世界中の日本酒好きが注目。佐久の“蔵人になれる”宿泊体験が、酒どころの景色を変えるまで

2020年の開業以降、週末だけの営業形態ながら、過去の宿泊者は850名を突破。海外36カ国から日本酒好きが訪れた宿が、長野県佐久市にある。
その宿の名は「KURABITO STAY」。佐久市臼田の伝統的な酒蔵・橘倉(きつくら)酒造の敷地内に泊まり、日本酒の仕込み体験ができる、いわば世界初の「酒蔵ホテル®」だ。
昨年2025年は「ジャパン・ツーリズム・アワード 2025 国土交通大臣賞(旧大賞)」をはじめ、複数のアワードで賞を獲得。事業は国内外で注目され、多くのメディアが活動を取り上げている。
「KURABITO STAY」の生みの親・田澤麻里香氏は、この前代未聞の取り組みをどのように実現し、成長させていったのだろうか。またインバウンド向け事業を軌道に乗せた秘訣とは。起業のきっかけから現在に至るまでの道のりについて、話を伺った。

田澤 麻里香(たざわ まりか)
株式会社KURABITO STAY 代表取締役
長野県小諸市出身。大手旅行会社で勤務後、ワイン輸入業者に転職。専業主婦を経て、長野県小諸市の「地域おこし協力隊」に参加。一般社団法人こもろ観光局の立ち上げに関わり、旅行会社での経験を活かした観光地域づくりに力を注ぐ。2019年にビジネスコンテストで優勝したことをきっかけに、株式会社KURABITO STAYを創業。翌2020年に長野県佐久市に世界初の蔵人体験ができる酒蔵ホテル®「KURABITO STAY」を開業し、2025年には長野県上田市に2号店「KIREI」をオープンする。
2024年、内閣府クールジャパンプロデューサー就任。地方の日本酒ツーリズムや観光コンテンツのさらなる高付加価値化を目指し、全国各地で講演やセミナー等も行なっている。
デッドスペースと化した蔵人の宿舎から、アイディアが舞い降りた
私が橘倉酒造と出会ったのは、2016年にまで遡ります。地元・長野県小諸市にUターンし、地域おこし協力隊のメンバーとして、市の観光局でDMO(観光地域づくり法人)の立ち上げに携わっていた時のことでした。
当時、私は東京の旅行会社で商品企画に携わった経験もあり、着地型旅行商品(現地の観光協会や企業などが主体となって企画・販売する旅行プラン)の開発を任されていたんです。
ある時、お酒をテーマにしたバスツアーを企画する機会がありました。小諸市内に限らず、隣接する佐久市の酒造業界まで調べるうちに、佐久地域には13もの酒蔵があることを知って。その中でも特に興味を惹かれた酒蔵が、橘倉酒造でした。

橘倉酒造にアポイントを取り、1690年代に建てられた酒蔵に足を踏み込んだ時「ここなら観光客にも喜んでもらえそう」と、元・旅行会社社員としての直感がはたらいたんですよね。柱や梁、置いてある道具の一つひとつが、細部まで美しくて。日本酒の質はもちろんのこと、場所としての底知れぬ魅力を、酒蔵の内部から感じました。
その後、私は2017年に地域おこし協力隊を離れ、フリーランスになりました。着地型旅行商品企画の知見を県内の市区町村に提供する、コンサルティングの活動を始めます。ただ肩書きが変わってからも、引き続き橘倉酒造とのご縁は続いていました。
橘倉酒造の「社会に開かれた酒蔵を目指したい」という目標が、私の「観光で地域を豊かにしたい」という想いと重なっていたんですよね。東京の百貨店や学園祭で日本酒を売る時などは、私も営業のお手伝いをしたりして。徐々に信頼関係が深まっていきました。
そして2018年、仕事の打ち合わせをするために橘倉酒造を訪れた時のこと。私は敷地内にひっそりと佇む、古い建物を偶然目にしました。当時橘倉酒造の専務だった井出 平さん(現社長)に尋ねたところ、建物の正体は「新潟からの杜氏たちを寝泊まりさせていた宿舎」。しかし最後に利用されたのは20年以上前で、デッドスペースと化していました。

よく「アイディアが降ってくる」なんて表現がありますが、KURABITO STAYの事業構想を思いついたのが、まさにこの瞬間だったんですよね。「酒蔵に宿泊できて、しかも酒造りを体験し、地域を観光できる場所があれば、国内外の日本酒好きな観光客が注目するのでは」と。
井出さんにアイディアを話したところ「面白いね」と快く賛同いただき、仕込み体験について全面的に協力いただけることになりました。加えて、改修費用は私が負担することを条件に、蔵人宿舎も無償で譲り渡してくださることになったのです。
ビジコンで優勝し、事業構想が夢から現実へ
酒蔵見学は全国各地の酒どころで実施されており、無料で内部を一般公開している酒蔵も珍しくはありません。酒を仕込む体験というのも、少数ながら存在はしていたんです。他と同じことをやっても意味がありません。事業のポイントは「酒蔵に泊まり、蔵人として酒の仕込みに参加できる」というところにありました。
2017年の観光庁データによると、定住人口が1人減るごとに、地域に年間約124万円の経済的損失が生じる(※)、と言われていました。観光に力を入れようにも、国内の日帰り旅行客なら80人は呼ばないと、損失を補完できないという計算になります。
当然ながら、地域への滞在時間が延びれば延びるほど、地域に落ちるお金は増えます。事実、約124万円の経済的損失は、国内在住者の宿泊なら25人、海外からの旅行客なら8人で補完できることが判明しています。つまり宿泊客、特に海外からの宿泊客にアプローチすることが、地域経済を潤沢にするための近道なのです。
そして地域の宿泊需要を増やすためには、夜や朝の体験を充実させることが重要だということも、旅行業界のセオリー。早朝から仕込みを始める酒造りなら、日本酒好きにとっては「宿泊する」ことの立派な動機になると考えました。
(※)観光庁による2023年の推計では、定住人口1人当たりの年間消費額は約135万円(国内日帰り旅行者約71人分、訪日外国人旅行者約6人分)とされている。出典:『我が国観光産業の現状と今後の展望』(国土交通省四国運輸局/2024年)。

おまけに宿泊すれば地域への愛着も湧き、佐久観光のリピーターを獲得できる可能性も高まります。国外からも愛される街を目指すことで、子どもたちが誇りを持てる地域づくりに貢献できるのでは、と思ったんです。
ただ、問題は資金です。いかんせん20年以上使われていなかった宿舎だからこそ、建物のリノベーションには数千万円ほどのお金が必要でした。
どれだけ節約してもお金が足りない。困っていた時、たまたまかつての観光局の同僚から「ソーシャルビジネスを対象とした全国規模の大会があるから、小諸市の予選大会に出場しないか」と、声がかかりました。
ビジコンに出場したことは、一つの大きな転換点だったと思います。小諸市の予選からトントンと審査が進み、なんと全国大会でグランプリをいただいたんです。アイディアの種に恵まれてからおよそ半年後、2019年2月のことでした。

賞金の100万円を手にしてからは怒涛の日々でしたね。5月には株式会社KURABITO STAYを創業します。ビジコンで出会った経営者の先輩たちから「東京オリンピック2020が始まる前に開業しろ」「絶対に“世界初”を狙え」と叱咤激励を受けながら、2020年春のオープンを目指し、大慌てで準備を進めました。
ビジコンでグランプリを獲得したことは、銀行から融資を受ける際にも追い風となりました。なんとか補助金も得ることができ、2700万円をかき集めることができた。でも、まだ足りません。なるべく節約するために、定款を自分で作ったりもしたんです。10月からは宿泊スペースの改修工事を始め、2020年3月、やっとの思いでオープンまで辿り着きました。


しかし、滑り出しは順調とは言えませんでした。オープン翌日から、新型コロナウイルスの影響による外出制限が始まってしまったのです。
宿泊代が高価格帯の設定でも、客足が絶えない理由
KURABITO STAYにゲストを迎え入れる日を夢見ながら、オンラインで酒蔵見学などを開催していた数ヶ月間。同年の7月頃には近郊への移動制限が解除されるようになったので、まずは長野県民を対象に、少しずつ宿泊客を受け入れるようになりました。
迎え入れた最初のゲストは、佐久に住む人々でした。1泊2日の仕込み作業を「面白い」と喜んでいただけて、手応えを感じたのを覚えています。そして宿泊者の評判が人を呼び、10月頃からは東京を中心とした都市部のゲストも、KURABITO STAYを利用するようになりました。
1年目は手探りの毎日でした。たとえば酒造りの基礎をインプットする座学の時間は、専門的な要素を詰め込みすぎると、宿泊客の集中力が途切れてしまうことが分かったんです。退屈させないようアプローチを変えるなど、トライアンドエラーを重ねました。
また、宿泊客には積極的に街を観光してもらうためにも、徒歩圏内にある飲食店やお土産屋を紹介する街歩きマップ”USUDA KURABITO FRIENDLY MAP”を作成。地元店に足を運べるよう自由時間を設けるなど、タイムスケジュールも工夫しました。

2023年頃からは国際線が動くようになり、海外からの旅行客がKURABITO STAYを利用してくださるようになりました。
開業当初の宿泊料金に比べると、今の料金は倍以上の価格を設定しています。佐久市内にある他の宿泊施設に比べても、値段は圧倒的に高いです。さらに海外のゲストに対しては“通訳料”として、国内のゲストより高めのお値段を設定しています。
それでも「日本酒を造ってみたい」という圧倒的な熱量を持った世界各地のお客様が、後を絶たないんです。今やタクシーの運転手さんが、外国人の乗客を乗せる時は「KURABITO STAY?」と最初に聞くようになったほど、多くの旅行客が佐久を訪れるようになりました。

ただ、インバウンドに関しては、受け入れ体制をエリア全体で整えていかないと、失敗に終わるリスクがありました。
そこで自分が国外を訪れた時、現地の人がどんな対応をしてくれた時に感動したか、まずは実体験としてのツボを思い返したんです。そしてマップ掲載店を対象に、外国人のお客さんが訪れた時の対応方法をレクチャーする講習会を設けて。英語のメニューも無料で作成し、それぞれの店舗にプレゼントしました。
そうやって最初の2年間で、海外からのゲストを迎え入れる準備を進めていったことが、海外からの評価にもつながったのかな、と思います。
搾取し合うことなく、価値を高め合っていきたい
この6年間、同じ宿泊業や酒造業、近隣に住む人々からのKURABITO STAYに対する不満が、大きな反発やトラブルとして表面化したことはありません。
はじめに橘倉酒造の井出さんが、地域への呼びかけに協力してくださったことは大きいです。加えて、我々が街の人々の負担が発生しないよう行動してきたことも、活動を温かく見守っていただけている理由の一つかもしれません。
たとえばインバウンド対策の講習会や英語版メニューの配布も然り、フレンドリーマップについても、金銭的な負担を地域の店舗にお願いすることがないようにしました。
そしてKURABITO STAYを利用してくださるゲストの質が高いことも、地域の皆さんとの良好な関係を支えているのだと思います。ゲストの皆さんはとにかく日本酒が好きで、酒蔵にリスペクトのある人ばかりなんですよ。

KURABITO STAYをきっかけに日本酒巡りをする良質な観光客が増えたことで、他の酒蔵の皆さんにも少しずつ認めてもらえるようになった気がします。
開業して3年が過ぎた頃からは、「一緒にこういうことをやりませんか」という相談を聞いてもらえるようになりました。オフシーズンのサイクリングツアーや、リピーター向けのアドバンスコースを受け入れてくださるようになったんです。同じ事業者として、「続けること」の大変さを共感いただけたことが大きいのかな、とも思います。

一方、最初の3年間で私自身にも変化が訪れました。
当初はKURABITO STAYの取り組みを通し、「酒といえば佐久」のような付加価値を街全体へ与えよう、と意気込んでいたんです。でも次第に「KURABITO STAYの半径徒歩20分圏内のエリアを元気にしていく」ことに集中すべき、と考えが変わりました。だからKURABITO STAYを全国にどんどん増やしていく、といったビジョンは今のところありません。
ただ、お酒の文化に対してリスペクトを持っている人たちが、良い場所を作ろうとしているのなら、応援をしていきたいと思っています。
こういった体験型の宿泊事業って「真似できる」と思われがちなんですよ。実際、KURABITO STAYに似た構想の取り組みも、国内で見られるようになりました。
でもKURABITO STAYは観光業の膨大なメソッドを詰め込んだうえで実現しています。「海外の日本酒人気がすごいから」と安易に手を出すと、ゲストを満足させられず、継続が難しくなるケースもあるんですよね。
「ゲストのことを大切にする」ということを大前提とし、観光客と地域、事業会社がそれぞれ搾取し合うことなく、価値を高め合っていけるのが、ツーリズムの理想形です。そういった価値観に共感いただける人たちとご縁があれば、ぜひ一緒に何かを始めたいです。
(写真提供:株式会社KURABITO STAY)