なぜ銀座の化粧品メーカーは世界自然遺産・白神山地のために企業版ふるさと納税を続けるのか?

世界自然遺産・白神山地の豊かな自然を未来に残そうと、東京・銀座に本社を構える化粧品メーカー・株式会社アルビオンが支援を続けている。企業版ふるさと納税を活用し、2016年から秋田県の白神山地の保全事業に継続的に寄附を行ってきた。
なぜ東京・銀座に本社を置く化粧品メーカーが遠く離れた東北の森の支援を続けるのか。アルビオンの小平努氏(株式会社アルビオン白神研究所 所長)や秋田県職員への取材を基に、白神山地と企業版ふるさと納税が紡いだ地域と企業のストーリーをレポートする。
世界自然遺産・白神山地が抱える課題
秋田県北西部から青森県にまたがる白神山地は、1993年に屋久島とともに日本初のユネスコ世界自然遺産に登録された、広大な山岳森林地帯だ。その中心部には、人の手がほとんど入っていないブナの原生林が世界最大級の規模で分布し、貴重な生態系が保たれている。
この豊かな自然を守り続けるために、秋田県では国や青森県と協力しながら、さまざまな取り組みを行っている。

「秋田県では白神山地の保全活動として地道な巡視活動や国県合同でのパトロール、啓発活動等として入山者へのガイド同行などに取り組んでいます。世界自然遺産としての価値を後世に引き継ぐため、自然環境の保全が適切に行われるようにすることが私たちの役割です」(秋田県自然保護課片岡氏)
しかし、ガイドの高齢化と後継者不足は深刻で、担い手の育成が喫緊の課題となっている。さらに白神山地の保全には予算面の制約も付きまとい、財源確保が必要になる。
そこで、秋田県は2016年度に開始された企業版ふるさと納税制度に着目した。企業版ふるさと納税とは、地方公共団体が実施する地方創生プロジェクトに対して、企業が寄附を行うことで最大約9割の法人関係税が軽減される制度。秋田県ではこの制度を活用し、白神山地の保全事業の一部財源を企業からの寄附で賄う仕組みを整えている。
化粧品メーカーが白神山地の麓に拠点を構えた理由
アルビオンと白神山地の出会いは、水から始まった。化粧品の主成分となる水にこだわる同社がたどり着いたのが、白神山地の伏流水である「白神山水」だった。「硬度19の超軟水で、非加熱でも飲めるほど清浄。肌への刺激が少なく、製造工程でも邪魔にならない理想の水でした」と、アルビオン 白神研究所の小平所長は振り返る。

水との出会いをきっかけに、アルビオンは2010年に白神山地の秋田県側玄関口になる藤里町に「白神研究所」を設立。化粧品の原料となる植物を研究する場として、閉園となった保育園の建物を再利用した研究棟のほか、植物の処理加工施設、保管施設、そして植物の栽培を手掛ける農地など、町内に複数の拠点を構えている。



「化粧品を製造する場合、すでに加工された原材料を業者さんから仕入れるのが一般的です。自分たちで植物を栽培すると、コストも手間もかかります。でも、それを自分たちでやるからこそ製品を自由に設計することができるし、本当の意味でのトレーサビリティを担保することができるのです」(小平氏)
実際にアルビオンの製品には白神山地で育った植物が用いられ、複数の商品に展開されている。研究栽培中の植物は20〜30種にのぼり、約70種の製品に成分が活用されているという。

「フローラドリップ s」にも使用されている「白神産ヤマ・ソービニオン種子エキス」は、藤里町産のヤマ・ソービニオンというぶどうの種から抽出したエキス。生産者がいなくなっていたヤマ・ソービニオンの栽培をアルビオンが受け継ぎ、化粧品の原料としているほか、ワインの原料としても扱っている。現在は自社でワイナリーも開設し、失われかけていた特産品「白神山地ワイン」が、アルビオンにより復活することになった。




これらの取り組みが始まった背景には、藤里町の理解と協力がある。研究所が入る建物の一部は、町が管理していた旧保育園施設を無償で貸し出したものだ。また、他の施設や農地も町有地を中心に、国有地や民間地も含めて町が間に入り取得をサポートしている。
小平氏は「まだ当時は我々の現地での知名度も高くありませんでした。その中で、私たちを迎え入れてくださった地元の方々には恩返しをしたいという気持ちが強い」と話す。
企業版ふるさと納税で白神山地の自然を守る
アルビオンが秋田県への企業版ふるさと納税に参画したのは2016年。当時、制度が始まったばかりで秋田県が白神山地保全プロジェクトへの寄附企業を募っており、アルビオンにも打診があった。
県が提案した寄附先は、まさにアルビオンが惹かれた白神山地の保全事業である。アルビオン社内でも「それなら我々にも寄附をする意味がある。白神山地にはこれからもお世話になるし、森の保全に協力するのは理にかなっている」との声が上がり、寄附参画にゴーサインが出たという。
こうして始まった寄附は2016年度以降毎年継続して行われている。秋田県によれば、アルビオンからの寄附が充当されている「白神山地保全推進事業」では主に次の3つの取り組みが実施されている。

1つ目は白神体験塾(自然体験プログラム)。白神山地の美しさや環境保全の大切さを学ぶ場を児童向けに提供する自然体験プログラムだ。小学生等を対象に森の中での体験学習を行い、将来の白神山地の担い手育成を目指す。毎回定員(20名)を超える応募があり、50名近くの応募が集まることもある人気企画で、抽選によって参加者を決定しているという。参加児童の満足度も高く、白神山地に興味を持った子どもたちが将来保全や観光振興の担い手になることが期待されている。
2つ目があきた白神認定ガイドの育成・更新。秋田県知事が認定する白神ガイドの認定講習を実施する。現在までに38名のガイドが認定されており、高齢化するガイドの後継者を育成しつつ、ガイドたちが白神山地の魅力発信や環境保全活動の中心となることを目指す。ガイド有志は観光客の案内だけでなく巡視パトロールなど保全面にも協力しており、県は今後も新たな人材育成に力を入れていく考えだ。
3つ目がエコツーリズム推進(情報発信等)。白神山地の多様なアクティビティを紹介するエコツアー情報サイトの構築・運営。秋田県の白神山地周辺で体験できるトレッキング、川下り、ネイチャーガイドツアーなどの情報を一元化し発信することで、持続可能な観光利用を促進する狙いだ。
アルビオンの寄附は単なる資金提供に留まらず、こうした事業を通じて「未来の白神ファン」を育て、地域に人の流れと誇りを生み出す原動力になっている。
寄附が生み出す地域とブランドの好循環
世界遺産の森を守るためとはいえ、企業にとって毎年継続的な寄附を行うのは容易ではない。ではアルビオン側はこの取り組みをどう捉えているのだろうか。アルビオン白神研究所の小平所長は、「企業版ふるさと納税の最大のメリットは、地方創生に協力できること」だと強調する。
ただ、アルビオンにとって白神山地は商品の源泉でありブランドイメージの核でもある。「世界遺産の森を守る活動に参加している」という事実は企業イメージの向上にもつながり、社会貢献と商品のイメージアップという効果も得られる。寄附という形での支援は、企業にとってもブランドストーリーを強化し顧客から支持を得る好循環を生む。
もっとも、寄附を継続する中で社内に葛藤が全くなかったわけではない。寄附を始めてから数年が経過した頃、小平氏は「本当にこの寄附は役に立っているのか?」という疑問を抱いたことがあった。

「申し訳ないけど、寄附をしているからにはちゃんと説明してほしい。この事業が本当に効果を上げているのか知りたい」と考えた小平氏は、秋田県庁に話を聞きに出向いたという。県庁の担当者と腹を割った議論を行い、事業の進捗や課題について率直に意見交換した。
県側からは「寄附が集まらなければ事業規模を縮小するしかない」「企業からいただく寄附金が事業継続の要になっている」という切実な声が聞かれ、小平氏は初めて現場の苦労を痛感したという。
「話を聞いて、寄附してきて良かったと思いました。そこまで苦労されていることを知らなかったから。そういうことにお金が使われているのなら、やっていて良いのだなと」(小平氏)
企業版ふるさと納税で「関係企業」づくり
行政側から見ても、アルビオンのような企業との協働は地方創生に大きな可能性をもたらしている。
秋田県では、企業版ふるさと納税を単なる寄附金集めに留めず、企業と地域が継続的につながる“関係企業”づくりの一環と捉えている。秋田県庁で企業版ふるさと納税を担当するあきた未来戦略課 三浦氏は次のように話す。

「企業版ふるさと納税は県外の企業から寄附をいただくのが前提となります。そういった企業にまずは秋田の現状や事業を理解していただくことが大切だと考えています。産業労働部が企業誘致活動等を通して県外企業との関係構築に取り組んでいますから、そういった部署とも連携しながら、企業版ふるさと納税への理解も深めていただく。結果的に寄附金やその他の共同事業、企業誘致につながるのが理想ですね」(三浦氏)
実際アルビオンの場合、研究所を通じて地域と密接に関わっており、県との間でも意見交換が行われるようになった。そうした関係そのものが地方創生の原動力になると県は期待する。寄附金という経済的支援だけでなく、企業が持つノウハウや人材ネットワークが地域にもたらされることで、波及効果は何倍にも広がるからだ。
秋田県にとって企業誘致は若者の県内定着やUターン促進の切り札でもある。アルビオンは研究所開設により地元採用も行い、地域に新たな雇用を生み出した。人口約2700人(令和7年)の藤里町にあって18名が常駐し、本社からも新入社員研修をはじめ頻繁に訪問がある。

白神山地という資源を評価して進出してくれた企業との関係は、他の企業誘致にはない価値を持っている。秋田県としては、白神山地の自然環境の保全と周辺地域の活性化を両立させるモデルケースとして、アルビオンとの連携を今後も深化させたい考えだ。
企業版ふるさと納税はその中で双方を結ぶ一つの手段であり、県は引き続き制度を有効に活用していく方針だ。

「アルビオンさんのケースは世界自然遺産に着目して企業が拠点を置いたレアな例ですし、県としても非常にありがたい存在です。企業版ふるさと納税を通じて、企業と一緒に地域の課題に取り組んでいける関係をこれからも増やしていきたいですね」(三浦氏)
秋田の豊かな森と東京の企業。一見遠く隔たった存在同士が、企業版ふるさと納税という仕組みを介して結ばれる。
今後もアルビオンが白神山地に寄せる思いと、秋田県のビジョンが合致し、単なる寄附を超えた「パートナーシップ」へと発展していくことを期待したい。