コザの商店街からアジアへ。沖縄経済を循環するスタートアップエコシステム

沖縄経済は、豊かな自然と観光資源に恵まれる一方で、一人当たりの県民所得や労働生産性が全国最下位(令和2年度沖縄振興推進調査)という構造的な課題を抱えている。
観光産業への依存、基地関連の交付金や沖縄振興予算といった国からの財政支援に頼る経済体質。未だ沖縄は、地域内に自律的な富の循環を生み出すには至っていない。
そんななか、沖縄市内の「コザ」と呼ばれる街の商店街で、今、新たなスタートアップエコシステムが形成されようとしている。その中心にいるのが、豊里健一郎さんだ。
豊里さんは「コザスタートアップ商店街」を拠点に、沖縄資本を循環させる独立系VC「津梁ファンド」を率いる。なぜ、豊里さんは廃れつつあった商店街から、産業創出を試みるのか。これからの沖縄にどのようなビジョンを描いているのか。
多様な文化と人材が混じり合う「チャンプルー」の街
那覇から車を走らせること約30分。沖縄本島の中部に位置する沖縄市の中心街「コザ」へと足を踏み入れると、そこには観光地としての沖縄とは全く異なる風景が広がっている。
日本最大級の嘉手納基地に隣接するコザは、言わば「基地の門前町」だ。通りを歩けば、異国情緒あふれる英語の看板が目に飛び込んでくる。
沖縄の伝統文化とアメリカの文化が混ざり合い、独自の「チャンプルー文化」を形成してきたこの街には、どこか既存の枠組みに縛られない、荒々しくも自由な空気が流れている。
そして、その中心部、近年はシャッター街になっていた「コザ一番街商店街」に、今、「KOZA STARTUP ARCADE」と描かれた新たな旗が掲げられている。

シード・アーリー期のスタートアップが熱心に議論を交わすコワーキングスペースやレンタルオフィス。そしてそこから卒業し、自らの足で成長を続ける企業たちのオフィス。
スタートアップ起業家、エンジニア、あるいは地域に根ざした飲食店の経営者。さまざまな業種、そして沖縄の内外からやってきたチャレンジャーが、この商店街という箱の中で「チャンプルー」のように入り混じっている。


なぜ「コザ」は沖縄のスタートアップエコシステムの中心地になったのか。その背景を探るため、まず豊里さんの原点へと遡る。
脆弱だった沖縄のスタートアップ環境
──豊里さんはコザの商店街で生まれ育ち、その後15年間中国でキャリアを積まれました。なぜ、再びコザに戻って活動しようと考えたのでしょうか。
私の両親も、親戚も、同級生の家族もコザの商店街でお店をやっていました。商売人だらけの街で育ったこともあるのか、漠然といずれ起業したいと考えていたんです。
20代を爆発的な成長を遂げている最中の中国・深圳で過ごした後、アジアを舞台に起業しようと考えたのですが、海外で外国人がゼロからファイナンスをして、事業を成長させるハードルは思いのほか高かった。
そんな時、地元の沖縄・コザでスタートアップカフェが立ち上がるという話を聞きました。深圳と沖縄は飛行機で3時間。自分が幼少期を過ごした商店街に、ITエンジニアや起業家が集まる場所ができる。
アジアを見据えた事業を立ち上げるには、実は最適な場所だと気づいたんです。15年離れていたからこそ、沖縄のポテンシャルを客観的に見ることができました。
帰国後はIT企業を立ち上げ、深圳のネットワークを活かした受託開発と自社プロダクト開発を3年ほどしていたんです。当時はまだ、沖縄をどうしたいとか、コザのためにとか、そういうことを考えていたわけではなくて。
そうしているうちに沖縄市主導で「Startup Lab Lagoon(現・Lagoon KOZA)」という創業支援拠点がコザに立ち上がることになり、思いがけず、私に声がかかったんです。

豊里 健一郎(とよざと・けんいちろう)
15年間の中国滞在を経て帰国後、現フォーシーズ株式会社を創業。行政主導の「Lagoon KOZA」代表を経て、現在は「コザスタートアップ商店街」を拠点に活動。地域資本を循環させる「津梁ファンド」を率い、沖縄からアジアへ展開するスタートアップの育成と、自立した経済圏の創出に挑む。
──2019年、豊里さんは「Lagoon KOZA」の代表に就任されました。自社で事業のグローバル展開を進めていたのに、なぜ地域のインキュベーションの領域に足を踏み入れたのでしょうか。
当時の沖縄のビジネス環境に、危機感があったんです。
沖縄には、社会課題に対して強い思いを持つ、起業家としての資質を備えた人材もいます。しかし、島という小さなマーケットの中でビジネスを完結させようとするあまり、本来のポテンシャルを発揮しきれていないケースが多い。さらに、リスクマネーを供給するベンチャーキャピタルや投資家の選択肢も極めて限られています。
沖縄のスタートアップエコシステムは脆弱でした。
──具体的にどのような取り組みをされたのですか?
まずは「起業の入り口」を広げることに注力しました。Lagoonを、誰でも気軽に相談に来られる開かれた場所にして、年間120〜130件ほどの相談を受ける体制を作りました。ヘルスケアや飲食、教育など、多様な領域で挑戦する起業家たちを支援し、彼らがビジネスとして成立するための伴走支援をしたんです。
新産業創出のうねりを生み出す「コザ」のコミュニティ
──Lagoonでの活動から、どのようにして「コザスタートアップ商店街」のプロジェクトへと変わっていくのでしょうか。
Lagoonは、プレシード期の創業相談など、「起業の入り口」を支える場所として非常に重要です。ここは行政が公平に支援し続けるべき領域です。一方で、そこから育った起業家がシード・アーリー期を迎え、オフィスを構えたり、開発支援を受けたりする段階では、ビジネスとして民間の支援も必要です。
実は、2019年頃からLagoonの活動と並行して、オフィスを探している支援企業に商店街の空き物件を紹介するようなことを、個人的にやっていました。そうして点在していた空き店舗にスタートアップが入居し、街に溶け込んでいくうちに、誰かが「ここ、スタートアップ商店街だね」と言ったんです。それがこの場所の始まりです。
2022年からはLagoonでの活動を次世代にバトンタッチし、より主体的に商店街に関わることにしました。「KOZA STARTUP ARCADE」という旗を商店街に掲げ、本格的に事業としてスタートアップの成長支援の仕組みを構築し始めたのです。
──そもそも「コザスタートアップ商店街」とは、どのようなプロジェクトなのでしょうか。 シャッター街だった沖縄市・コザの「一番街商店街」をスタートアップ支援拠点にするプロジェクトです。

商店街の空き店舗や古いビルをオフィスや拠点として再生し、そこにITスタートアップや起業家を誘致することで、沖縄のスタートアップエコシステムを支え、新しい産業を生み出そうとしています。入居企業が365日24時間利用できるコワーキングスペースを運営しているほか、私たちのケーパビリティの中でスタートアップに必要なさまざまな支援を行っています。


入居企業にとってコザスタートアップ商店街は、単なるオフィスではありません。創業期の「ないものだらけ」の時期を支えるコミュニティです。Slackで「開発できる人いない?」と投げれば入居者同士で仕事が回り、僕らもいろいろな人をリファラルでつなげ、伴走します。
コザの街はもともと、さまざまな国籍の人や文化が入り混じった「チャンプルー文化」があって、外から来た挑戦者を後押しする土壌があるんです。
昼間は静かでも、夜になると店から音楽が流れ出して全く別の顔を見せる。そこで外から来た人と遊んだり、お酒を飲んでいると「ここで起業したい」と言ってくれるケースも多いです。
こうしたコザならではの、ビジネスとカルチャー、そして地域が交わる熱量を、街全体で体現しようと立ち上げたのが「KOZAROCKS」というイベントです。音楽の街であり、ライブハウスやエンタメが溢れるこの街全体を舞台に、SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)のように多様な人々が交差する場を作りたいと考えたんです。

単に音楽を楽しむだけでなく、IT企業のスタートアップと地元のミュージシャン、そして観光客が同じテーブルで酒を酌み交わす。そんな光景が街のあちこちで生まれることで、堅苦しいピッチイベントでは決して得られない、本音のぶつかり合いが起こります。この熱狂こそが、コザの経済圏の正体なのです。
──具体的に、商店街ではどのようなプレイヤーが活動しているのですか?
まちなか留学の「ハローワールド」や陸上養殖でアジア進出を目指している「ストラウト」などは、代表的な存在ですね。
また、コザスタートアップ商店街のプレイヤーは、いわゆるスタートアップ企業だけではありません。僕がLagoon時代に創業支援をしたコーヒー店は、今や商店街の象徴的な存在ですし、同じように支援したソーシャルバーも、多様な人々が夜な夜な集うコミュニティの核となっています。実は、こうした飲食やスモールビジネスの支援も、スタートアップ支援と地続きなんです。
今では商店街でお店をやりたいという人も増えています。スタートアップが街に火をつけ、飲食やカルチャーがそれを焚き付け、経済圏がうねり始める。そんな「街の代謝」が、コザで生まれつつあります。
リスクマネーを沖縄の地域に循環させる
──豊里さんは2025年に「津梁ファンド」を立ち上げました。スタートアップエコシステムの場づくりから、実際にファイナンスまで行えるようになったわけですが、どのような背景があったのでしょうか?
Lagoonで創業支援をして、コザスタートアップ商店街で企業やお店が集まるようになってきました。でも、リスクマネーだけは本土のベンチャーキャピタルの存在が欠かせなかったんです。
沖縄の人材や補助金をつかってスタートアップシーンを盛り上げて、仮に上場したとしても、リターンは沖縄県外に行ってしまうじゃないですか。それでは地域にスタートアップエコシステムをつくる意味がないと思ったんです。
沖縄県内スタートアップの成長を支援するため、沖縄県内のLPから出資を募ることで、地域に利益とノウハウを還元させる仕組みをつくる。そしてまた次に挑戦者が現れたら、そこからリスクマネーを出してあげる。そうした循環が生まれることで地域の経済は成長していくのだと思います。地域に新しい産業を創出していく上で、資本の適切な配分をするアロケーターのような存在になりたかったんです。
──なるほど。津梁ファンドの出資方針についても教えてください。
津梁ファンドでは、沖縄とアジアをクロスボーダーに活動できる起業家への出資を行います。当然、沖縄県内企業を中心に投資をするのですが、3割程度は台湾などの海外企業への出資も行います。
沖縄についての議論をしていると、人材が本土に出てしまい、いなくなってしまうという声を良く聞きます。でも私はむしろ一度出た方が良いと考えています。
沖縄には琉球時代から「海邦養秀」という外に人材を送り出して育成する考え方がある。私自身、中国で働いた経験があるからこそ、今沖縄に貢献できている。地元に貢献したければ、もっと大きな世界やマーケットを見るべき。
首里城には万国津梁の鐘が飾られていて、ここには「琉球は世界との架け橋になる島」だというメッセージが込められているんです。私は現代においても、世界との架け橋になることは沖縄の生存戦略だと思っています。
実際の投資実績で言えば、OIST(沖縄科学技術大学院大学)発の環境系スタートアップのEF Polymerや同じくOIST発のフェムテック系スタートアップのHerLifeLabなど。新しい成長産業の中心を担うようなスタートアップに投資をしています。

また、先ほど沖縄は市場のサイズが小さいと言ったのですが、観光客に関して言えば年間1000万人が訪れます。日本からアジアに進出したい企業がコザを足がかりにしたり、台湾などの海外企業が日本進出の実証の場にする。そうした流れも作っていければと考えています。
沖縄からアジアへ、そして世界へ。自立した経済圏への挑戦
──最後に、豊里さんが描く沖縄の未来について伺わせてください。
沖縄が、全国最下位の生産性や所得だなんて、おかしいと思いませんか。これだけ豊かな自然と文化、そしてアジアへの地理的優位性という、世界中が羨むようなカードを手にしているのに。
かつて沖縄経済のIT産業の中心だったコールセンターやBPOは、AIの台頭により大きな転換期を迎えています。これまでのコストメリットに依存するモデルから脱却し、自ら課題を解決して利益を生み出すプロフィット型の企業をどれだけ増やせるか。それが、これからの沖縄の生存戦略です。

私が目指すのは、沖縄という場所を「消費される観光地」から「価値を創出するイノベーションハブ」へと変えることです。商店街でコーヒー店を立ち上げる支援から、数億円規模の資金調達を成功させるスタートアップの育成まで、その本質は変わりません。
資本の「呼び水」となり、小さな挑戦を大きなうねりに変えていく。その積み重ねが、やがて沖縄独自の産業を形作ると信じています。
「沖縄で」ビジネスをするのではなく、「沖縄から」世界へ打って出る。経済的に自立し、自分たちの足で立つことができなければ、この土地の平和や自然を守るための議論さえも、どこか他人事になってしまう。
だからこそ、今後も国も地域も海外も巻き込みながら、沖縄の経済を思いっきり元気にさせる旗振りをしていきたいですね。