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【富山】超人気店の鮨オーベルジュは、なぜ新湊に生まれたのか。地域×ガストロノミーのリアル

2026.10.22(木) 16:30
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【富山】超人気店の鮨オーベルジュは、なぜ新湊に生まれたのか。地域×ガストロノミーのリアル

2026年、富山県射水市新湊の海沿いに、1日3組限定の鮨オーベルジュ「橋場」が開業した。手がけるのは、東京・元麻布「鮨しゅんじ」の橋場俊治さんと女将の彩子さん。

「鮨しゅんじ」は「ゴ・エ・ミヨ」「アジアのベスト50レストラン」など世界の権威あるレストランガイドやランキングに名を連ねる、予約困難の人気店だ。

なぜ寿司界の最高峰の人材は、新湊に店を構えたのか。そして新湊では今、何が起きているのか。料理人と地域の双方の視点から、地域とガストロノミーの可能性を探る。

「富山で寿司を握ってみたい」を地域はどう支えたか

橋場俊治さんは10年連続でミシュラン三つ星を獲得した「鮨さいとう」から初の暖簾分けとして2020年に独立して「鮨しゅんじ」を開業。2023年3月には元麻布に店舗を移転した。本格的に富山での寿司オーベルジュの開業のために動き出したのは、それからわずか数ヶ月後だ。

伊豆諸島の神津島出身の俊治さんにはかねてから「ゆったりとした時間が流れる田舎で寿司を握りたい」という願望があった。

「次のステップとして、東京の高級寿司店の2号店ではなく、いつかオーベルジュという形でやっていきたいという思いがあったんです」(俊治)

左)橋場彩子さん 右)橋場俊治さん

富山との縁は、彩子さんの実家があったことだった。頻繁に帰省し、県内で食事をするうちに、俊治さんは富山の食材の素晴らしさに惹かれていった。

「富山であれば、朝どれの魚を、その日のうちに握ることができます。産地の食材を活かそうとすると、東京では考えもしなかったアプローチが日々生まれてくる。そんな富山で寿司を握ってみたかったというのが、富山に来た一番の理由です」(俊治)

場所は、氷見と新湊、2つの市場に毎日無理なく足を運べるエリアで探し、海が目の前に見える今の土地に出合った。

鮨オーベルジュ「橋場」の客室からは海の水平線が一望できる

しかし、土地は見つかっても、融資がなければ実現は難しい。最初に相談した地域金融機関の反応は冷たかった。

「『こんな田舎で、どうやってお客さんを呼ぶんですか。近隣にお客さんはいるんですか』という感じで。悲しい形で終わってしまいました」(彩子)

この反応は、おそらく地方の金融機関として標準的なものだ。だが氷見の松本魚問屋の松本さんのご紹介で次に会った富山銀行の対応はまるで違った。当時、富山銀行は今後の注力分野に飲食業を置いていたという。事前に橋場さんのことも知っていたか調べていたのかもしれない。

「最初の打ち合わせで、何の資料も出していないのに『何でも相談してください』と、ほとんど融資が決定しているような、前向きな姿勢を見せてくださったんです。富山銀行さんを介して射水市ともつながって、市は私たちの出店を機に、市外から来る事業者が調理機材を購入する費用を補助する制度まで新しく作ってくださいました。

こんなに情熱を持って対応してくださるのだと、本当に驚きましたね。『アジアのベスト50レストラン』に選出された際は射水市の夏野市長から電報をいただきましたし、市役所ではうちに食べにくるために『橋場貯金』をしている方がいるそうなんです。ありがたいことです」(彩子)

「橋場」の外観。外壁には塩害対策のために焼き杉を使用
カウンターには、杉ではなく富山県産の栃の木の一枚板を使用している

地域側が一流の料理人を受け入れるために必要なことは?という問いに対して、彩子さんは、次のように話した。

「私たちはビジネスの世界の人間ではないので、どうしたら融資を受けられるのかなど、わからないことだらけです。たまたま富山銀行を紹介して下さった松本さんがいたので今がありますが、そうでなければ諦めていたかもしれません。だからこそ、私たちの目線からすると、情熱のある人に出会えるかどうかが大きいんです」(彩子)

16年を経て、一変した内川の景色

「橋場」がオーベルジュを構えた新湊の中心を、内川という全長1.2キロの水路が流れる。両岸に漁船が係留され、川に向かって細長い町家が連なる。橋場夫妻は物件を探す中で、この景色とも出会っていた。

 「物件を探しているうちに、内川のあたりに新しい建物や飲食店が入ってきているらしいとか、地元の祭りをいろんな人たちの力で続けているらしいとか、そういう話が聞こえてくるようになって。じゃあ実際に見てみようと、足を運んだんです。見て回ったら、やっぱりすごいなと。その地域でしか体験できないことだと思えました」(俊治)

もちろん客の多くは「橋場」の寿司を目当てに来訪する。一方で、オーベルジュが宿である以上、食事の時間以外の地域での体験は、「橋場」の宿泊客への提供価値につながる。地域が「橋場」の価値になり、「橋場」が地域の価値になる。望むかどうかに関わらず、この2つは構造的に切り離すことができない。

2010年頃まで、この内川はどちらかというと町の裏手として扱われ、生ゴミを捨てる人すらいて、生活排水が泡になって流れているような状況だった。今ではこの景色を目当てに国内外から観光客が訪れる内川の水路だが、当時は来訪者には見られたくない、生々しい生活の場だったのだ。

富山県内で移住先を探していたグリーンノートレーベル株式会社の代表 明石博之さんは、そんな当時の内川の景色の先に、多くの観光客が訪れるポテンシャルを感じたという。

「地域のコンサルティングを生業にしていたので、割といろいろな地域を知ってるつもりだったんですけど、不覚にも驚いてしまったというか。10年後には多くの観光客が訪れるような場所になるイメージがなんとなく湧いてきたのです」(明石)

東京から新湊に移住を果たした明石さんは、それから約16年間、地道に水路沿いの物件の再生を進め、現在の内川の景色を作り上げてきた。

自ら空き家や使われなくなった建物を発掘し、カフェや宿として開業することもあれば、そこで何かを始めたい事業者と物件を引き合わせ、建築・空間デザインから開業までを一体で支援することもある。いずれの場合も、一軒ずつ深く関わるというスタイルは変わらない。

2013年には古い建物を譲り受けてカフェ「uchikawa六角堂」を開いた。続いて2016年頃には、妻・あおい氏が代表を務めるデザイン会社とのシェアオフィス「ma.ba.lab.」を築80年の空き家をリノベーションして設立。2019年には水辺の民家ホテル「カモメとウミネコ」を開業。遠方からの来訪者を泊めるインフラが整ったことで、国内外からの客が増え始めた。

個性的な建築デザインが目をひく六角堂の外観
水辺の民家ホテル「カモメとウミネコ」の客室からは内川の風景を楽しめる

グランドデザインはなく、事業者一人ひとりの理想を軸に、一軒ずつ時間をかけて点を打つ。明石さんはこの哲学を「マチザイ(まちの財産)」「場ヅクル」という言葉で表す。

マチザイとは、失われつつある町の固有の資源を財産として発掘・支援するという考え方だ。場づくりではなく「場ヅクル」と表記するのは、受動的な空間整備にとどまらず、自分が主体的・能動的に関わるという意志を込めているからだという。

「その街にある本質的なものを掘り下げるだけで、街全体のグランドデザインなど考えなくても、結果的に街のためになっていく。こだわりのある場所が点在していれば、訪れた人はその街に何かを感じ取ってくれるのだと思います」(明石)

16年前、まだ生活の「裏手」だった内川に「マチザイ」を見出した明石さん。その価値はひとつひとつ「場ヅクル」をしていくことで、地域内外に周知され、今では観光客がカメラを向けるスポットになっていったのだ。

明石さんがこれまでに直接手がけた物件は約10件だが、その活動が呼び水となり、内川エリア全体では現在50件以上の新規事業者が開業している。

橋場夫妻が物件を決めたのは、明石さんと出会う前だった。しかし、2人が物件を探している中で見た新湊の景色。その一部は、明石さんが点を打ち続け、耕した土壌に根ざしている。

県が一体になり「寿司といえば、富山」を推進

寿司オーベルジュ「橋場」には、すでに台湾、香港、韓国などアジアを中心に国内外から客が訪れ、英国メディアからの取材も入る。「橋場」のような「デスティネーション(目的)レストラン」の存在は、地域にさまざまな恩恵をもたらす可能性がある。

「海外のお客様は、せっかく北陸まで来たのだからと、うちに泊まった後に金沢へ行かれる方が多いです。なかには2泊される方や、『もう一軒素敵な宿はないか』と聞いてこられる方もいて、エリア全体を巡ってくださっています。うちに来たことをきっかけに内川の観光ルートを知って、街を歩きに行かれるお客様も出てきました。橋場を入り口に、新湊や富山を好きになっていただけたら、これほど嬉しいことはないと思っています」(彩子)

現在、富山県では2023年から「寿司といえば、富山」を掲げ、寿司を起点に地域ブランディングを推進している。県が一丸となって10年がかりで実現していく、県知事肝入りのプロジェクトだ。仕掛け人の富山県クリエイティブディレクターの高木新平さんは、県の産業構造の課題を指摘する。

「富山はYKKや製薬企業のような、BtoBの工業・製造業の県です。歴史的にも、加賀百万石の米の半分は富山で作りながら金沢に納め、高岡の工芸品も金沢に納品するものだった。富山湾の魚も、金沢に運んで寿司になる。つまり富山は長い間、原材料を供給する側だったんです。

だからこれまでは、ブリやホタルイカといった食材の単体をPRしてきた。でも食材だけでは体験にならないし、観光の集客の視点からも弱い。

最後の出口、つまり富山でサービスとして消費される段階の単価を上げにいかない限り、漁業も含めた一次産業全体の底上げにはならない。その出口として、寿司は最適だった」(高木)

寿司は、漁業、米、酒、工芸のすべての「出口」になりうる。最初の3年は県内に絞り、県民の認知は91%に達した。総務省の家計調査の寿司(外食)支出額は2022年の全国15位から2024年に1位へ上がった。

「寿司といえば、富山」に関連する官民連携は200件を超える。寿司店だけではない。金融機関が「寿司といえば、富山」の応援定期預金を作り、工芸作家が寿司皿を制作し、路面電車がラッピングされ、水族館が「寿司ネタ水族館」と銘打ったイベントを開く。県が旗を掲げたことで、寿司と直接関係のない業種が自ら動き始めた。

裏付けがある話ではないが、富山銀行や射水市など、「橋場」の開業を支援した地元プレイヤーの行動に、県が掲げた「寿司といえば、富山」が醸成した空気が多少の影響を与えていると考えても、おかしくないだろう。

そして高木さんは、次のフェーズとして、県外からの認知獲得に向けた展望を語る。

「この3年で県内の認知は上がりました。県内はユニークな取り組みをすれば地元メディアが取り上げてくれますが、県外はそうはいかない。そもそも県の役割というのは、本質的には広報しかなくて、実態は現場にある。県がどれだけ旗を振っても、実際に人を動かすのは現場の店や体験です。だから、本当に強い『点』ができることが大事で、有名な店ができるのが一番わかりやすい。だから、橋場さんが来てくれたのは幸運だったと思っています。県外の人に『富山に行く理由』を説明する時に、橋場さんの存在はすごく大きいんです」(高木)

「デスティネーションレストラン」の誘致の先にあるゴールは?

食による地域振興の機運が、全国で高まっている。「デスティネーションレストラン」に出店してもらい、地域を活性化させたい——そう考える自治体は多い。しかし、有名店を「一本釣り」するような発想では、おそらく有名店も地域資源も単に「消費」されて終わってしまうだろう。

新湊の海沿いの風景

橋場俊治さんが新湊での出店を実現した背景には、豊かな水産資源の存在はもちろん、明石さんが16年かけて耕してきた新湊の土壌と、富山県が「寿司といえば、富山」で積み上げてきた空気がある。明石さんはこう話す。

「美味しいものを食べて、美味しかったね、で終わるのではなくて、ここに来て、移住してみようかとか、店をやってみようかとか、漁師になってみようかという人が増えていくのが、本当の目的だと思っています。観光のためのコンテンツで終わるのではなく、暮らしや産業のレベルまで行き着くことが大事なんです」(明石)

橋場もそうした循環の一端を担おうとしている。宿泊客に協力金を募る『海の恵み料』を設けた。藻場の再生に取り組む漁師や地元の団体への寄付にあてるためだ。

「魚が育つ海の環境がなければ、私たちの商売も成り立ちません。美味しい魚をこれからも長く食べ続けていくために、一緒に守っていきたいんです」(彩子)

有名店の誘致はゴールではなく、入口だ。その先に、地域の暮らしや産業との循環が生まれるかどうか。それが、食による地域振興が本物かどうかを問う、試金石になる。

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