三井不動産

【加藤寛之】まちに「バイローカル」を実装。住宅街に80を超える新規出店が生まれたわけ

2026.05.19(火) 17:22
この記事は約7分で読むことができます。
【加藤寛之】まちに「バイローカル」を実装。住宅街に80を超える新規出店が生まれたわけ

大阪市の南、阿倍野区にある「昭和町」。天王寺から自転車で10分、60階建ての「あべのハルカス」から一駅という立地でありながら、その名称通り、昭和のレトロな面影を強く残すエリアだ。

この街の商業は、かつて静かに衰退の道を進んでいた。2010年前後から始まった天王寺の大規模再開発で、買い物も外食も、住民の消費はどんどん天王寺へ吸い寄せられていく。昭和町の商業は元気を失い、空き店舗は増え、住宅化が進んでいった。

しかしこの10年で、そんな昭和町に静かな異変が起きた。「バイローカル(Buy Local)」を合言葉に、住民は地元の個人店に好んで通うようになり、新たに個人店の開業が増え、気づけば新規出店は80店舗を超えた。「バイローカル」とは、文字通り「地域のお店で買い物をする」という運動のことだ。

その仕掛け人が、都市計画家であり、2025年8月に設立された一般社団法人バイローカルの代表理事・加藤寛之さんだ。加藤さんは「バイローカル」という思想を10年かけて実装。その射程は今、全国の地域にまで広がろうとしている。

加藤寛之

都市計画家 / 株式会社サルトコラボレイティヴ代表 / 一般社団法人バイローカル代表

大学在学中より、都市計画家である髙田昇(たかだすすむ)氏に師事。1999年sarto.創業、2008年6月法人化。地元・大阪阿倍野のまちでは、店舗や人材を守り育てるバイローカルムーブメントを2013年から開始。2018年にはレストラン・ベーカリーカフェ・グロッサリーストアで構成される複合施設「THE MARKET」を立ち上げ自らも店頭に立って経営。日本全国のエリア再生に関わりながら、各地にてストックリノベーションによる遊休不動産の活用等によって地域再生につながる事業もライフワークとして取り組む。

空洞化した街に再び個人店の火を灯す、「バイローカル」運動

──加藤さんが「バイローカル」を知ったきっかけは?

僕は、大学3年生の頃から都市計画家の髙田昇先生のもとに弟子入りして、働いていました。千葉出身で、みんなが東京を向いているのに違和感を覚えていた私は、先生の講義がきっかけで都市計画に目覚めたんです。

先生のプロジェクトで海外事例をリサーチしていたなかで、アメリカ・コロラド州ボルダー郡で大型ショッピングモールから個人店を守ろうと始まっていた、「バイローカル」というムーブメントに出会いました。

面白かったのは、「バイローカル」をGoogleアラートに登録しておくと関連ニュースが次々に飛んでくるようになったこと。ある街で始まった話が、気づけば次の街、また次の街、と広がっていく。地図にピンを落としていったら、みるみるうちに全米に広がっていきました。これは何かあるぞ、と。

それから10年以上、「バイローカル」のことは、どこか頭の片隅にあったんです。

──その「バイローカル」を、ご自身の住んでいる昭和町で2013年にスタートしたわけですね。

ちょうどその頃、2010年頃から天王寺の再開発が一気に進み、街がガラッと変わったんです。自転車で10分の僕らの街からすると、スターバックスが6軒もあるような「何でも揃う街」が隣にできてしまった。その影響で、うちの街は空き店舗が増え、好きだった店は移転し、住宅化が進む。街ががらんどうになっていくのを目の当たりにしていました。

一方で、2000年代は国の空き店舗対策として、リノベーションをして、外から新規出店者を誘致する、古民家再生のような取り組みが流行していました。僕も以前そういった取り組みに関わったことはあったのですが、違和感が大きかった。

資金調達も大変ですし、税金を使って新規出店者を誘致することで「自分たちは税金を使わずに頑張っているのに」と地元の商売人からは反発も生まれる。それに5〜6年もすれば、古民家再生は珍しくなくなって、社会的インパクトも薄れていました。

──それで「バイローカル」に辿り着いた、と。

いきなり新しく外から入れるのではなく、まず今いる商売人たちを応援する仕掛けを作る。それによって、商売をするための地域の土壌が改良されて、いろんな植物が育ちやすくなるんじゃないか、と。

2008年にサルトコラボレイティヴを法人化して、各地域で青空市を企画していた僕は、ちょうど「どっぷり、昭和町」という地元のお祭りで何か新しいことをやりたいと、地元の仲間から相談を受けたんです。「バイローカルというコンセプトならやりますよ」と返したら、みんなが「それだ」となって一気に動き出しました。

3〜4年で訪れた、住民の消費行動の変化

──最初に手がけたのはどんなことでしたか。

まずは自分たちの街のよき商いを知るために街のお店のマップづくりから始めました。チーム6人で一人5店舗ずつ、自分の推しの店を「口説く」。漬物屋、魚屋、喫茶店、パン屋など……取材してまとめました。

それから、年に一度「バイローカルの日」というマーケットを開催しました。このイベントは、地域の公園を会場に、「よき商い」が一堂に集まる青空市です。単なる集客イベントではなく、地域に住む生活者と素晴らしい個人店が直接出会う場であり、ここから365日の「日常使い」を始めてもらうための“最初の1日”として位置づけています。

だから出店者には「大切なのは売上ではない」というメッセージを伝え、あえて店から徴収するお金も「出店料」ではなく「参加費」と呼びました。そういう細かいことが大切なんです。

そして、イベント中には参加した住民に「今日がきっかけです。残り364日の消費行動を変えてください。そのことがあなたの街を良くするんです」と発信し続けたのです。

──出店する店は独特の選び方をしているそうですね。

チームの互選で決めています。自薦や他薦は受けない。「地域が良くなれば自分の店も良くなる」と感じられる店主かどうか、というフィルターをかけているんです。

なぜこの選び方にこだわるか。お店同士って、近くにあるのに意外と仲良くないんですよ。とくに飲食店は互いを敵のように意識しがちです。でもバイローカルへ参加したお店同士は「話が通じる」とわかるから、仲良くなりやすい。

店主が仲良くなると、SNSで絡んだりして、お客さんも「この店同士、つながってるんだ」とわかる。するとパイは変わらないのに、A店の50人のお客とB店の50人のお客が混ざり合い、網の目のように広がっていきます。これが起きることが、すごく重要なんです。

──きちんとお店を選定し、出会わせ、「バイローカル」のメッセージを発信し続ける。活動としてはシンプルですが、結果はいつ頃から見え始めたのでしょうか。

3〜4年経った頃、街に新しい店がポツポツとできはじめました。最初にできたのはコーヒーの焙煎店、それから洒落た古本屋、セレクトされた古着屋。「あ、土壌が変わったかも」と感じた瞬間です。

チームに不動産屋がいるのですが、彼も「新しいことをやりたいという人からの問い合わせが増えてきた」という感覚があったようです。昭和町は長屋が多い街で、その長屋再生の動きも追い風になりました。何か確実に、街の空気が変わってきていたんですね。

さらに新しく出店した店にも、メンバーや推薦人が声をかけて「バイローカルの日」にも参加するようになっていきました。

撮影:大森カメラ店
撮影:大森カメラ店

──現在は140店舗もの「よき商い」を選定されていて、そのうち80店舗が新規なのだそうですね。

この街の人口自体はほとんど変わっていないんです。それなのに、飲食店を中心に新規の店が増えて、なおかつ潰れていない。普通ならパイの奪い合いになるはずですが、そうなっていません。

これはつまり、生活者の消費行動が変わっているということなんです。今まで天王寺・難波・梅田・ネットショッピングに向かっていたお金が、少しずつ自分の街に戻ってきている。データで証明できているわけではないですが、そうでなければ新しい店が成り立つはずがないですよね。

「自分の街、めっちゃ好きになったわ」。地域自己肯定感の価値

──生活者には、消費行動だけでなく「意識」にも変化が見られるのでしょうか。

ネットアンケートで住民の約9割が「バイローカル」を認知し、そのうち9割が「街が良くなった」と答えてくれました。僕らが直接知らない人たちが調査対象だったので、正直、驚きました。

日本中いろいろな地域で仕事をしていると、みなさん必ず「うちの街には何もないですよ」と自虐的に謙遜する。でも以前イタリアに半年滞在したとき、イタリア人はとにかく自分の街を堂々と自慢するんですよ。「ここのオリーブオイルは最高だ」「うちのワインは」と。自分の街にあるものを心から誇りに思って語るその姿に衝撃を受けましたし、あれがずっと羨ましかったんです。

身近に多様な商いや人々が存在し、しかも自分がそれとつながっている。そういう感覚が生まれると、「うちの街、遊びにおいでよ」と言えるようになります。この「地域自己肯定感」が大事なんです。シビックプライドです。個人の自己肯定感が生きる上で大切なのと同じで、「地域自己肯定感」も都市で暮らす幸福感の大きな部分を占めているのです。

実際、みなさんよく「自分の街、めっちゃ好きになったわ」と言ってくれます。「自分の街」って普通、住んでいるだけの場所を指しがちで、遊ぶ街とは別であることが多い。でも昭和町では、住む・働く・遊ぶ・友達がいる、が重なり始めている。これはすごく幸せなことじゃないかと思うんです。

──地価も10年で約40%上昇したそうですね。

そうなんです。最近できたテナントビルにハンバーガーチェーンが開店したのですが、10年前の倍くらいの家賃で入居したと聞きました。つまり、貸し手としては倍近くの家賃が取れる街になった。でも、これは良いことばかりではありません。家賃が上がれば、良い個人店が新規に出てこなくなってしまいますから。

ただ、そのハンバーガーチェーンが来ても、街にある個人店のハンバーガー屋は潰れないだろうとも感じています。住民はみんな「バイローカル人間」になっているから、普段は1500円のこだわりのハンバーガーを食べて、たまに400円のチェーン店のハンバーガーを食べる。そういう消費習慣に変わってきているんです。チェーン店と個人店が共存する街。それがうちの街の姿なのかもしれません。

「バイローカル」運動を日本全国へ

──2025年8月には一般社団法人バイローカルを設立し、全国展開へ動き出しました。

10年やってきて、バイローカルは他の地域でもやれると思いました。そこで僕たちが掲げているのが「ご近所資本主義」という思想です。チェーン店には利便性・効率性・安全性という価値がある。一方で、街の個人店はコモンズ(共有地・共有資産)のような存在です。このコモンズの重要性をしっかり認識しながら買い物する場所を意識し、「地域内経済循環」を高めていかない限り、それらは簡単になくなってしまう。

そのために4つの事業を用意しています。入口は「バイローカル・ドリンクス」。地域のキーマンとお酒を飲みながらゆるく勉強会をするイメージで、これまでに5〜6カ所で開催してきました。次が「バイローカル・リサーチ」。地元のよき商いを僕らが調査してマップや冊子にする。

そして「バイローカル・マーケット」は僕らが事務局を担い、地元チームと一緒に、街を良くする仕掛けとしてのマーケットを立ち上げる。最後が「バイローカル・スクール」で、こちらは伴走支援に徹し、地元の人たちが自分たちでマーケットを運営するところまで育てます。どういったメニューがあると、「バイローカル」を採り入れたい地域や企業と一緒に組めるかは模索中なので、ぜひ気軽に相談してほしいです。

秋田県大仙市の大曲では、JR東日本がスポンサーとなって「バイローカル」のマーケットを立ち上げました。昨年は私自身と共に、理事の1人である東海林が代表を務める秋田市の株式会社シービジョンズが運営に入って年2回開催。今年は地元チームだけで開催に向けて動いています。大阪市生野区では「バイローカル・スクール」を開催。4つの地元チームが生まれ、すでに彼らだけで第2回の開催まで漕ぎ着けています。

──ビジネスモデルとしては、どのように成立させるのですか。

街の土壌を改良し、共に耕し続ける、スポンサーの存在が大切だと考えています。自治体、鉄道会社、信用金庫、地銀、地元のデベロッパーや建設会社など、地域が活性化すれば、税収が増えたり、沿線の人口減少が止まったり、融資先が生まれたりする、スポンサー側にもリターンのある企業。「3年間、僕らにお金を預けてもらえませんか。その代わり、10年間動き続ける地元チームを作ります」と提案しています。

バイローカルの先に描く、食住近接の地域の姿

──バイローカルの先に、加藤さんはどのような地域の姿を描いているのでしょうか。

サルトコラボレイティヴの関連会社が運営する阿倍野の複合施設「THE MARKET」で、60軒の近隣農家さんと直接取引をする、グロッサリーストアを運営しています。お客さんには粗利35%で、近所のレストランやベーカリーカフェには粗利5%で卸す。飲食店がスーパーと同じ感覚で近隣農家の野菜を仕入れられる仕組みを作っています。

今は、スーパーには全国の野菜が並んでいるのに、近郊の野菜はほとんど買えません。流通が発達した代償で、食住近接が失われてしまった。「バイローカル」で都市の小さな商売と暮らしを接続するのが第一段階なら、次は、これを半径30〜40キロの生産地との関係まで広げていきたい。昔の「伊賀国」「摂津国」くらいの単位で、自分たちの食を自慢できる日本にしたいんです。

私が「都市計画家」と名乗っているのには理由があります。19〜20世紀の都市計画はハードで課題を解決してきました。でも21世紀は、心の豊かさと、人と人との直接的な触れ合いの時代です。グローバルは大事ですが、それだけでは人は幸せになれない。

街の単位で「ご近所」を再構築し、その先に生産地との関係を再構築する。そうやって人と人とが直接触れ合える範囲を取り戻していく。これこそ、21世紀の「都市計画」が取り組むべき領域だと思うんです。

イベント情報はこちら

POTLUCK AWARD
応募受付中!!期間:2026年6月19日(金)まで