日本再興の鍵は地域にある!?約300億円を資金調達したスタートアップが地域を目指すワケ

日本の「失われた30年」を取り戻すメガベンチャーは地域から生まれるのかもしれない。かつて日本をジャパン・アズ・ナンバーワンと言わしめた「製造業」。ものづくりの技術、人材、文化といったレガシーは、都心部ではなく、日本各地の地域にこそ眠っている。日本再興の鍵が製造業であるならば、これからスタートアップが目指すべき舞台は、都市ではなく地域なのかもしれない。
「自然エネルギーの爆発的普及を実現する」をミッションに掲げて、蓄電池を開発・製造するパワーエックス。の代表である伊藤正裕氏がイノベーションの場として選んだのは、岡山県玉野市だ。玉野市に生産・開発の拠点「Power Base」を建設し、2025年6月には同地に本社を移転した。
伊藤氏は地域からどのようにして次世代のメガベンチャーを生み出そうとしているのか。なぜ、玉野市だったのか。同社の玉野市の拠点を巡りながら、伊藤氏から話を聞いた。

伊藤 正裕
取締役 兼 代表執行役社長CEO
2000年株式会社ヤッパを創業。2014年M&Aにより株式会社ZOZOに入り、ZOZOテクノロジーズの代表取締役CEOを経て、2019年株式会社ZOZOの取締役兼COOに就任し、「ZOZOSUIT」、「ZOZOMAT」、「ZOZOGLASS」など数多くの新規プロダクトの開発を担当し、ZOZOグループのイノベーションとテクノロジーを牽引。2021年3月に株式会社パワーエックスを設立。
歴史の継承と革新が交差する、巨大造船所

最初に訪れたのは、日本の近代化を支えた造船業の歴史そのものを体現する、三井E&Sの巨大な工場だ。三井E&S は1917年、三井物産の造船部としてこの玉野の地で創業して以来、100年以上にわたり日本の、そして世界の海運を支えてきた名門である。その事業所は、玉野市の経済と雇用の中心であり続けてきた。
かつて巨大なタンカーや貨物船が建造されたドックの面影が残るその場所で、今生み出されているのは船ではない。パワーエックスの主力製品である大型蓄電池「Mega Power」だ。パワーエックスは三井E&Sと賃貸借契約を結び、この歴史ある工場の敷地と建屋を借り受けている。

「Power Baseの天井高ではMega Powerが作れないものですから、どうしようかと。そんな時、偶然にも三井E&Sさんが造船から撤退するという話を聞きました。これはもう運ですね」(伊藤氏)
建屋に一歩足を踏み入れると、そのスケールに圧倒される。数十メートルの天井高の空間で、コンテナほどの大きさの蓄電池の筐体が、技術者たちの手によって組み立てられていく。

この生産を担うのは、パワーエックスが直接雇用した従業員だけではない。パワーエックスは、場所を借りるだけでなく、生産プロセスの一部を三井E&Sの関連会社に業務委託している。
長年この地で「ものづくり」を支えてきた熟練の技術者たちが、その腕を蓄電池という新しい製品の製造に振るっているのだ。斜陽化しつつあった地域の産業遺産を、スタートアップが新しい形で受け継ぎ、未来のエネルギーインフラという次世代産業へと転換させる。
玉野という土地が持つポテンシャルを象徴する光景と言える。
未来の製造業を体現する「Power Base」

歴史ある造船所を後にし、次に向かったのは、PowerXの自社工場「Power Base」だ。スマートファクトリーでは、作業員はiPadを片手に働き、女性従業員も多く活躍する。その様相は、従来の「工場」が持つ、油と鉄の匂いがする無骨なイメージとは全く異なる。

建築家・妹島和世氏がリノベーションを手がけたという建物は、自然光をふんだんに取り入れる「スカイライト」が設置され、明るく、静かで、どこまでもクリーンな空間が広がっている。

エントランスには『調整力』と名付けられたアート作品が設置されている。再生可能エネルギーの不安定な発電を、蓄電池がいかに社会を支えるインフラに変えるかを可視化した、パワーエックスの存在意義そのものを示すインスタレーションだ。

そしてその隣には、開放的なカフェスペース。地元のコーヒーショップが運営するというこのカフェは、瀬戸内国際芸術祭の期間中に臨時でオープンしたものだったが、社員はもちろん、近隣住民からも「残してほしい」という声が相次ぎ、常設されることになったという。「この辺は飲食店がないんですよ」と伊藤氏が言うように、今では地域にとってなくてはならない憩いの場となっている。
この工場では現在、小規模施設向けの蓄電池「PowerX Cube」と、それに充電ポートが付いた超急速EV充電器「Hypercharger」、そして将来の電気運搬船に搭載するための特殊なバッテリーモジュールという3種類の製品を混合生産している。

パワーエックスのものづくりの根底には、社会インフラを担うという強い責任感が流れている。「我々が売っているのは発電所施設です。もしも壊れてしまったら大変なことになる」と伊藤氏は言う。だからこそ、経済安全保障の観点からも自社での国内製造にこだわる。
製造委託では、知らないうちに部品が変わっていたり、スペアパーツを自社で持てなかったりするリスクがある。
「無責任なものは売れません。うちの社員が全部わかっていて、全部直せるからこそ、胸を張って売れるんです」
伊藤正裕氏が語る、パワーエックスが玉野を拠点にする理由
──なぜ、パワーエックスの拠点として玉野を選んだのでしょうか。
伊藤:誘致活動をしている全国の産業団地は、ひと通り見ました。ですが、例えば某工業団地では石炭の粉が飛んでいたり、土壌汚染が進んでいたり、なかなか「ここだ」と思えるような場所は見つからなかったんです。
そんな中、玉野市のことは知人の紹介で知りました。ここは行政が積極的に工業誘致をしていたわけではなく、文字通り「縁」でたどり着いた場所です。来てみたら、すごく良いところだなと。
まず何より、非常に安全であること。太平洋側の工場となると、どうしても南海トラフ地震のリスクがあります。ここは南海トラフ地震の津波が来ても到達まで3時間半はかかり、高さも3メートル程度だと言われています。雪は降らず、台風の直撃も歴史的にほぼない。
そして、それ以上に重要だったのが「人」の問題です。これから日本の、特にブルーカラーの労働人口はどんどん減っていきます。そうなると、若い人たちは引く手あまたです。そんな彼らが『ここで働きたい』と思える場所でなければなりません。
今の日本は優秀な若者がみんな東京を目指す構造になっています。でも、今の東京は住宅費が高すぎて、70平米の住居が1億円を超えることもざらです。そんな環境で2人、3人の子供はとても産めません。
その点、玉野市はコスト・オブ・リビング(生活費)が非常に低い。この辺りでは新築一戸建てが1980万円で売られているんです。だから、子供だって安心して産めるはず。目の前には直島があって、倉敷も近い。生活するにも申し分ない環境です。

──技術職では大手メーカーからの転職者も多いと伺いました。
伊藤:技術職で言うと、大手自動車メーカーで生産管理部長をしていた人材など、さまざまな大手国産メーカーの出身者が入社してくれています。結果的に採用倍率は数十倍にもなっています。彼らがなぜ来てくれるのか。それは、我々が挑戦できる環境と、ここでしか得られない生活の質、その両方を提供しているからだと思います。
──2025年6月には東京から玉野へ本社を移転しています。なぜでしょうか。
伊藤:社員の心の中にも「ここが我々のコアであり、最重要拠点なのだ」ということを位置づけたかった。我々が提供する蓄電池の価値を最大化するのはソフトウェアによる制御です。ただし、ハードウェアがなければソフトウェアを載せることはできません。つまり、我々は製造業なのです。ものづくりが疎かになったら会社は終わりだということを、社員に伝えたかったのです。
また、これからまた玉野で大きな投資も予定していますし、法人住民税も玉野市に入ります。それだけの覚悟を持って、この地に根ざしていくという意思表示でもありますね。
地域との共創。「よそ者」から「パートナー」への道程
──地域に溶け込むために、どのような取り組みをされてきましたか?
伊藤:我々は外から来た「よそ者」ですから、とにかくオープンに、正直にやるということを徹底しています。うまくいっていることも、いっていないことも、包み隠さず地元の人に説明していく。工場の完成前から何度も住民説明会を開きましたし、完成後は商工会議所や地元の議員さん、市民の皆さんを積極的にお呼びして、フルオープンにしています。
工場建設を決めた直後には、玉野市と包括連携協定を結びました。内容は「オープンファクトリー」「ゼロカーボンシティ」「雇用の創出」「電池を活用した防災」など多岐にわたります。具体的な取り組みとして、地域の防災拠点でもある深山公園に、平時もEV充電器を設置する計画を共同で進めています。 こうした活動を通じて、少しずつですが地域に変化が生まれていると感じます。パワーエックスの活動を通じて、玉野の認知度は確実に上がっていると思いますし、Power Baseは妹島さんの建築ということでアート関係者も見に来て、面白い融合が起きています。地元のサプライヤーさんも積極的に活用していますし、そうした横の繋がりが地域経済に少しでも貢献できれば嬉しいですね。

日本再興の鍵を握る「製造業スタートアップ × 地域」モデル
──この「スタートアップ×地域」というモデルは、他の地域や産業にも広がる可能性はあるでしょうか。
大いにあると思います。そもそも、今の日本は大きな課題を抱えています。アメリカではテスラやスペースXのような製造業ベンチャーが国を牽引していますが、日本からは生まれていません。この膠着状態を打破する鍵こそが、製造業をはじめとする「主要産業に挑むスタートアップ」です。そして製造業スタートアップは、コストの観点から必ず地域へ出ることになります。
重要なのは、日本の地域にはそのポテンシャルが眠っているということです。Power Baseを短期間で立ち上げることができたのは、我々がすごいのではなくて、玉野市にそのインフラがあったからです。
優秀なサプライヤーもいるし、製造業25年の経験を持つ工場長クラスの人材もいる。日本の強みを活かした製造業スタートアップが日本各地にできたら、景色は全く違ったものになるはずです。
ただ、大きな課題もあります。それは資金調達です。VCは製造業スタートアップに積極的には投資しないので、普通は立ち上がらない。うちも、ほとんどのVCから断られました。だからこそ、国が本気で新しい産業を興す気概を持って、政策で後押しする必要があります。

──今後、地域で挑戦したいと考える起業家や、企業を誘致したい自治体へのアドバイスはありますか。
伊藤: 自治体の方々にお伝えしたいのは、企業誘致は、補助金だけではダメだということです。多くの自治体が補助金や税制優遇を提示してくれますが、それはお金に替えられない価値の前では二の次です。究極的には、経営陣を含めたメンバーが「常にそこに行きたい」と思える場所かどうかが大切なんです。
例えば、私が見てきた産業団地の中には、一番近い宿泊施設がキャンプ場だったり、昭和のままのビジネスホテルしかない場所だったりすることもありました。これでは、幹部はだんだん現地に行かなくなってしまう。そうなるとイノベーションも起きないし、コントロールも効かなくなる。1億、2億の補助金をもらったところで、自分たちでレストランやホテルを建てることはできませんから。
だから、もし政府が本気で産業誘致を進めるなら、工場のようなハードだけでなく、学校、ホテル、住宅地、ショッピングモールといった「ソフト」のインフラもセットで開発するべきです。そこまでパッケージで整備すれば、本社ごと移転してくる大企業だって現れるかもしれません。
パワーエックスの最終目標。玉野から日本のエネルギー自給自足を実現する
──最後に、パワーエックスが玉野で描く最終的なビジョンを教えてください。
まず、この玉野の地に、過去最大規模の投資を計画しています。今の建屋の2倍の天井高を持つ新工場や、オフィス棟も建てます。計画通りに、玉野市の工場がフル稼働すれば生産した蓄電池の蓄電容量の合計は年間6ギガワットアワー(GWh)ほどになるでしょう。
その先に見据えるのは、日本のエネルギー自給自足です。今、我々が使っている電力の8割は、石油や石炭、天然ガスといった輸入品です。これは産業革命以来、日本がずっと抱えてきた構造的な脆弱性です。もし、蓄電池によって国内に300(GWh)の蓄電容量が実現すれば、再生可能エネルギーを最大限活用でき、エネルギーの自給自足が可能になります。
そうなれば、例えば他国との交渉も、お金の使い方も、投資の仕方も、全てが変わる。政府は2040年までに再生可能エネルギーを主電源にすると言っていますが、私の世代でそれを実現できれば、日本の景色は全く違うものになるでしょう。その大きな変革の出発点が、この玉野なのです。