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八尾のものづくりを世界へ。個性派揃いの後継ぎ経営者たちはなぜ共創をはじめた?

2024.08.26(月) 19:06
八尾のものづくりを世界へ。個性派揃いの後継ぎ経営者たちはなぜ共創をはじめた?

かつて「ものづくり大国」と言われた日本。長きにわたり日本を支えてきた製造業の立役者であった町工場は徐々にその数を減らしている。そんななか、「ものづくりのまち」として知られる大阪府八尾市では、後継ぎ経営者たちを中心に、再び製造業が盛り上がりを見せているという。

行政と企業が連携し、地元製造業者の技術や商品を“魅せる”場として開設された「みせるばやお」や、八尾市のほか広域連携でオープンファクトリーを実施する「FactorISM(ファクトリズム)」など。官民連携によるさまざまな取り組みから生まれたコミュニティを軸に、八尾市の製造業者同士の取引やコラボレーションが活発化しているほか、これまで下請けに従事していた事業者が自社ブランドの開発に着手する事例が相次いでいる。

衰退の憂き目にあった町工場に何が起こったのか。八尾市の産業政策課と製造業各社への取材から、地域のものづくり復興へのヒントを探る。

世代交代の波が訪れた「ものづくりのまち」

中小の製造業者が集積する大阪府八尾市。大阪市から多くの工場が移転してきたことを背景に、多種多様な町工場が存在し、全国でも有数の「ものづくりのまち」として知られる。

しかし、高度経済成長期とともに盛況を迎えた八尾のものづくりも近年は停滞気味。10年前にあたる2014年に八尾市が発表した報告書によれば、市内の製造業者の約8割が売上・利益を「横ばい」か「減少」と回答している。すでに多くの企業で2代目〜3代目となっていた経営者も高齢化を迎え、約6割が60歳以上となっていた。

八尾市役所の産業政策課 後藤伊久乃氏は当時の状況を次のように話す。

八尾市産業政策課長 後藤伊久乃

「八尾市に12,000社ほどある事業者のうち、約4分の1が製造業です。大阪市や東大阪市から流れてくる事業者が多かったのですが、当時すでに大阪市や東大阪市の事業者数は3分の1ほどに減少。八尾市も事業者の数が減りつつあり、市としても何か対策を講じなくてはいけないという議論が持ち上がっていました」(後藤氏)

ちょうど上述の報告書が発表された2014年頃、八尾市の製造業のいくつかの企業で代替わりがはじまっていた。そこで課題になっていたのは下請けに従事する町工場の競争力の無さと利益の出ない事業構造。目の早い経営者のいる企業では、自社ブランド商品開発など、事業変革に着手しはじめていた。

現在、独自の経営哲学で多くのメディアから取り上げられる木村石鹸工業も、そのうちの1社だ。大学在学中にITベンチャー「ジャパンサーチエンジン(現e-Agency)」を立ち上げ、副社長も務めた木村祥一郎氏は2013年に同社取締役を退任。常務として家業に入ることとなった(2016年より同社社長)。

木村石鹸工業株式会社 代表取締役社長 木村祥一郎

「親父に頼まれて家業に入った当時は、八尾のことを全然知らなければ、石鹸の製造に関することもまったくわからない状態でした。でも製品の最初から最後まですべての工程を自社で手掛けられるのは、すごいと思いましたね。

ただ、せっかく最終消費者向けに商品をつくれるのに当時はOEMしかやっておらず、自分たちは裏方の存在でした。一部の取引先への依存度が高くて、利益率はどんどん悪化しているのに仕事を断れない状況だったのです。それで、2015年に最初のオジリナルブランドとして100%植物由来の石鹸『SOMALI』を開発しました」(木村氏)

木村石鹸工業の工場の様子。

金物製造販売を行う藤田金属もまた、下請け仕事で苦しい状況に追い込まれ、当時専務取締役だった藤田盛一郎氏(2020年より同社社長)を中心に自社商品の開発に活路を見出していた。

「卸を通じて、大手量販ホームセンターに商品の提案をしていたのですが、悲惨でしたよ。値切られて、結局利益を確保できない。BtoCを強化しようとECサイトで販売をはじめたのですが、そこでも鉄フライパンの相場が一気に値崩れしはじめたんです。どうやったら価格を守れるだろうと考えた結果、一つひとつカスタマイズして提供する『フライパン物語』の企画に行き着きました。

『フライパン物語』はヒットしたのですが、どうしても手間がかかりすぎてしまう。そこで、2019年にハンドルを着脱できる鉄製フライパン『10(ジュウ)』を開発したところ、Red Dot AwardやiFdesign awardなどの国際的なデザイン賞を獲得しました」(藤田氏)

藤田金属の工場の様子
藤田金属の鉄製フライパン『10(ジュウ)』

2010年代後半にさしかかる頃、木村石鹸工業や藤田金属のほかにも八尾ではいくつかの企業で先進的な後継ぎ経営者がいた。後に製造業者のコミュニティをリードすることになる錦城護謨や友安製作所もその例に漏れない。しかし、それはまだ八尾市の製造業の中では一部の話であり、それぞれが個別の「点」の話。現在のような八尾市の製造業者全体を巻き込んだうねりになる兆しはなかった。

「ものづくりのまち」に訪れた転換期

現在、八尾市のものづくり振興は広く知られ、全国から頻繁に視察が訪れるほどだ。八尾市が官民連携でものづくり振興の取り組みを加速させるきっかけとなったのは、2014年。八尾市職員(当時)の松尾泰貴氏が産業政策課に異動してきたことに端を発する。異動してきた松尾氏は、まず現場の声を聞くために自ら八尾の製造業者のもとを回った。

株式会社友安製作所 ソーシャルデザイン部担当執行役員 松尾泰貴氏(当時、八尾市産業政策課)

「100件は訪問しましたかね。僕は4月に産業政策課へ異動したのですが、8月には予算要求のために次年度の計画を提案しなくてはならなかったんです。それでとにかく早く地場の企業について知りたくて、まずは現場に行かなければと」(松尾氏)

現場の声を聞くなかで事業承継に課題を感じた松尾氏は「次世代経営者養成講座」や中小企業の自社商品開発を支援する「STADI」などの取り組みを推進、一定の成果を上げるとともに、製造業者同士のコミュニティの下地ができはじめていた。

しかし、そのどちらの取り組みにも前出の木村氏も藤田氏も参加していなかったという。木村氏は「行政のことは嫌いだったので」と語り、藤田氏は「僕、セミナーとか一切いかないので。全部自己流」と語る。ファーストペンギンは群れでは行動しないのが常だ。

一方、松尾氏はさまざまな企業を訪問するなかで、木村石鹸工業や藤田金属の存在を知り、個別にそれぞれの扉をノックしていた。八尾の製造業を変えていくには、こういった自ら道を切り拓いていける企業ないし経営者を巻き込んでいく必要があるという確信があった。そしてそれが「みせるばやお」のきっかけになった。

「木村石鹸工業や藤田金属などの一匹狼の企業とは、その会社のやりたいことを後押しできるように個別に関係を築くようにしていました。補助金の案内をしたり、すでに行っている取り組みに箔をつけるため公的機関のアワードに申請するサポートをしたりなど。

一匹狼の企業にはイノベーション気質があるし、その他の突き抜けられていない企業のなかにも面白い会社がたくさんある。そこがつながったら、どんどんと新しい事業が生まれるのではないかと思い、最初は飲み会を開いたんです。そうしたら友安製作所がそこでコラボレーションをはじめたりして。ちゃんとコミュニティ化すれば自然とイノベーションが生まれていくのではないかと考えたんです。それが『みせるばやお』の企画につながっています」(松尾氏)

八尾のものづくりの技術力や製品力を“魅せる場”として、近鉄八尾駅前の商業施設「LINOAS」の8階に開設された「みせるばやお」。“一匹狼”だった木村氏と藤田氏が「みせるばやお」に参画したのは松尾氏の存在が大きかったという。

「当時、まだ市役所の職員だった松尾さんが声をかけてくれたのがきっかけでしたね。ちょうどその頃、友安製作所の友安さんと知り合いになって『八尾にこんな面白い会社あんねや』と思っていたときで。松尾さんから『友安製作所も入りますよ』と言われたんです。後から聞いたら友安さんにも『木村石鹸が入りますよ』と言っていたみたいで。あの人はほんまね、公務員とは思えない変な人だった(笑)」(木村)

「いる」から始まる関係性がコラボレーションを生む

「みせるばやお」の企画は、市の予算を獲得し、参画企業を口説き、徐々に現実のものになっていった。そして、2018年8月に「みせるばやお」が開設。スタート時に参画したのは八尾の製造業者35社だったが、3カ月後には100社を超えた。

「みせるばやお」の入口
製品の展示・販売のほか、各種イベントに対応するスペース。

「みせるばやお」はLINOASの賃借料とイニシャル費用を行政が負担した以外はほぼ参画企業の会費をもとに運営している。初期のボードメンバーとなった錦城護謨、友安製作所、木村石鹸工業をはじめとする企業が中心となり、年間20回もの自発的な会議を開催したほか、運営組織を株式会社化するために当時、「みせるばやお」の理事メンバーが個人で出資したという。

なぜ、「みせるばやお」はここまで一匹狼の後継ぎ経営者たちのコミットを得ることができたのか。そこには各企業のメリット・デメリットを超えた、八尾の製造業者としての大義がある。

「検討準備会で『みせるばやお』で何をやっていくかを話し合ったんです。そのときに挙がったのが地域貢献でした。『未来の子どもたちのために活動する。そこがやっぱり活動の原点ではないか』と。さらに地域の企業間でナレッジシェアをしていく、製造業のサービス産業化を推進するなど、『みせるばやお』が取り組むべき指針が参画企業の話し合いのもとで固まっていきました」(後藤氏)

「みせるばやお」では、八尾の製造業各社の展示・商品販売が行われているほか、子ども向けのワークショップなどを開催。「みせるばやお」を通じて地域や各企業のブランディングの効果はもちろん、プロジェクトを推進していく過程で各経営者及び従業員はいつの間にか顔見知りになっていた。

何か困った際に「あの人に頼めば」と顔が思い浮かぶ関係性が構築されたことで、これまで域外で調達していた部品を八尾の企業から調達するようになったり、企業間のコラボレーションの事例も生まれたりするようになった。八尾にはさまざまな技術や製品を有する企業が集積しているため、ものづくりに関する大部分のことは八尾で完結することができる。

木村石鹸工業の例でいえば、インテリア・DIY商材を扱う友安製作所とのコラボレーションで、フレグランススプレーとウッドクリーナーを共同開発・販売した。また藤田金属もビスの仕入れ先を八尾のメーカーに変更したところ、気軽に相談できる関係性になり取引が続いているという。

木村氏は「みせるばやお」をきっかけに、さまざまなコラボレーションが生まれた背景を次のように話す。

「今では経営者同士が仲良いから。異業種交流会のようにお互いの利害関係で集まっていると結局上手くいかないことも多い。でも地域を良くしようとか子どものためにとか、文化祭のようなノリで集まっていると、その過程で自然と仲良くなるし、コラボレーションも生まれます。

予防医学者の石川善樹さんの受け売りですが、人間関係を深めていくプロセスは『いる』『なる』『する』の順番なのだそうです。小学校のクラスでもまずは『いる』状態からはじまり、そこから仲良く『な』って、一緒に何かを『する』。本来、『する』は一番最後です。

それが大人になると『する』から始めるようになるんですよね。そうすると『あの人は何ができる』とか、そういう目線で人を見るようになる。それは人をHuman Resourceとして扱うことです。でも本来はそこに『いる』こと自体に価値があり、人はHuman Beingとして扱うべきなのだと。

『みせるばやお』はまさに『いる』からスタートしたプロジェクトで、そこから皆で話し合い何をするか考えていった。だからこそ『みせるばやお』は自律的で強い組織になったのだと思います」(木村氏

FactorISMで八尾の製造業コミュニティを広域へ

「みせるばやお」をきっかけに生まれた中小企業等のコミュニティは八尾に好循環をもたらした。産業政策課の後藤氏は「行政と企業の距離感が近くなったので、企業のニーズがキャッチしやすい」と副次的な効果について語る。八尾市の中小企業振興の政策立案にも日頃のコミュニケーションが中小企業へのヒアリングによるサンプリング調査の機能を果たしているという。

そんな「みせるばやお」のコミュニティをベースに2020年からはじまった取り組みが「FactorISM」だ。「みせるばやお」は八尾市にある「みせるばやお」を拠点とした取り組みであるのに対して、「FactorISM」は堺市、東大阪市、門真市などを含む広域連携で地域を盛り上げていく取り組みだ。

奇しくも35社が参加した初年度開催はコロナ禍と重なりオンライン工場見学が中心となったが、約3000名を集客し、さまざまなメディアで取り上げられることとなった。次年度以降はオフラインでの開催となり、5年目を迎える2024年は90社以上が参加する見込みとなっている。

FactorISMが開始する以前からオープンファクトリーに取り組んでいたという藤田金属の藤田氏はその効果について次のように語る。

「うちは元々オープンファクトリーに取り組んでいて、工場の2階の店舗部分から見下ろせるようにしているんです。だいたい平日は10〜15人くらいが訪れるのですが、職人たちも見られる環境が刺激になってモチベーションにつながっているように感じます。

FactorISMの開催中はスタッフが付いて、工場の作業場を一つひとつ解説しながら回るんですが2日間で約200名が訪れます。そう考えるとFactorISMの効果は大きいですよね」(藤田氏)

FactorISMによって製造業コミュニティは八尾から大阪広域へと広がった。FactorISMの期間中は日本各地から各工場へ人が訪れる。そして今、後藤氏は大阪万博をきっかけに八尾の製造業を世界へ発信しようと目論んでいる。

「もともと2020年にFactorISMを開始するときに、『2025年大阪万博のサテライト会場にしたいね』と話していたんです。今、大阪・関西万博とFactorISMを連携させ、八尾のまちに来て、万博を感じてもらう仕掛けを準備しております。

大阪・関西万博に大阪ヘルスケアパビリオンがあり、その会場に9月16日から22日までの1週間、八尾市の企業13社が出展できることが決まっております。大阪・関西万博への出展にも『みせるばやお』でこれまで活動してきた共創モデルを披露する予定です。

ここ数年で、自社商品の販路先として世界に進出したいという企業が八尾にも増えてきました。万博が八尾のことを世界に伝えられるきっかけになればと考えています」(後藤氏)

八尾に学ぶ、官民連携で忘れてはいけないこと

2021年4月、松尾氏は八尾市役所を退職。現在は「みせるばやお」のボードメンバーでもある友安製作所の執行役員として、八尾市のまちづくりに関わっている。八尾市の製造業コミュニティを形成するさまざまなきっかけとなった松尾氏の退職後も、後藤氏を中心に八尾市における行政と製造業者の良好な関係は続いている。

友安製作所の工場を案内する松尾氏

今回取材をした八尾市の民間企業の経営者である木村氏と藤田氏のどちらも、八尾市の製造業コミュニティの成立要件の1つとして行政の支援を挙げる。

「『みせるばやお』のような取り組みは行政がコミットしてくれなければ絶対にできないことです。行政と民間企業がこれだけバランス良く、一緒にプロジェクトに取り組めている事例はあまりないのではないでしょうか。

行政が予算を確保するには、目的や成果が明確である必要があります。でも先ほどの『いる』『する』『なる』の話ですが、今回の八尾の件で言えばKPIから入るのではなく、まずは経営者同士が仲良くなることが必要だったと思うんです。

そういう意味でも行政は企業の応援をきちんとしてくれたし、応援することで最終的に地域に還元があるとも信じてくれているだと思います。実際、今八尾のふるさと納税額の9割以上は『みせるばやお』の参画企業の出品した返礼品によるものらしいですよ」(木村氏)

「行政と企業は壁を作ってしまう部分があるじゃないですか。最近、他の地域で研修をさせていただく機会があるのですが、やはりそこに壁があるのを感じるんですよね。でも、八尾にはその壁がない。

おそらく理由としては、とにかく行政が企業に対して圧倒的に支援する姿勢を示してくれるから。そうすると自分たちも何かを返したいという気持ちになるじゃないですか。

八尾にとって、行政と企業に壁がないというのは最大の強みじゃないかなと思うんです」(藤田氏)

FactorISMの様子

なぜ、企業との間に壁がないのか産業政策課の後藤氏に問うと「困り事も普通なら隠すことも、全部オープンに言いますね。それで一緒に考える」という答えが返ってきた。

行政に後藤氏がいて、松尾氏がいた。企業に木村氏や藤田氏のほかコミュニティをリードできる経営者たちがいた。コミュニティが成立するかが属人的であることは否めないものの、関係者の話はすべて、木村氏の言うところの「仲良しだから」という点に集約されるように感じる。まるで子どもの答えのようだが、そこにまちづくりないし地域活性の大きなヒントがあるのかもしれない。

編集・執筆:野垣映二 撮影:山元裕人)