した末のUターンだった。
イタリアで城谷氏が学んだのは、技術だけではなかった。城谷氏のもとで長年働き、現在はデザイン事務所「目白工作」を主宰しながら、刈水庵の店長を務める山崎超崇さんは、こう振り返る。

「城谷さんがイタリアで師と仰いだエンツォ・マーリたちは、商業主義に傾いていくデザインに『いったん待った』をかけようとした人たちでした。売れることも大事だが、労働者はきちんと生活できているのか、技法は受け継がれているのか。そう問いかけていて、城谷さんはその姿勢に強い影響を受けていました」(山崎)
当時のデザイン業界では、ミラノサローネ(ミラノで毎年開かれる家具の見本市)で作品を発表し、都市の大企業と仕事をすることが成功の形とされていた。城谷氏はその価値観と距離を置き、故郷・小浜を拠点に選んだ。都市で活動することよりも、楽しく暮らせる場所はどこかをまず考える。それが城谷氏の選択だった。
帰郷から10年後、城谷氏が目を向けたのが、温泉街の山手にある刈水地区だった。車が入れないほど道が細く、空き家が目立つエリアである。

2012年夏、城谷氏はデザインを学ぶ大学生たちを招き、約1週間のワークショップを実施し、フィールドワークをもとに、地区の将来像を提案する冊子をまとめた。これを見た住民から「面白いから実際にやったらいい」と背中を押され、構想は具体化する。空き家になっていた古い屋敷を借りて改装し、翌2013年3月、ショップと喫茶を兼ねた「刈水庵」がオープンした。


山崎さんは、城谷氏の哲学について次のように語る。
「城谷さんにとって大事なのは、人が楽しく生活できること、そしてその中で生まれる知恵を守ること。それを実践できる仕事が、たまたまデザインだったという考え方です」(山崎)
その哲学は、刈水庵という場所を通じて、次の世代へと受け継がれていく。
城谷氏の生き方に惹かれた人たちが、根を張る
城谷氏のもとには、やがてデザイナーを志す若者たちが集まり始めた。その一人が、山崎さんだ。

測量や不動産の仕事を経てデザインの専門学校に入った山崎さんは、外部講師として訪れた城谷氏の3時間の講義に強い衝撃を受けた。
「講義の内容は、デザインの技術論ではありませんでした。日本人は働きすぎる。もっと時間を大切にして、家族とご飯を食べたり、いい風景に出合ったら立ち止まって眺めたりしたほうがいい、という話だったんです。こんな人がデザイナーとして生きているのかと驚いて、そのまま小浜に押しかけました」(山崎)
山崎さんは2010年から小浜に通い始め、2012年に移住を決めた。

小浜でグラフィックデザイン事務所「景色デザイン室」を主宰する古庄悠泰さんが城谷氏と出会ったのは、九州大学芸術工学部の3年生のときだ。演習課題の中間発表に、城谷氏がゲストの講評者として招かれていた。
「講評の前に城谷さんがスライドで自己紹介をしてくれて、その後半に、事務所前のウッドデッキにテーブルを出して、夕日を見ながらワインを飲んでいる写真が出てきたんです。デザイナーの生活はこんなふうでいいのか、と衝撃を受けました」(古庄)
就職活動を始めたばかりだった古庄さんは、その日を境に進路を変えた。約束も保証もないまま、福岡から格安のバスで小浜に通い続け、2012年には刈水地区のワークショップにも参加した。入所したいという思いを率直に伝えると、城谷氏は「君は面白いね」と応じ、開店を控えた刈水庵の初代店長として迎え入れた。
二人に共通しているのは、城谷氏の技術よりも、その生き方に惹かれたという点だ。どう暮らすかを体現する城谷氏の姿が、若い世代を引き寄せていった。
同じ町で「暮らす」デザイナーの存在

古庄さんの「景色デザイン室」は、温泉街の旧道沿いに建つガラス張りの建物にある。2016年に独立した古庄さんは、取り壊される予定だった商店街組合の建物を、当時の組合長が買い取って格安で貸してくれることになり、ここを事務所とした。
デザイン事務所でありながら、地域に開かれた場所でもある。町の中心にありながら「事務所なので入れません」では味気ないと考えた古庄さんは、2017年からコロナ禍の頃まで、1階で週末だけの喫茶店「景色喫茶室」を自ら営んだ。現在はレンタルスペースとして、町を訪れた料理人のポップアップや展示の場に貸し出している。
城谷氏の仕事の進め方を、古庄さんはこう振り返る。

「打ち合わせに同席すると、仕事に関係のない話が半分以上なんです。最初は不思議でしたが、後になって分かりました。あの雑談は、クライアントが本当に求めているものや、その人の個性を引き出すための時間だったんです。クライアントと一緒にご飯を食べに行ったり、海に行ったりもする。こういうやり方もありなんだ、と思って見ていました」(古庄)
古庄さんも、そのやり方を受け継いでいる。自ら相手がいる場所まで足を運び、雑談をしながら相手の本音を引き出す。
「会議室では出てこない話が、その人の現場では聞けることが多いんです。そういう瞬間が面白くて、この仕事を続けています。デザインのプロセスは、半分以上が取材だと思っています」(古庄)
温泉街の裏通りに増えた個人店のうち、古庄さんがデザインを担当した店舗は少なくない。町と自分をよく知るデザイナーが身近にいることで、町にはデザインへの信頼が少しずつ根付いてきた。
一方、空間設計を中心に手がける山崎さんも、「この町の住人である」ことを仕事の前提にしている。

「デザイナーである前に、住人なんです。デザイナーは事務所にこもりきりになりがちですが、散歩をしたり銭湯に行ったりして、『あの人、元気にしているな』とお互いに確認し合える存在でいることが大切で。農家さんが『野菜が採れたから食べる?』と声をかける輪の中に、僕たちも入っている。だから『これ、どう思う?』と、相談が自然に持ち込まれてきます」(山崎)
看板をつくりたい、店の内装をどうしようか、この空き家をどう使えばいいか──。そんな相談が日常的に持ち込まれ、二人はそれに応えていく。
土地の文化や風土を形にする

温泉宿「湯宿 蒸気家」を営む山下晃輝さんは、祖父の代から小浜で商いを続けてきた一家に生まれた。八百屋からスーパーマーケットへと事業を広げた祖父、ホテルを開業した父。その父母の代から、城谷氏との付き合いは続いていた。

「城谷耕生さんとは、父と母の代からのお付き合いです。父が最初に開業したホテルも、自宅も、デザインはすべて耕生さんにお願いしていました。耕生さんが小浜に戻ってきた時期と、父が事業を始めた時期がほぼ重なっていて、何か新しいことに挑戦するときには、必ず耕生さんが何かしらの形で関わっていた。一緒にタイに行ったりと、本当に深い交流がありました」(山下)
蒸気家の主役は、約105度の源泉から立ちのぼる蒸気を利用した「蒸し釜」だ。宿泊客は地元で自ら食材を買い、シェアキッチンと蒸し釜で調理する。


このスタイルにも、城谷氏の影響が残っている。
「シェアキッチンで自炊するこのスタイルは、昔の湯治場のやり方がもとになっています。小浜の文化や風土に根ざしたものを形にする。それが耕生さんのデザインでした。小浜で事業をしている人にとって本当に大きな存在だったのだと、いまになってより強く感じています」(山下)
全国には数多くの温泉街がある。しかし、どこか似通った旅館と料理が並ぶ温泉街も少なくない。城谷氏が小浜に残した「文化や風土に根ざしたものを形にするデザイン」は、時を経て、この町に他の温泉街にはないオンリーワン性を与えているのだろう。
温泉の生かし方は、蒸し釜だけにとどまらない。小浜では古くから、温泉水を生地に練り込んだ湯せんぺいや温泉あんぱんがつくられてきた。地元のパン屋は、いまも蒸気家に温泉を汲みに来るという。山下さんも2年ほど前から、小浜で製塩業を営んできた事業者とともに、温泉を使った塩づくりにも取り組んでいる。

「温泉そのものに、だしのような風味があるんです。だから塩も味が尖らず、まろやかで、うま味のような要素が出てくる。小浜の温泉は、その多くが使われないまま海に流れています。熱のエネルギーも成分も、いろいろなものに転用できるはず。『温泉経済圏』を広げていきたいと思っています」(山下)
「楽しそうに暮らしている姿」が人を呼ぶ
城谷氏が耕した土壌は、新しい移住者も引き寄せている。刈水地区でゲストハウス「諸山宿舎」を営む諸山岳志さんもその一人だ。

大学職員として関東で働いていた諸山さんが小浜町と関わりを持ったのは、当時交際していた現在の妻・朗さんの縁だった。朗さんの父が定年を機に故郷の島原へ戻ることになり、自宅の設計を城谷氏に依頼した。その打ち合わせに朗さんが同行したことが、小浜町との最初の接点となった。やがて、刈水庵の店長が独立することになり、後任を探していた城谷氏に朗さんが手を挙げ、ひと足先に小浜へ移り住んだ。
大学の夏休みや春休みを使って小浜に通ううちに、諸山さん自身にとってもこの土地が「ちょうどよく」なっていった。2019年、大学を退職して小浜へ移住した。
右も左もわからない土地で、最初の足がかりになったのが、雲仙市の地域おこし協力隊だった。3年の任期を終えた2022年、宿という形で自分の拠点を構えることを決める。寝る場所さえ用意すれば、食事も温泉も町の中にある。そう考えての選択だった。物件は、刈水庵の窓からいつも見えていた空き家である。

諸山宿舎では食事を出さない。風呂もなく、宿泊客には町なかの温泉を案内する。宿泊客が町に出れば、小さな飲食店や浴場にも人が流れ、地域に少しずつお金が回っていくはずだ。囲い込まないことが、町の回遊性を生んでいる。
小浜にはなぜ、これほど人が集まるのか。諸山さんは、集まる人たちに共通する思いをこう語る。

「みなさん『自分たちの暮らしを良くしたい』という思いが前提にあるように感じます。移住のきっかけも、城谷さんのデザインそのものより、楽しそうに暮らしている姿だったのではないでしょうか」(諸山)
諸山さんが将来の構想として温めているのは、かつて城谷氏が語っていたというアイデア、イタリア発祥の「アルベルゴ・ディフーゾ」だ。集落に点在する空き家を客室として再生し、町全体を一つの宿に見立てる分散型ホテルである。

「城谷さんは、それを小浜でやりたいと話していました。小浜にはほかにも空き家があるので、少しずつ改装していけば、それに近い形になっていく。いつになるかは分かりませんが、できたらいいなと思っています」(諸山)
「デザイン」がもたらした、人と経済の循環
城谷氏のデザインとは、人が楽しく生活するための知恵である。自らも生活者として町に根を張り、土地の文化や風土を、暮らしに役立つ形へと翻訳していった。
そのデザインは山崎さんや古庄さんに受け継がれ、さらに多くの小浜町の事業者に広がっている。宿や店など、町のあちこちに小浜町の豊かな生活が散りばめられ、それが新たな事業者やクリエイター、そして観光客を引き寄せる。

「土着から生まれたもの、その土地の生活や文化に根ざしたもの。土地ごとのその違いを見に行くのが、観光であってほしい。『そこにある生活を見聞しに行く』という本来の姿に戻ってほしいんです。足元を見ながら暮らし、人を喜ばせている。その姿こそが、外から来た人の目には魅力的に映るはずです」(山崎)
行政主導でも、大企業の投資でもない。一人のデザイナーの哲学が年月を経て、小浜町に人材と経済の循環を生み出した。そのデザインの本質は、多様な文化や風土を持つ日本全国の地域にとって、一つの手がかりになるはずだ。
